ふっくらした胸に、わずかにくびれた腰-。滋賀県東近江市永源寺相谷町の相谷(あいだに)熊原(くまはら)遺跡で見つかった土偶は、豊満な女性をリアルに表現したまさに1万3千年前の“縄文のビーナス”だった。子孫繁栄や安産のシンボルといわれる土偶。スタンプほどの大きさしかない超ミニサイズの土偶に、古代人たちの深い祈りが込められていた。

 今回の土偶は、なぜか頭部が表現されていなかった。首の部分に1ミリ大の穴が空けられていたが、調査担当の県文化財保護協会によると、現代のひな人形のように頭部を棒ではめ込んだものではなく、穴を空けることで頭部そのものを表現した可能性があるという。

 縄文時代初めに誕生した土偶は当初、頭部の表現がなく、胴体が中心なのが一般的。頭や顔より乳房が強調されていたことから、子孫繁栄を願うシンボルだったとされる。顔が明確に表現されるのは縄文時代中期(約5千年前)になってからという。

 縄文時代に詳しい渡邊昌宏・大阪府教委参事は「とても小さい土偶で、女性がお守りとして肌身離さず大切に持っていたものではないか」とし、「今回の土偶は特に乳房が大きく表現されており、『乳がたくさん出ますように』と祈っていたのかもしれない」と、1万3千年前の縄文女性の心情に思いをはせる。

 当時の日本列島は、氷河期の終焉(しゅうえん)とともに海水面がしだいに上昇し、それまで中国大陸と陸続きだったのが現在の姿になったころとされる。ただし、地質学者らの研究によると、土偶や竪穴住居跡が見つかった約1万3千年前は、地球規模で再び一時的に寒冷化し、現在より平均気温が10度以上も下がったとの説がある。

 こうした気候変動に着目するのが泉拓良(たくら)京都大大学院教授(考古学)。「急激な寒冷化によって、縄文人は寒さをしのぐため、深さが1メートルもある半地下式の竪穴住居を築くようになった」とし、「深くて大きな竪穴住居を築くには集団で作業をしなければならず、人が集まることで新たな文化が芽生え、土偶が生み出されたのではないか」と推測する。

 さらに、深さ1メートルを超える竪穴住居は、世界的にもシリアで出土した約1万2千年前が最古級とされ、泉教授は「今回の住居跡は国内どころか世界的にも極めて古い」と指摘した。

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