公開されたのを全く知らなかったんですが、

先日「トラブゾン狂騒曲 」を見たシアター・イメージフォーラムでフライヤーを見かけたものですから、

早速検索したところユーロスペースでの上映はとうに終わってしまっていた映画が

「ヴィック・ムニーズ ごみアートの奇跡」というもの。


映画「ヴィック・ムニーズ ごみアートの奇跡」


とはいえ、関東一円どこかしら公開しているところはなかろうかとオフィシャル・サイトを見てみたところ、

何とサンシャインシティで上映されるではありませぬか。

こりゃあ、機会を逃してはいけん!と出かけた池袋でありました。


ヴィック・ムニーズの作品はしばらく前にトーキョーワンダーサイト渋谷で見て、

いわゆるゴミを素材にしながらも、作り上げられた世界が何とも壮大であって「う~む」と思い、

強く印象に残っているのですね。


ワンダーサイトの展示の折に上映されていたメイキング映像から、

「協力者の手を借りて、(ゴミを)どんどん並べていき」てなことを以前のブログに書いたりしましたが、

その協力者たる彼らが何者であるかに改めて思いを致し、「そうであったか…」と。

今回の映画を見て、以前の思いの何と浅薄であったことかと考えた次第でありますよ。


ブラジルの、というより世界でも最大級のゴミ処理場と言われるジャウジン・グラマーショ。

Wikipediaによれば600万人を超えるとある大きな都市リオ・デ・ジャネイロとその周辺から出るゴミが

どんどんジャウジン・グラマーショに集ってくるのですね。


その膨大な量は先に見たトラブゾン村を遥かに上回るものですけれど、

ただ少しだけ幸いなのは、処理場がどうやら海に突き出した埋立地らしいようなところであること。

ま、かつての東京の夢の島のようなものですな。


ですが、カラスや犬がゴミを漁りにきて困るというトラブゾン村と決定的な違いは、

ジャウジン・グラマーショのゴミ山にはたくさんの人間がうごめいているということでありますね。


もちろん漁りに来ているというのは適当でないと思われますが、

「カタドール」というれっきとした職業の人たちでして、

ゴミ山からリサイクル素材になるものを拾い集め、

それを業者に買い取ってもらうことを生業としているという。


かなり下層の人たちではありながら、それでも誰でも勝手に始められるというわけではなく、

拾い集めるカゴは統一されたものであって、まずそれを買い取ることで仕事を始められるだとか。


そうした「カタドール」で生活する女性は「娼婦になるよりまし」と語っていました。

男性に置き換えれば「麻薬の売人になるよりまし」ということになりましょうか。

実際、貧困層の中には娼婦や麻薬の売人になるという選択をしてしまう人たちがいるわけですね。

そして、「自分たちがいることでゴミの量が減らせる」として、仕事には誇りを持っているとも。


と、こうしたところに目を向けたのがブラジルの労働者階級出身であるヴィック・ムニーズ。

ゴミを素材にカタドールの人たちとの協働によってアートを生み出すというプロジェクトです。

先に「協力者の手を借りて」云々といった協力者とは、彼らだったわけですね。


ヴィックとのコラボレーションが進んでいくにつれて、彼らの思いには揺らぎが出てきます。

ゴミがアートになるなど、そんなバカなと思っていたのに、

ロンドンのオークションでは日本円にして億単位の金額で取引がされるを

目の当たりにすることは衝撃的であったことでしょう。


ゴミでさえアートに生まれ変わる。

自分たちにはカタドールの生き方しかないのだろうか。


仕事に誇りを持っているというのは、娼婦や麻薬の売人になるか、カタドールになるかという

二者択一の選択肢しか考えられないときならば、そう思えていたことが、

もしかしたら別のあるかもしれないと気付いたとき(気付かされたとき)、当然に揺らぎが出るでしょうし、

実際「グラマーショには戻りたくない」と言い出してしまう女性も映し出されていました。


ヴィックに対しては当然に彼らのこうした変化の責任を取れるのかといった問いかけがなされますが、

こうしたことは重い問題でありますね。


この映画のフライヤーには

「世界最大の廃棄物処理場が世界最高峰のアートに変わる瞬間をとらえた!!」とあり、

そのとおりではありますけれど、それだけの映画ではない。


彼らの揺らぎは、いろいろな意味で見ている側にも確実に揺らぎをもたらすものと思えます。

オフィシャルサイトの上映情報をまめにチェックして、

お近くでの上映があればお見逃しのないよう!と珍しくも言ってしまいますですね、これは。


そうそう、それにしても何だってサンシャインシティで上映されたかと言いますとですね、

「フェスタ・ド・ブラジル」というイベントの一環として。


あたり一面をブラジルらしくというわけで、あちらこちらで賑々しいカネや太鼓の音が聞こえ、

派手派手の衣装に身を包んだ一団が練り歩き、サンバ・カーニバルの様相を再現するわけです。


これはこれで、とは思うところではありますけれど、映画の冒頭がやはりカーニバルのシーン。

そして、祭の後ともなれば派手派手衣装はそこらにうち捨てられたゴミとなって山を為す。

これを見てしまいますと、帰りがけに行き過ぎた賑やかな一団にも

いささか虚しさを伴う視線を送ってしまいましたですねえ…。