相変わらずコツコツとDVDの「シャーロック・ホームズ」 を見ておりますけれど、
とある一編を見ているときに「そうそう、これねえ」と思ったのですね。


有名なだけあってすっかり話は分かった上で見ているわけですが、
それでもこれはコナン・ドイルの作ったトリックとしては秀逸な方だよねと。

で、タイトルは確か「唇のねじれた男」だったか、「ねじれた唇の男」だったか。


画面でも最初に「The man with the twisted lip」と出てたから間違いない…と思いきや、
付属する冊子には「もう一つの顔」という記載が。

シャーロック・ホームズの冒険DVD BOOK vol.10 (宝島MOOK)


「おや?それでは別の作品と勘違いしてたかな」と思いつつも、
結局最後まで見て、思い違いではなかったっことが分かりました。


で、どうしてこういうタイトルの違いになったのかを検索したところ、
いくらか予想したとおりの記述がWikipediaにありました。

邦訳題は「唇のねじれた男」が一般的であるがNHK基準に引っかかったか変更。


NHKの基準に引っかかったとの確証はないものの、

「唇のねじれた」という表現が抵触したのでしょうね。
「NHK新放送ガイドライン2008」とやらにも、
このオリジナルタイトルを避けたことがなるほどと思えるようなことが書かれていますし、
障害を持った方々に対する配慮から使われなくなった言葉がたくさんあることを

想起しても分からなくはない。


ただ、出版の世界では「シャーロック・ホームズの冒険」所載のこの物語は
相変わらず原題に依拠するタイトルが使われているようですので、
それだけ広範な不特定多数に伝播される放送の方が基準が厳しいということにもなりましょうか。


それでも、この物語の中には「物ごい(beggar)」という言葉が何度も出てきます。
こっちの方はいいのかな?とも思いましたけれど、

差別用語とされる「乞食」の言い換えが「物ごい」なのだとか。


こうしたことが分かったとしても、

改題にあたってどなたがお考えになったのかは分かりませんが、先程のWikiの引用には続けて

「内容に直結してしまっているのが難点である」と記載されているとおりに、
なんだってこんなタイトルにしてしまったかは、作品そのもの以上の謎でありますよ。


先にコナン・ドイルのトリックとしては秀逸な方と言いましたように、内容をご存じない方は

ドラマ版でなくとも本でお読みになられてはと思います(短編です)ので
内容に触れずにこれ以上の「何故か?」には触れられませんが、

それにしても…とつくづく。


ところで、この作品には英国文化の一端を思わせるところがありますね。
それは登場人物である物ごいのブーンが大層な稼ぎ手であることにも関わります。


ブーンが長年の汚れがしみついたような姿かたちで、

ブリキのカップのようなものを手に道端に立っているわけです。
どうぞカップに小銭を入れてくださいましという具合に。


これだけだと、いわゆるただの物ごいということになってしまいますが、ブーンの場合には
「Mr.Boon is a professional beggar.」とか「An aristcrat among beggars」とか

言われたりもするのですよ。


道端に立ったブーンは誰にともなく言葉を発しているのですが、
それがシェイクスピアの引用であったり、テニスンやワーズワースの詩の一節であったり。
また、小銭を入れてくれた紳士淑女が何気なくかけるひと言に対して、
ブーンは非常に機知に富んだ警句を返したりするだという。


それがとてもただの物ごいとは思えぬ教養を感じさせるところでもあり、
それが故の面白さや興味から小銭を投じるリピーター、常連客も現れたことでしょう。


一見したところでは貴顕と下賤の関係のようでいて、

ともするとお互いに辛辣な言葉を投げかけあっても
実はそのやりとりの巧みさを双方とも楽しんでいるような構図。
シェイクスピア劇でもよく見られる「王様」と「道化」の関係にも似たものと思われます。


もちろん時代は19世紀末のヴィクトリア朝ですから、

ブーンを子飼いにする王侯貴族のような人たちはいませんし、
かつての王侯貴族が子飼いの道化を身近に置いていた感覚に近いところで
小銭を投じる常連としての互いの認知が得られるとすれば、

新興ブルジョワにはかつての王侯貴族の疑似体験のようなものができる、
そうしたところからブーンは大層な稼ぎ手になったのではなかろうかと。


ただ、そもそもとして詩の暗誦や古典の引用が

文化として根付いている社会であればこそであって、
そうした感覚のない日本ではどうなんでしょう。


日本は日本で「幇間」という文化(?)がありますけれど、

この辺りもいずれは探究しておきたいところですね。