キリスト教は垂直方向の世界観、仏教は水平方向の世界観ということを聞いたことがあります。
なんとなれば、キリスト教では天国は上の方にあり、仏教では西方浄土でありますからねえ。
いずれにしても、すぐに行って帰って来られるような場所でないとの含みがあろうかと思いますが、
水平方向ではどうしたって途中に遮蔽物があったりして見通しが悪くなるものの
これが上からということであればより見通しが良くなるであろうことからも、
神様が見ている感は「上から目線」と考えた方が自然かもです。
こうして神様のおわす所が「上」というふうな捉え方は、
偉い人(神様は人ではないでしょうけれど)は上におることにつながる一方で、
逆転の発想?ですが、「上」にいるから偉い(本当はそうでないかもですが)という
感覚にもつながろうかと。
不思議なことにキリスト教精神とは関わりなくも、
つまりは宗教、信仰とは無縁の日本人(もちろんそうでない人もいますが)であっても、
この「上」と、それに対する「下」のイメージはごくごく普通に受け止められるところであるような。
古い映画で恐縮ですが、黒沢明監督の「天国と地獄」で高台に建つ邸宅の住人こそが
偉い人とはいうことではないものの、成功者、勝利者、重要人物、十把一絡げでない人…
と何でもいいですが、ともかくそんな立場であり、
下から見上げる者との対比を視覚的にきっぱりと描いておりました。
そして、映画を見る者もその意味するところは自然に受け止め得たのではないかと思うわけです。
ところが、「上」と「下」というのは対比の産物であって、
比較する意識がないところにあまり差異は生じない。
仮に上を見ることがあっても、それは「あ~あ、手が届かねえなぁ」と思うのでなくして、
「お、次、あそこね!」と射程圏入りを確認することであったり。
そんな誰もが上昇を信じて疑わなかった時代が「バブル期」だったということにもなりましょうか。
ちなみに1990年3月卒対象の大卒求人倍率は2.77ですので、
言ってみれば完全な売り手市場。(2014年3月卒予定の大卒求人倍率は1.28)
今では想像もつかないことですが、
学生が説明会に出向いただけで「お車代」が出たてな話が聞かれるように、
内定者囲い込み海外ツアーらしきものに添乗したのも、この頃だったように思われます。
ですが、個人的には「バブル期」の恩恵(?)といったものに
ちいとも浴していないものですから、実感としては全くピンとこない。
ただ当時は赤坂見附に勤務していて、残業で電車が無くなると
タクシーがちいともつかまらない状況だったなと。
こっちは残業して帰るのに、
遊び呆けた連中が夜中の移動にタクシーをバンバン使っていたんでしょうなぁ。
もっともそこから学んだことは、何としてでも仕事のカタをつけて終電で帰るということ。
よもやタクシーに札束を振って、
その数の多い所にタクシーが停まったりする世界があろうとは思いもよりませんから。
この札束エピソードが本当のことなのかどうかは個人的に知るよしもありませんが、
映画「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」を久しぶりに見てみましたら、
そんな場面が出てきましたですねえ。
先に見た「ミッドナイト・イン・パリ
」がタイムスリップものであったとすれば、
こちらはスリップならぬ確信的なタイムトラベルもの。
財政破綻目前の現在(2007年)に至った原因を「バブル崩壊」と見て、
タイムマシン(これがどう見てもドラム式洗濯機)で1990年に戻り、
「バブル崩壊」を食い止めようと考えるわけですね。
先のタクシーのエピソードばかりか、
当時はこうだったと思しきあれこれを再現して見せているようですので、
もしかしたら懐かしく感じられる方々もおいでになろうかと。
ですが、こうした(ここまでではなくとも、これに類した)世の中であったかと
改めて見聞するとですね、(たかが映画なんですが)口あんぐりでもある一方で、
憤りする感じてしまいますですよ。
それは何度も言うように、ちいともバブルらしい景気感に関わりがなかったものですから。
といって、恩恵に預かれなくって残念だったなあ…と憤っているわけではないのでして、
札びらを切りまくる、それだけの金を持っている人がいるということは
それに見合う分量だけ持たざる人がいるのですよね。
あまりに浮かれきって、そんなことをちいとも考えることがない。
なんてこった…と。
映画ではタイムマシン作戦が奏功して、現在(2007年)に戻ってみれば、
1990年にも輪をかけた浮かれぶりっぽい世界が現出していました。
もちろん現実にはそんなことはないわけで、
長い不況期、就職でも超氷河期の日々なわけですが、
それでもバブリーな考え方というのはどうも人から抜けきらないような。
と言いますのも、金儲けの方法というのは手を変え品を変えて作りだされ、
インターネットという便利な代物を通じて「こうすると儲かりますよ」「こんなに稼げます」という話が山のよう。
それらはほとんど全てが不労所得でありましょう。
働かないで金儲けできるなら、誰もがそうしたいところかもしれない。
ですが、いざその金儲けの仕組みをよく考えてみると、
どこかで誰かが損をする仕組みでもないと
一方的に儲かるなんてことはありえないのではないかと。
その人が儲かるだけ世に流通するお金の量が増えているから、
損する人はいないんです…なんてことはあり得ない。
少しはそのことを意識したのか、いつの間にかビジネスの世界では
「Win Win」なんてことが言われるようになってますが、
これからして眉唾ものだなぁと思いますですね。
「あなたにとっても私にとっても互いに損はないでしょう」と言ってハッピーぶっているのは、
悪代官と悪徳商人の密談みたいなもので、当該人以外のところに損を付け回すだけなのでは。
「いやあ、そんなことはない、誰にとってもハッピーなんだよ」みたいなことが実はあって、
寡聞にして知り得ていないだけなのかもですが、
そういう話だったらもっと聞こえていいはずですものね。
と、長々まとまりを欠いているものをまとめなくては…ですが、
ひとつ言えるのは、この映画をあんまり真剣に受け止めてはいけんということですかね。
でないと、「バブルが継続しているということをもって良しとする終わりか…」なんてことを
言いたくなってしまいますし。
ですので、ああだこうだと書きましたけれど、
「娯楽作」として、それこそ泡のような笑いの映画として見た…とまあ、そういう次第でありました。