私が命を賭けようと決めたレンタカーの仕事には、
多くの人の影響や協力の上に成り立っていました。
私をそこまで駆り立てたのは仕事の魅力だけではありませんでした。
私には、もうひとつの原動力がありました。
私が22歳のころだったと思います。
バイト先に短大生が入ってきました。
その娘とはシフトの時間が異なっていたので顔を知りませんでした。
夜勤の私は「今度、かわいい娘が入ったらしい」という噂を聞きました。
「ふ~ん」 …そんな程度でした。
しばらくして日勤の人数が足りないからと私のシフトが日勤に変更されました。
当時はフリーターなのでシフト調整の為に容赦なく移動、変更させられました。
その娘と仕事が一緒になることが多くなりいつの間にか仲が良くなりました。
彼女は彼氏と別れたばかりで落ち込んでいました。
私は彼女の話の聞いて生意気にも慰めたりしました。
家も近くだったのでバイトが終わると一緒に家まで送ったりしていました。
ある日、バイト先へ行くと…。
彼女は私を見つけるとホールから休憩室にやってきました。
「○○さん!ちょっと後ろを向いてください」
言われるがまま後ろを向くと、肩のあたりで何かをしています。
「なに?何してんの?」
「動かないで!」
「あっ、はい…」
「はい。OKです!」
それから何日かしてバイト先で忘年会がありました。
「今、○○さんにセーター編んでるんだよ」
「俺に?」
「うん。上手くできたらプレゼントするね」
いつの間にか…。
私は、その娘を意識するようになっていました。
バイト先で彼女と逢うことも仕事以外で一緒にいる時間も
いつの間にか彼女は掛けがえのない存在になっていました。
私は血友病であり、当時はエイズという得体の知れないウイルスの情報の中で
多くの人は、この病名を知ることになりました。
私が誰にも言えないでいた病名とウイルス感染に対する恐怖。
諦めることもできず、時間だけが過ぎていく気がしていました。
彼女に新しい彼氏ができたことも知っていました。
それでも私は、その娘に自分の気持ちを伝えました。
二十歳過ぎの男はバーボン抱いて号泣しました。
「付き合っている人がいるけど、私から○○さんは居なくならないでほしい」
そして、いままで通りの二人で居ようと彼女が望みました。
私にとって彼女は以前より近くに居る気がしていました。
彼氏とは上手くいっていないのは、本人からも聞いていました。
ある日、彼女が体調を崩して仕事を休んだ日が続きました。
彼女から私宛に伝言があるとバイトの女の子が知らせてくれました。
「今日、仕事が終わったら電話をください」
当時は携帯電話がありませんから自宅へ帰ってから電話をしました。
彼女も実家住まいですので、電話は、すごく緊張するんです。
お父さんとかお兄さんが不機嫌そうに電話に出るだけで震えあがりました。
「プルル…」 ワンコールで彼女が出ました。
「どうしたの?体調良くなった?」
「うん。今日…ひま?」
「うん。暇だよ」
「よかったら…、どこかに行きたい」
私は彼女をドライブに誘いました。
「横浜…、行こうか?」
「うん。」
私は彼女を乗せて、夜の横浜に向けて走らせました。
1989年の9月末。
見たこともない巨大な橋と夜景が広がっていきました。
横浜ベイブリッジが開通した数日後のことでした。
真新しい橋の上をゆっくりと走り、広がる景色の中で
「このまま死んでもいい・・・」
助手席の彼女が漏らした言葉。
私は彼女に何も聞かないでいました。
今はこの景色の中で一緒にいるだけでいいとさえ感じていました。
二人は山下公園をしばらく歩きました。
この日の彼女はいつもと違って見えました。
彼女と、このまま…、どこかへ…
肩を抱き寄せることはできても、その先には進めませんでした。
私の中に得体の知れない病原体がいたとしたら…。
この愛しい人を悲しませることになるからです。
氷川丸を二人で眺めた後、私は言いました。
「そろそろ、帰ろうか…」
私が24歳、彼女が20歳。横浜の思い出。
この後、私はパン製造工場の仕事で腰を痛めて、半年間の寝たきり生活。
この間に何度、死を考えたでしょうか…。
自分の体をどれだけ憎んだでしょうか…。
私は彼女に連絡をとることさえもできませんでした。
そんなときに、一人の悪友が頻繁に電話をくれました。
正直、落ち込んでいる最中で鬱陶しいとさえ感じていました。
それでも、時々家にも顔出して様子を伺いに来てくれる奴がいました。
奴も彼女のことを知っているバイト先の仲間だった一人です。
そして、少しづつ…。
這い上がってやろうと感じ始めました。
それは、松田優作さんが亡くなったことも影響していると思います。
誰にも知れせずに病を受け入れて仕事をやり遂げて逝った松田優作。
このままじゃ終われない…。
また立ちあがってみせるよ。
それは恋に破れた彼女への誓いでもあった。
頻繁に心配をしてくれた悪友への気持ちでもありました。