確か新聞書評で短く紹介されていたのを見たんだったと思いますが、
もしかして面白そう?…と手に取ったのが「赤い橋の殺人」でありました。


赤い橋の殺人 (光文社古典新訳文庫)/シャルル バルバラ


光文社の古典新訳文庫の一冊となれば、すでにたくさんの人に読まれている古典に
新訳でもって新たな光を当てようとの意図がありましょうから、
この小説も「そんなに有名な話だったのかな、知らないけど」、
そしてシャルル・バルバラなる作者名も初めて聞いたけど…と思ったり。


ところが、古典新訳文庫としては例外的なものかもしれませんですが、
何と本邦初訳なのだとか。


となると、日本に紹介されていないものでも、海の向こうでは
「古典」との位置付けを得ている作品がまだまだあるのだなと思いかけたですが、
(実際にそういう作品もきっと多いことでしょうけれど)
何と何とバルバラと「赤い橋の殺人」との再評価は、お膝元のフランスでも
1980~90年代であるというのですね。


元は1855年に出版されたということですので、
ありていに言って忘れられた作家の忘れられた作品であった…となりましょうね。


とまれ、この小説のことですけれど、
タイトルから想像する限り、ほぼミステリーであろうと想像するところではないかと。
史上初の推理小説とされるエドガー・アラン・ポー「モルグ街の殺人」の発表が1841年で、
本編の作者バルバラはポーをボードレールに紹介した人とも言われるようですので、
バルバラもポー作品を読んで、推理小説という新しい分野に挑戦したくなったとしても
無理からぬ話であるように思われます。


ですが、「推理小説、かくあるべし」といった本格ものの定義みたいなものは
もそっと後のイギリスに委ねられましょうから、反ってミステリー風味で自由に書くことが
できたのかもしれないですね。


確かに死体は出てくるものの、表向きはすでに自殺で片づけられていて、
積極的な犯人探し、謎解きを主に物語が進むわけではないのですから。


むしろ、ちょっとした糸口の絡み合いから生じる疑惑、疑心が
探偵役と思しき登場人物の側にも、犯人の側にも生じることから
心理小説と色合いの方が濃いかもしれません。
(何しろ犯人は、ちっとも意外ではありませんし)


そして、こうしたことに加えて、背景となっている19世紀初頭のパリ、
いわゆるボヘミアン(ボエーム)の時代の貧困と犯罪、
そしてそこから無神論的な言動も出てくる社会情勢を見るにつけ、
(ロンドンならさしずめディケンズの「オリバー・ツイスト」とか)
ノワール(暗黒小説)的な雰囲気もかなり漂っておりました。


さらには、およそ科学的には説明をつけにくい超自然的(つまりはオカルト風味)な挿話には
ゴシック・ロマンス まで思い出させるという。


そうした、後には系統だって分化されていくような要素が混在してひとつに収まっている点、
そのこと自体が過渡期的位置付けを持つと思われるこの小説の価値(再評価される意味)にも
なっているのやもしれません。


ところで、読んでいて「おやっ」と思うのは(巻末の解説にも触れられてましたが)、
ドストエフスキーの「罪と罰」との類似でありましょうか。

「罪と罰」の発表は1866年ですから、「赤い橋の殺人」より後なわけで、
そうなるとドストエフスキーはこの小説をヒントにしたかもしれませんですよ。


金貸しの老婆を、自らの正当性をもって殺害したものの呵責の念に苛まれるラスコリニコフは、
本編に出てくるクレマンであって、その人物造型も背景も信条も全てを深化させると
「罪と罰」が出来上がる…といっても、ドストエフスキーの才が無ければ
これまた作品としてごった煮感の残るものになってしまったかもですが。


ま、最後のところは憶測ながら、
バルバラが再評価されるに功績のあった訳者自身にも
両者の関係に迫った論考があるらしいのですが、どうやらフランス語で書かれているような。


埋もれていた作家と作品が掘り起こされて、
それがドストエフスキーの創作に寄与したかもしれないてなことが分かったりする…
研究が進むというのはこういうことなんでしょうけど、
こうした面だけ(上っ面で考えると)研究って面白そうですね。