オトラント城奇譚 」を読んだあとに、カルチャーラジオ「文学の世界」の

「怪奇幻想ミステリーはお好き?」で紹介されていた別の物語を読んでみようかとも思いつつも、

シリーズ12回のそれぞれから1冊読んでも12冊読むことになるわけですね。


それはそれで楽しからずやであろうとは思うところですけれど、

時々に興味の向く先があちらこちらへと移るものですから、

読もうかなという本が溜まってしまいかねない。


そこでどうしたものか…と思っていたわけですが、

たまたま同じカルチャーラジオ「文学の世界」の4~6月シーズンでO.ヘンリーが取り上げられ、

(このO.ヘンリーの13回シリーズを通しで聴いてみようとの踏ん切りはまだですが)

その第1回放送をお試しで聴いてみましたら、やがてはO.ヘンリーに繋がって行く

アメリカ短編小説の祖としてワシントン・アーヴィングを紹介していたのでありますよ。


このワシントン・アーヴィングこそ、先の「怪奇幻想ミステリーはお好き?」の

3回目で紹介されていた作家なだけに「こりゃあ、読んでみよ」ということかと

天啓を感じたような次第であります。


何でもワシントン・アーヴィングは「アメリカ初の作家と呼ばれる」のだそうで、

(本業は法律家だったようで、アメリカ初の専業作家は別の人らしい)

その代表作とされるのが「スケッチ・ブック」と題された短編集。


スケッチ・ブック (新潮文庫)/ワシントン・アーヴィング


この新潮文庫のカバーをご覧になって、もしかすると想像がつくかもですが、

首なし騎士が登場する映画「スリーピー・ホロウ」の原作

「スリーピー・ホローの伝説」の他、全32編のうち12編が収められています。

(岩波文庫版には「スリーピー・ホロウ」は入ってないようです)


さりながら、ワシントン・アーヴィングのこの話、

映画の原作というよりは原案くらいところでしょうか、

映画で連続殺人の謎に迫るイカボット・クレーン捜査官(ジョニー・デップ )は、

小説では単なる田舎教師で首なし騎士の伝説にふれるやビビりまくる存在でしかない。


ですが、肝心なのは夜毎に首なし騎士が渉猟する…てなことは

合理的に考えると有り得ないことで、何とかかんとか説明がついてしまうのだよ…

ということになってくると、ゴシック・ロマンスもいささか別方向に舵を切ったことになりましょうか。


首なし騎士とはいかにもゴシック・ロマンスの系譜ながらも、

そもそもアメリカにはゴシック・ロマンスらしいお膳立てとしての

古城もなければ、実は王侯貴族だったという人の出自の秘密とかいう

ソフト、ハード両面の過去がないところに、大きな背景の違いがあるようです。


そこから、場所や何かの、いかにも恐ろしげな要素に頼らない

心理的なサスペンスに向かっていく流れができるようなのですね。


ワシントン・アーヴィングの原作を漫然と読む(自分のようにですが)限りでは、

そうした系譜の中での位置づけにまで考えが及ぶことはおよそなく、

イカボット・クレーン先生の妄想やらを笑って過ごしてしまうだけですが、

実はそういうものであるらしいのでありますよ。


ちなみに、この「スケッチ・ブック」なる短編集ですけれど、

小説とエッセイが混在(訳出はエッセイの方が多い)していて、

小説も聞いた話として書かれていますから、全体にそのときそのときの作者が

手遊びに書いたスケッチをまとめたもの、まさに「スケッチ・ブック」とは

的を射たタイトルではなかろうかと思いますですね。


で、そのエッセイに「ジョン・ブル」という1編がありまして、

ジョン・ブルとはイギリスそのものを擬人化した人名のこと。

ワシントン・アーヴィングはジョン・ブルに対して、こんな苦言を呈しています。

わたしがひたすらに望むのは、ジョンが現在の苦悩を経て、未来にはもっと慎重にしなければならないと知ることであり、彼が他人のことで心を悩ますのをやめることであり、棍棒の力で、近所の人の福利や、世界の平和と幸福とを促進しようなどという無益なこころみをやめることである。


「スケッチ・ブック」の刊行は1820年。

1783年生まれのアーヴィングには、アメリカ独立戦争(1775~1783)あたりのことを念頭に

ジョン・ブルが棍棒(武力でしょう)をふるって近所に口出しするのをやめるように言ってますが、

ヴィクトリア女王が1837年に即位してそれこそ世界に口出しするのはその後のこと。


ジョン・ブルがアーヴィングの苦言に耳を傾けるようなことがあったとしたら、

その後の世界は全く違う歴史を辿ったことでありましょうね。


と、怪奇幻想ミステリーとは離れた話になってしまいましたけれど、

古い本を読むのもそれなりの意味はあるてなことになりましょうか。