おばんです。


今夜は、同志社の同窓会が

京都は木屋町で、いま、この

時間行われているようです。


あいにく、キヨシは現在、長州に

いてますのでねえ。欠席している

わけですがねえ。


ともかく、この、戦時中から敗戦のような

レジームの25年間ね。彼らからは一度も

僕には連絡がありませんでしたね。

ほんまに、大学に入った初期だけに

付き合っていた、連中ですね。


僕は大学に五年、京都には七年いた

わけですがねえ。ほとんど、といっていい

ぐらい、ダンス漬けでねえ。ダンスの記憶ぐらい

しかねえ、もう、残ってないわけですがねえ。


しかし、25年ぐらい前の今頃ねえ、彼らとは

出逢っていたわけでねえ。それが、去年でしたかね。

Facebookから僕を見つけてきてくれてねえ、そして、

今日、同窓会があったわけですね。まあ、僕も

もう、25年ぶり、ですからねえ。その間に

付き合いがなかったのでねえ。まあ、

いろいろと懐かしく思い出されることも

あるわけですけれどもねえ。


でも、きっと、僕らはねえ、この


25年はねえ、やっぱり、それぞれのねえ、

最前線でねえ、「動員」されていた、のだろうなあ、

と思うのですね?ほんまに。


だから、それがもうねえ、「終戦」して「日本が

敗戦した」というねえ、今の状況においてはねえ、


まさに、それは、出陣前に召集された若き我々のねえ、

「同期の桜」でありましてねえ。こうして、現在ねえ、

生き残って、再び会う機会がねえ、現れてきた、


というのはねえ。ほんまに。戦場を生き残ったから


ですよねえ~?ほんまに。ただ、それはねえ、


要するに、僕が入っていた「戦場の世界」

「ヤクザな世界」からねえ、僕が引き上げてねえ、


結局、同志社のねえ、世界に戻った、というのかねえ。

そういうねえ、昔の連中がねえ、再び自分を迎えに

来てくれたのかもしれない…というねえ、なんとなく、

そういう気分もありねえ。


結局、厳しい戦場、戦地から戻ってきたからねえ、


彼らも、僕と再び会うような、状況がねえ、つくれる

ようになったのかもしれない。だから、まさに、

日本は、非常に厳しい大きな経済戦争、

経済大戦がねえ、この25年間であった

わけでねえ。現在は、キヨシもねえ、

郷里におりますね。ほんまに。


だから、これはまた、通過点なのか、


あるいは、もう、生きて戦場から戻ってきた

わけですからねえ。まさに「同期の桜」でねえ。

もう、「戦場に赴くことはない」というねえ、

ことなのかね?ほんまに。


ただ、彼らもねえ、まだ、大手企業の

サラリーマンですからねえ。いろいろと

異動があったりもする、みたいでねえ。

大体はもう、みんな、大きなお子さんが

いてはりますね。ほんまに。


だから、僕はもう戦場から一足早く

引き上げてきているけれどもねえ、

彼らは今からがねえ、大きな戦場

なのかもしれない、ですね?

ほんまに。


同志社の仲間ですからねえ。みんな

大体は、海外に行ってますね。

ほんまに。大体、外国に行ってるね。

ほんまに。国内で、しかも、大阪でねえ、

こんなに長く働いていたのはねえ、

僕だけ、というねえ、感じではないでしょうかね。

ほんまに。みんな、海外赴任していてねえ、

いまも、海外にいる。だから、凄いですよね?

ほんまに。グローバル、ですよね?


まあ、僕だけがねえ、ローカルであった

わけですがねえ。ほんまに。


なのでねえ、まあ、タイミングとしてもねえ、


まあ、もう、僕らは第二、第三の余生ですね?

ほんまに。もう、最前線には立つことがないだろうなあ、

というねえ、終戦からの敗戦、そして、今からの復興をねえ、

どうしていくのか、というねえ、そういう気分ですがねえ。


まあ、お子さんがいて、海外赴任で、というねえ、

彼らはねえ、逆に今からがねえ、大きな出世競争のねえ、

まあ、最後の戦いかもしれませんよね?ほんまに。


なので、まあ、僕はねえ、もう、この世界はねえ、


卒業しているのかもしれないなあ、っていうねえ、

感じになりますね。ほんまに。気分としてねえ。

ほんまに。


卒業したからこそねえ、そうやって、同志社の連中ともねえ、

同期の桜でねえ、再び、この世でねえ、再会する流れに

なった、というねえ~?ほんまに。だから、僕も

生きて帰ってきた、のでねえ。まあ、こういう

集いがねえ、召集されるわけでねえ。


だから、25年前に、自分が長州から京都に

上陸してから、というものはねえ。やっぱり、

僕らは国家動員されていてねえ、それぞれが

経済戦争にねえ、徴兵されて、入れられていた


というね?ほんまに。で、みんな、各地でねえ、

激戦をしてきたのだろうなあ、という風に思えますがねえ。


まあ、そういう、「同期の桜」の会がねえ、もう、

ある、ということはねえ、やっぱり、まあ、一定の

我々の役目というかねえ、戦争に動員された、

従軍していた、というねえ、そういう、国家的な

ミッションはねえ、もう、なんとなくねえ、

終わったのかな、終わっているのかな?


というねえ、感じになりますね?

ほんまに。


だから、これまでは、一切連絡がなかった

わけですからねえ。まさに、戦時中だった、

戦争中だった、というね?ほんまに。で、それが

終わったのでねえ、こうして、集まる機会が

生まれた、というね?ほんまに。


まあ、でも、ここはまだ通過点なのかね?


あるいは、彼らもねえ、それぞれ、結構

大きなグローバル大企業にねえ、従事して

おりますからねえ。いまから、あと、定年まで

十数年ね。もっと、上まで、みんな上がって

いくかもしれない。子育ても、あともう、

わずかである。というね。まあ、そういう

年代になってきておりますからねえ。

ほんまに。


なので、そういう意味ではねえ、

まあ、今年は年初に、中学校の

同窓会もねえ、ほんまに、30年ぶりぐらいにねえ、

あったわけですがねえ。結局、社会で生き延びたなあ、

というねえ、まあ、そういう雰囲気はありましたよね。

ほんまに。


なので、それぞれがねえ、それなりに、厳しい戦局には

置かれていたねえ、四半世紀だったとは思いますがねえ。


まあ、こうしてねえ、生きて戦場から帰ってきた


というのはねえ、「よかったなあ~」という

風にねえ、思いますね。ほんまに。


なので、今後はねえ、まあ、僕ももうねえ、

「業界」は卒業しているのかもしれない、のでねえ。

また、違うねえ、第二の人生、第三の余生、

みたいなものをねえ、こうして、模索しているわけ

でねえ。もう、戦場だった人生では、亡くなっている


というねえ、ことですからねえ。ほんまに。

日本広告陸軍は消えた。消滅した。というねえ、

こと、でしょうからねえ。ほんまに。なので、そういう

従軍・動員履歴はねえ、もう、雲散霧消している


というねえ、ことですからねえ。まあ、もう

安倍レジームにねえ、なっておりますからねえ。

ほんまに。


そうするとねえ、今日がそういうねえ、まあ、

新しい門出のねえ、御祝でありねえ、ほんまに、

今までのねえ、世界とのお別れでありねえ、

卒業であり、ということでねえ。また、四月からねえ、

新しい季節がねえ、始まる。


また、これがねえ、復興経済戦争、かもしれませんよ?


ほんまに?また、なが~いねえ、経済戦争になるかも

しれませんよね?ほんまに。でも、もう、僕らにねえ、

召集令状がねえ、来ることはない、ように思うのですね。

ほんまに。まあ、何かねえ、昔の歴戦の知恵をねえ、

貸して欲しい、みたいなねえ、ことは、まだ少しは

あるかもしれませんけれどもねえ。もう、自分らがねえ、

これ以上、最前線にねえ、また、立ち上る、というねえ、

ことはもう、「ない」ように思いますね。ほんまに。


なので、こちらも、もう、大阪政界にねえ、上がって

おりますからねえ。ほんまに。もう、日本政財界のねえ、

トップと付き合ってるのでねえ。ほんまに。まあ、

だからねえ、なにかあってもねえ、もう、自分らに

そこまで直接の召集令状はかからない、というねえ、

感じではない、でしょうかね?ほんまに。


だから、その意味ではねえ、まあ、僕らもねえ、

もう、「気楽」ですよね?ほんまに。もう、戦争はない、

もう、戦場に立つことはない、というねえ。感じですからねえ。

ほんまに。


結局、従軍し、戦場に立たされる、ということがねえ。

まあ、「業の世界」ですからねえ。ほんまに。それが

「業」だからねえ。ほんまに。だから、「業の世界」

ではねえ、危うく死にかけることもねえ、当然あるんですね?

ほんまに。それはもう、戦場ですからねえ。ほんまに。

戦地ですから。職場は…ほんまに。


ただ、もうねえ、こういう同期会がある、というのはねえ、


生きて帰ってきた証拠ですからねえ。生き残ったんやなあ~


というねえ、ことですからねえ。ほんまに。だから、もうねえ、

二度と自分らがねえ、最前線にねえ、送り込まれることはねえ、

もう「ない」のではないのか、あれほど、厳しかった経済大戦はねえ、

もう、二度とない、のではないか?というねえ、気がしておりましてねえ。

ほんまに。


まあ、それがねえ、もし、またあるのであればねえ、それはもっと

早くねえ、自分には何かの召集がねえ、かかっているでしょうからねえ。


それがもう、四年も五年もないのでねえ。だから、もう、それはねえ、

きっと、俺には「ない」んだろうなあ、というねえ、気がしますね?

ほんまに。生きて戦場から帰ってきた。そして、同期の桜がねえ、

謳われる、というねえ。まあ、そういう、今夜の光景でしょうね。

ほんまに。


だから、彼らもねえ、もう、きっと、自分らが最前線ではもう

ない、でしょう?ほんまに。それを確認するためのねえ、

そういう、思い出の同窓会、同期会であった、のでは

ない、でしょうかね。ほんまに。


なので、今年は、結構そういうのが多いですね。

ほんまに。


まあ、後厄の42歳では、同窓会が多い


というのはねえ、あるらしいのですがねえ。

今年は、やけに、そういう動きは多いですね。

ほんまに。


なので、まあ、集まっている顔ぶれを見るとねえ、


それは、その時代の大勢の中のねえ、ごく

一部だったりしますけれどもねえ。「お~、お互いに

無事だったか…元気だったか?」というねえ、

感じになりますね?ほんまに。かといって、

この四半世紀のねえ、長い経済戦争の中に

おいてはねえ、同じ戦場にいた人間はもう、

少ないわけですからねえ。同窓生ともねえ、

思い出はもう、まったくない。ほんまに。


だから、学生から召集令状がかかる前に


触れ合っていた、一瞬の青年時代ですからねえ。


その時の思い出しかない。ほんまに。まあ、

そういうもの、ですよね?ほんまに。だから、

「おお、生きて残ったんだなあ?凄いなあ~?」


みたいなねえ、印象を受けますよね。それぞれにねえ。

ほんまに。


だから、ああ、あそこがねえ、召集令状だったのやなあ、


という風にねえ、まあ、学生時代のねえ、起点をねえ、

思い返しますね。ほんまに。あれが「戦争に行く前」

だったなあ、というねえ。感じですよね?ほんまに。


これはもう、昔も変わらない、今も変わらない、

というね?ほんまに。


だから、もう、四月からは新入生が入るしねえ、

新卒が入ってくるでしょう?ほんまに。社会にまた

新しい世代がねえ、入ってくる、わけでしょう?

ほんまに。


だから、僕らもまたひとつ、上のステージにねえ、

行くしねえ。もう、あんまりねえ、自分の周囲ではねえ、

そんなに「激しい戦い」はねえ、起きないようにねえ、

思いますね?ほんまに。


まあ、そんな戦いがあるほうがねえ、珍しい


といいますかね?ほんまに。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


だから、僕らもねえ、まあ、所定のねえ、戦争はねえ、

終わった、というね?ほんまに。所定の従軍は終わった、

終了した、というね?ほんまに。だから、それだけ、

自分は戦歴がよかった、戦いの成績がよかった、


というねえ。ことだったんでしょうからねえ。もう、

そういう、戦場はねえ、生きて卒業した、という

風にねえ、まあ、なるのかもしれない、ですよね?

ほんまに。だから、人様より、半分の時間でねえ、

戦場を終えているわけですからねえ。凄い早い、

ですね?ほんまに。卒業が凄く早いですね?

ほんまに。そこまで、出世が早かった、というね?

ほんまに。


なので、もう「戦後」である。というねえ。


ことですからねえ。ほんまに。まあねえ、また

アベノミクスからねえ、形を変えたねえ、そういう

経済大戦、経済復興はねえ、まあ、また始まっていく

のかもしれないけれどもねえ。もう、僕らがねえ、

そういう「最前線」にねえ、呼ばれることはねえ、


もう「ない」ような、気がしますね。あったら

こんなに休んでない、と思いますからねえ。

ほんまに。だから、もう、基本的には、そういう

従軍カルマはねえ、自分はもう、終わっている


というね?


ほんまに。で、もう、若いねえ、新入りのねえ、

従軍カルマを背負っているねえ、若者たちがねえ、

まあ、ようけおるわけですからねえ。彼らにねえ、

今度は戦場に立ってもらう、というねえ、まあ、

そういうことにねえ、なるのではない、でしょうかね。

ほんまに。


あの、三浦カズヨシ選手のねえ、息子さんもねえ、

いよいよ、ブラジルに渡ったらしいですね?

ほんまに。もう、15歳なのだとかね。

ほんまに。早いもんです。僕らが若い時代にはねえ、

お父さんのカズさんがねえ、「ブラジルに渡った」


みたいなニュースがねえ、まあ、小さく流れていた

ようなねえ、まあ、そういう時代でしたがねえ。

そこから、90年代にJリーグが出来てねえ。

まあ、最初はJリーグも良かったけれどもねえ。

すぐに、失速してしまってねえ。今はもうねえ、

野球もサッカーもねえ、あんまり、人が見たがる

ような、レベルではない、ような気がしますね。

ほんまに。まあ、俺がまったく、そういう

ものにねえ、関心がないだけ、かも

しれないけれどもねえ。ほんまに。


Jリーグが出た時はねえ、まあ

凄かったわけですがねえ。ほんまに。


いまは、Jリーグの宣伝はゴン中山氏が

していてねえ、プロ野球の宣伝はねえ、

桑田・清原コンビがねえ、されてます

けれどもねえ。まあ、僕らの時にはねえ

彼らがまだ、高校生だったわけでねえ。

ほんまに。


それがもう、今はねえ、次の世代の

監督候補ですからねえ。ほんまに。

なんか、巨人軍にもねえ、原監督の

親戚みたいなのが、いるんでしょ?


今日、母に聞きましたけれどもねえ。


俺はもう、まったくといっていいぐらいねえ、

この、25年間は、広告以外のねえ、

関心はなかったのでねえ。ほんまに。


ただ、ダンスをやっていたのでねえ。

多くの芸能人らはねえ、そういうダンスクラブでねえ、

面会してきたのでねえ。ほんまに。まあ、人気の

サッカー選手とかともねえ、そういうところでねえ、

お会いしたりしていたのでねえ。まあ、スポーツは

ぜんぜん見なくなりましたけれどもねえ。まあ、

時が移る早さを感じますね。ほんまに。


僕らの同窓生もねえ、もう、誰がどう

見てもねえ、企業のええおっさん、ほんまに、

役員の手前ぐらいにいる、お父さん、というねえ、

感じでねえ。ほんまに。みんな、あんだけ若かった

のにねえ。もう、その面影は、あんまりないなあ、

っていうことでねえ。ほんまに。まあ、それがねえ、

一瞬でねえ、四半世紀なり、30年過ぎ去った

というねえ、ことですよね?ほんまに。


だから、その間のねえ、歴史がねえ、

歴史的にもねえ、多くは塗り替えられているしねえ。

書き換えられている部分がねえ、多々ありますからねえ。

もう、そういうねえ、「戦時中」のねえ、話はねえ、

みんな、嘘か本当かわからないねえ、「伝説」の

逸話、エピソードにねえ、もう、昇華しています

のでねえ。ほんまに。なので、僕もねえ、

「いまは、なに、やってるの?」って、

言われたらねえ、「商社顧問」をやってる、

「企業顧問をやってる」という風にねえ、

まあ、言うかもしれませんね。ほんまに。


企業参謀をやってる


という風にねえ、まあ、言うかもしれませんね。

ともかくねえ、そういう、卒業を経てねえ、また、

新しい業を背負った新人たちがねえ、世に出てくる。

で、古い人はねえ、この世を卒業していく。

というねえ。流れにねえ、もう、入ってますからねえ。

ほんまに。なので、僕らもねえ、また、ひとつねえ、

位が上がってねえ、四月からはねえ、また、

ひとつ上のねえ、ステージにねえ、自然と

学年が上がるわけですからねえ。ほんまに。


まあ、もうねえ、自分も悠悠自適だなあ、


ということでねえ。ほんまに。滅多に戦場に

立つことはないしねえ。まあ、戦地に入ることも

少ない、ですからねえ。ほんまに。まあ、もうねえ、

死ぬまでのんびりしていてもねえ、いいようにも思いますね。ほんまに。ピース!