フランスからの帰り、今、イスタンブールに来ています。
これは、これで又、別にブログにアップさせて頂きます。(気が向いたら)
以前、HIDEに関するブログをアップしましたが、僕がフランスに行く前に、TAIJIが亡くなった事を
ネットで知りました。。。。。。
追悼の念を込めて、僕なりにTAIJIについて書きたいとおもいます。
TAIJIと最初に出会ったのは、まだ、Jealousyのデモテープを世田谷にあるタッドポールというスタジオで
製作している時でした。その頃は、Toshiのボーカルを入れる事が多かったのですが、
TIJIが”Deparate Anngel"のベースの取り直しでスタジオに来たのが、彼との最初の出会いでした。
TAIJIは、ロッカーらしく、とてもカッコいい!!って感じのスタイルだったのですが、
物静かで、最初は人見知りというか、彼とまともに会話ができたのは、しばらくたってからでした。
でも、慣れると、とても気さくで、直ぐに友達になりました。
僕がギターを弾く(趣味で)のを知ると、ニコニコしながら、”ジャムろうよ!!”
といって、ベースを持って気ました。
僕はアコギを借りて、ジャズの定番のブルーボサを演奏しました。
TAIJIは”カッコいい、コード知ってるね!!”
と、ギターが下手な僕を持ち上げてほめてくれました。
ブルーボサは、ベースラインを弾きながらコード進行を演奏して、すこしアルペジオを混ぜるので
TAIJIは直ぐに、うねりのある、ベースラインを即興で作って、途中ソロまで即興で作って
それは楽しかったです
ロスでレコーディングに来た時に再会をして、それから1年はTAIJI(Xのメンバー)と寝食をともにしました。
TAIJIはストイックな位、誰よりもベースの練習を欠かせませんでした。
その、結果は明らかでした。
メンバー全員のレコーディングで一番、録りが早かったのがTAIJIでした。
YOSHIKIが一番長く、一曲録るのに、最低24時間ぶっ通し、48時間を越えるのは普通でした。
しかし、TAJIは早いと2時間以内で1曲完成してしまいます。ただ、音だしの準備は長いのですが。。。。
その時のエンジニアのリチャードもいつも、TAJIの演奏をきいて
HE IS SMOKING!!!
と絶賛していました。
この意味は演奏がすばらしく、火が出るような熱いくらいの演奏をする時の絶賛の意味を込めての表現です。
確かに、TAIJIのベースはハッキリいって、天才的でした。
TAIJIは、アーティストとしての一面を強く持ちながら、彼は、天才ミュージシャンでした。
僕も、沢山のミュージシャンを見てきましたが、TAIJIのレベルは世界でも十分通用する位のレベルでした。
ギターの演奏も素晴らしく、彼は、生まれながらのミュージシャンでした。
Voiceless Screamingのアコギの演奏も彼が作り、アレンジをしました。
ただ、TAIJIはHIDEと同様、酒癖があまりよくありませんでした。
お酒が入ると、自分のノリを人に強要する癖があり、これが元で、喧嘩も多かったのです。
あるときに、皆で日本食を食べにいって、カラオケに行きました。(笑)
TAIJIが野口五郎の私鉄沿線を歌っていたのは、かなり笑えましたが、ToshiがEndless Rainをカラオケで
歌っていたのはもっと笑えました
で、お酒が少し過ぎたのですが、その時住んでいたマンションの壁をTAIJIがぶん殴って、壁に穴があきました。
アメリカのマンションhが壁が石膏ボードになってるものが多く、簡単に壁に穴があくのですが、
TAIJIは骨折してしまい、しばらくベースが弾けなくなりました。。。。
ちなみにHIDEはプールで大暴れでスタッフは大変な後片付けと、弁償金としてかなり高額のお金を
払わされました。。。。
TAIJIはレコーディング中はいつもお酒を飲んでいました。
後に、お酒で体を壊したのですが、納得します。。。PATAとTAIJIはいつもお酒を飲んでいましたから。。。。
Jealousyのレコーディングも終盤に差し掛かったころ、僕とTAIJIはすっかり仲良くなってました。
TAIJIはいつも、僕の車に送迎で乗って来るようになりました。
そんなある時、TAIJIとカーステでバン・へーレンのPANAMAという曲を聴いて、TAIJIが、ベースとドラムの
音を絶賛していたのが、今でも忘れられません。二人で音量をあげて、頭をガンガンふりながら
大声でこの歌を歌いました。(笑)
TAIJIは、色々なバンドに移りましが、これは僕の解釈ですが、TAIJIはとても自由な人でした。
色々と試すがのが好きでした。
後、人が良いというか、本質的にすごくやさしかったので、自分が作曲したものでも、
他の人がアレンジしても、あまりゴタゴタいいませんでした。。。。。。
ただ、本人は納得いってなかったのですが。。。。。
ひとつの例として、Desparate Angel がそうでした。。。。。
この曲は、デモの段階では、シンプルでストレートな、TAIJIらしい楽曲のハードロックでした。
ところが。。。。。
Toshiのボーカルの先生で、ロジャー・ラブという人がいたのですが、
その人が、ボーカルのアレンジを始めた頃から、この曲が変な方向に行き始めました。
シンプルな曲がToshiのアカペラ(ロジャー仕込)ですっかりポップな曲になってしまったのです。
人がいいTAIJIは表では何も言ってませんでしたが、僕と二人になった時は心の内を明かしてくれました。
実際、Xを脱退して、Loudnessを経て、自分のバンド、D.T.Rを発足したときにこの曲を再度録りなおしています。
TAIJIとは個人的にも仲良かったので、D.T.R(Dirty Trash Road)を始めて、2枚目のアルバムには
声をかけてくれました。
僕は喜んで、このプロジェクトに参加しました。
このアルバムにはボーカルの録りでTakeちゃん(竹内光雄)のボーカルのディレクションで参加しました。
これが、TAIJIと仕事をした最後のプロジェクトになりました。
そのご、僕が1997年に結婚した時にTAIJIは、電報を打ってくれました。
実はそれもあるのですが、僕の奥さんはTAIJIが大好きで、TAIJIという名前も好きでした。
で、その大好きなTAIJIの名前を貰い、僕たちの息子の名前も
泰司
という名前にしたのです。これ、本当です。
TAIJIが亡くなったのは、正直ショックでした。
しかも、自殺ですから。。。。
HIDEの時も勿論そうでしたが。。。。。
また、大切な戦友が亡くなった様な感じなのです。。。。
TAIJIとは、精神世界の話も相当しました。
これは、DTRのアルバムの曲に彼の書いた歌詞に沢山でています。
輪廻とか、そういう話です。
晩年、彼が苦労しているという話は風の便りで知ってはいましたが、とてもプライドが高い人なので
僕には、そんな姿を見られたくない様な感じでした。
でも、本当に残念です。
彼は、本当に巨匠です。色々なその道のミュージシャンはTAIJIを絶賛しています。
でも、僕には友人を亡くした悲しみの方が強いのです。。。。。
でも、TAIJIとの思いでは僕の中で永遠に生き続けていきます。。。。
実は、色々と事情があり、ここに書けないエピソードが一杯あります。プライバシーもありますし。
でも、その全てが今となっては、誰も触れる事のできない、僕にとっての宝物です。
TAIJIも本当に自由になれて今は天国で笑っているでしょう。
沢山の思い出をありがとう。。。。