山崎正友氏(元創価学会顧問弁護士)に狂言信者が跳梁!


~慧妙昨年号からの引用です~


創価信者が遺体を10台の車で追跡、文書や嫌がらせ電話も!


去年、12月29日、本紙(慧妙)にも健筆を揮ってきた元創価学会顧問弁護士・山崎正友氏が逝去された。

山崎氏はかつて、池田大作の側近として、創価学会副理事長・総務などの要職を歴任、学会顧問弁護士として辣腕(らつわん)をふるったが、昭和52年に表面化した第1次学会問題の最中、対立する側の日蓮正宗御法主・第66代世日達上人の御高徳にうたれ、池田側近でありながら学会批判に転じた。


そして、かつて山崎氏らが北条浩(第4代会長。故人)の決裁のもと、組織ぐるみで行った共産党宮本委員長宅の盗聴事件を暴露するなど、激しい内部告発を展開したのである。

学会の組織は大揺れに揺れた。それはそうだろう、学会が日蓮正宗宗門を支配しようと企んでいた仏法上の大諦法をはじめ、対立政党の委員長宅を盗聴していたことなど、次々と悪事が露呈(ろてい)して、連日のようにマスコミを賑わしたのだから。

これによって窮地(きゅうち)に陥った池田大作の側は、必死の巻き返しを行ない、その狡猾(こうかつ)な策略と讒言(ざんげん)によって、あろうことか山崎氏は日蓮正宗からも離反してしまう、という不幸な事態となってしまった。

さらに、創価学会から恐喝罪で告訴され、山崎氏は一貫して無実を主張したものの、学会側で用意した多数の証言の前についに2年2ヶ月の実刑判決を受ける身となってしまったのである。


平成5年に出所した山崎氏は、幾度もの再折伏を受けて自らのほうぼうに気付くことができ、平成6年12月、第67世日顕上人にお詫び申し上げて、日蓮正宗理境坊信徒として復籍を許された。

以来、再び学会批判に立ち上がり、今日までの14年間、多数の書籍を物してきた。

かつて山崎氏の内部告発で深刻な影響を受けた池田大作はこの山崎氏の動向がよほど恐かったらしく、まるで世の全ての学会批判を山崎氏が起しているかのごときヒステリックな反応を見せ、学会機関誌には山崎氏への悪口雑言が並ばぬ日はなく、また氏の周辺には常に大勢の謀略要因見張りとして張り付くほどであった

だが、そのような攻撃もどこ吹く風で、山崎氏は平然と学会批判を貫いたのである。

そして、ここ数年、山崎氏は「今までの人生で、これほど安らかな心で過ごせたことはありませんでした。本当にげいかのおかげです」と、幾度も口にし、また筆にもしていたが、その言葉どおり、氏の最期は本当に安らかで、満足しきったものであった。


昨年12月29日、山崎氏の遺体を乗せた救急車や葬儀社の車を、深夜まで10台もの車で追跡したり、「地獄行き」などと書き殴った怪文書を出し、1月5・6日の葬儀当日には、嫌がらせの電話や電報を会場に入れ続けた狂言者集団の面々・・・・・・。

彼らは、学会の副会長・総合婦人部長といった大幹部らの死亡がすぐには公にされず、一般の学会員達の知らぬ間に火葬まで済まされている、という事実と、片や、山崎氏の葬儀には多数の人が入りきれないほど集まって最期のお別れをしている、という事実を引きのべ、自らの信仰に何の疑問も抱かないのだろうか。ならば、次の御金言をよくよく拝すべきであろう。


「人は臨終の時に、地獄に堕つる者は黒色となる上、其の身重き千引の石(いわ)の如し。善人は設ひ七尺ハ尺の女人なれども色黒なれども、臨終に色変じて白色となる。又軽き事鷲毛(がもう)の如し、軟らかななる事兜羅綿(とろめん)の如し。」(御書一二九0頁)

「なにとなくも一度の死は一定(いちじょう)なり。いろばしあくして人にわらわれさせ給ふなよ」(御書九八二頁)


                                  ・・・・・以上引用ここまで


創価学会の集団ストーカー日記

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創価裁判官と創価弁護士から嫌がらせが!


以前に住んでいた借家の立ち退きの件で、多額な損害賠償請求裁判をされております。


原告の弁護士は、関口徳雄という、明らかに嫌がらせ目的で悪意のある弁護士で、

このような小さい件にも関わらず、法廷で弁護団が2名も来ての裁判に望んでおります。

この関口弁護士は、メーソン系「浦安ロータリークラブ」にも入っております。


そして、私たちのような、集団ストーカー被害者は、弁護士以外にも、裁判官や書記官まで創価信者で固められて、絶対に勝ち目がないような工作までしてきます。


一応担当裁判官の名前を公表しておきます。


竹内 努 裁判官です。


この裁判官も、最初から原告よりの感じです。

恐らく、創価在日帰化人でしょう。


来月に判決が出たらまた詳しくお伝えしたいと思います。





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