…と先の広島出張で、その合い間を縫って訪ねたところのお話であります。


広島には(ご存知の方も多かろうと思いますが)「ひろしま美術館」という、

印象派を始めとして泰西名画の数々が見られる素敵な美術館がありますけれど、

前に一度出向いたことがあるものですから、ここはパス。


企画展では山形の山寺後藤美術館のコレクション展を開催中で、

これにも気持ちの揺らぎはありましたですが、山寺にはそれこそ立石寺を中心に

松尾芭蕉がらみでも一度は行かねばと思っており、その際には山寺後藤美術館にも絶対寄る!

と目論んでおる関係からも、目をつぶったのでありました。


というような考慮のもとに向かったのは、広島市現代美術館であります。

駅前から広島名物?の路面電車でほどなく比治山下という電停に到着、

現代美術館はこの比治山なる山の上にあるのですねえ。


路面電車を降りたところが比治山下ですので、当然にやおら登りにかかるわけですが、

登り始めようというその地点にあったお寺さんに目がとまりました。


多聞院@広島


多聞院というこのお寺さん、例によって門前には教育委員会だかが立てたのでしょうか、

解説板があり、ついつい「どれどれ」と覗きこんでしまうわけです。

毛利氏が郡山城下吉田に建てた真言宗寺院である。広島城の築城とともに三滝山麓に移され、さらにこの地に移されたのは慶長9年(1604)、福島氏の時代である。この寺の鐘楼、十三塔は奇跡的に原爆による破壊を免れている。
境内には、「日本外史」を著わした頼山陽の一族の墓と儒学者で浅野藩に仕えた植田艮背の墓があり、いずれも県指定の史跡となっている。

こうした来歴を知ってしまいますと、どうしても境内の中へ…となるのは必定でありますね。

解説の中に「原爆による破壊を免れている」とは、いわゆる被爆建物というものですが、

広島市では80余りの建物をリスト化しており、ここもその一つなのでありました。


先の解説板のお隣にもう一つ別の解説もあり、

そこには被爆から1カ月余り後に撮られた、爆風の煽りを受けた多聞院の写真が

載せられてましたですが、爆心から約1.75km離れていても、こんな状況だったそうで。


被爆後の多聞院

そして、先の解説に「破壊を免れた」とあった鐘楼がこちらです。

爆風で折れた梁がそのままにされているのですね。


原爆の爆風で梁の折れた多聞院の鐘楼


爆心から1.75km離れているとは言いましたですが、当時から今に残された中では

爆心地にいちばん近い木造建築物として、この鐘楼は広島市が永久保存することにしたそうな。

ちなみに再鋳造されて、1949年、被爆から4年後の原爆投下日である8月6日に開眼供養された

鐘には「NO MORE HIROSHIMA」が刻んであるということです。


ところで(と、さらり話題を変えるにはちと抵抗がありますが)、

この多聞院は幕末ちょい前の儒者・頼山陽(1780-1832)の一族の墓所とは、先の解説の通り。

ただし、山陽自身は京都に葬られているとのことですので、あくまで一族の、ですけれど。


頼一族の墓所@広島・多聞院


普通のお墓とは明らかに別格の、ちょうど船のような形の五角形をした広めの敷地。

その周囲を巡るように、個々の墓標が並んでいます。

代々の墓とか累代の墓とか、ひと括りにされないあたり、

頼山陽しか知らなくては申し訳ないほどの遺徳がある方々なのでありましょう。


ちょうど写真では中央に見える大きめの墓標が、頼春水のもので山陽の父親になります。

1782年、広島藩の学問所ができた時に教授として迎えられた一人が春水であったそうです。

この父にして、この子ありなのでしょうか。


こうした頼の一族(頼家と書いてもいいのですが、どうしても「よりいえ 」と読んでしまいそうで)との

関わりの故でしょうか、多聞院に隣接して、こんな建物がありましたですよ。


山陽文徳殿

山陽文徳殿という名称でして、頼山陽の文徳に肖らんと1934年(昭和9年)に建てられたもの。

ですが、昭和9年という時節柄、何でも都合よく(山田長政 なぞもですが)利用してしまった

軍部がらみの持ちあげ方でもあったようで、建物としてはあまりいい目は見ていないふうですね。


これ自体も被爆建物で、写真上部に九輪塔(の一部)が見えてますが、

その下部のひしゃげたところは爆風の故だそうですし、

今では市の管理に委ねられているというものの、

全く何に利用するということもなく(他の場所に頼山陽史跡資料館ができてます)、

草ぼうぼうで打ち捨てられた感満載になってますし。


比治山には多聞院、広島市現代美術館の他にも広島市まんが図書館なんてのもありますから、

人の流れはあるわけで、山陽文徳殿も活用法はいろいろあるように思わないではない。

もっとも被爆建物には静かにそのままで歴史を語る役割があるのかもですが。

(それならそれで、草刈りくらいのことは必要でしょうねえ…)


と、思い掛けずも被爆建物に立ち寄ったわけですけれど、

続いては比治山の上、広島市現代美術館を訪ねることになるのでありますよ。