普段は誰も気に留めないような目立たない存在。

見回せば、私たちの周りには、そのようなものたちが数多く存在しています。

あわただしい日々の生活の中では、そのような「小さきもの」や「名もなきもの」、「かそけ(幽)きもの」たちは、あまり意識されることもありません。

でも、すこし目を凝らして見てみると、その姿形(すがたかたち)の可愛らしさにふと気づく。

今回ご紹介する大伴家持(おおとものやかもち)の歌は、そんな瞬間をとらえているように感じます。

物部(もののふ)の 八十(やそ)少女(おとめ)らが 汲(く)みまがふ 寺井(てらい)の上の 堅香子(かたかご)の花 (万葉集 巻十九 4143)

【読み方】 もののふの やそおとめらが  くみまごう てらいのうえの かたかごのはな (現代仮名遣い)

【大意】早春の朝、たくさんの少女たちが、お寺で入り乱れるように水を汲み合っている。そんな井戸の傍(かたわら)に、ひっそりと咲いている可憐な堅香子(かたかご)の花よ。

【語釈】○物部(もののふ)の : 「八十(やそ)」にかかる枕詞(まくらことば)。「もののふ(武士)」の「氏(うぢ)」の数が多いところから「八十(やそ)」「五十(い)」などにかかる。 ○八十(やそ) : 八十(はちじゅう)。数の多いこと。 ○少女(おとめ)ら : 少女(おとめ)は年若い女性。未婚の娘。  ○汲(く)みまがふ : 多くの人が入り乱れて水をくみ合う。 ○寺井(てらい) : 寺の境内のわき水。または、井戸。 ○堅香子(かたかご): 植物の名。カタクリの古名。花の形が籠(かご)に似ており、早春の頃、薄紫色の花を、頭を垂れるように下向きに一つだけ咲かせる。

 

           かたかごの花(写真)

 

この歌は、前回『大伴家持の歌-なでしこの花』の記事でとり上げた歌と同様、家持の越中(えっちゅう)赴任時代に詠われたものです。作られたのは、 天平勝宝(てんぴょうしょうほう)二年(西暦750年)の3月2日。 家持が33歳のときです。

ところで、万葉集には、梅、桜、萩(はぎ)、すみれ、椿(つばき)、 百合(ゆり)、橘(たちばな)など、数多くの花が詠われており、その数はおよそ1700首にも上ります。

しかし、万葉集4516首の中で、この「堅香子(かたかご)の花」を詠んだ歌は、なんと家持のこの一首しかありません。

多くの歌人たちが、好んでとり上げるような名だたる花ではなく、誰一人とり上げないこの堅香子(かたかご)の花を詠ったところに、家持がこの花の無言の佇(たたず)まいの中に何かを感じとり、深く心を動かされたことがわかります。

歌の舞台は北国の早春の朝。

澄みきった空気の中、湧き水のあるお寺の境内には、多くの少女たちが入り乱れるように水を汲み合っている。甲高い話し声や笑い声が飛び交い、身につけている鮮やかな衣(ころも)の色彩が入り乱れ、辺(あた)りはとてもきらびやかで賑(にぎ)やかな活気にあふれている。

「八十(やそ)少女(おとめ)らが 汲(く)みまがふ」という言葉が、そんな情景を的確に描写しています。

こうした光景をじっと眺めていた家持には、生まれ故郷である奈良の都で幾度となく見た、宮女や采女(うねめ)たちの集(つど)う華麗な姿が、これらの少女たちに重ね合わされて、脳裏に去来していたのかもしれません。

しかし、ここで家持のカメラ(視点)は、にわかに水汲みの少女たちから横方向にパン(旋回撮影)を始め、井戸のほとりに咲く一輪の堅香子(かたかご)の花に焦点を合わせます。

 

 

上の写真を見てわかる通り、堅香子(かたかご)は、早春、薄紫色の籠(かご)のような形の花を、深く頭を垂れるように、下向きに一つだけ咲かせます。

薔薇などのような、原色の色彩感をあたりに強烈に放つきらびやかな花々とは異なり、とても控えめで、見ようによっては、どこか憂いを含んでいるようなもの悲しげな様子を、ひっそりと漂わせているように見えます。

 

そこに、そこはかとない奥ゆかしさや清楚感が感じられ、見る者に、守ってあげたくなるような何ともいえない可憐さ、可愛らしさを感じさせる不思議な魅力があります。

そうした堅香子(かたかご)の花の物静かで慎(つつ)ましやかな佇(たたず)まいは、歌の前半に描かれた賑(にぎ)やかな少女たちの躍動感あふれる情景と映発し、映像的に強いコントラストを作り上げており、この歌の味わいを、奥深く立体的なものにしているように感じます。

あたかも、皆で楽しげに水を汲みあう少女たちの賑(にぎ)やかな集(つど)いを、羨(うらや)ましそうに、少し離れたところから一人静かに無言で見つめている。そんな大人しげな少女の姿が目に浮かぶようです。

家持の心は最終的に、水汲みの少女たちの躍動感ではなく、この堅香子(かたかご)の花のもつ静謐(せいひつ)な魅力に引き寄せられていきます。

彼の鋭敏で繊細な感性は、この堅香子(かたかご)の花のような、誰も気に留めない目立たない存在の中に微かにきらめく光を、決して見逃しません。

 

誰もが見過ごしてしまうような陰りある花の瞬間の美を、その高感度のカメラでとらえ、映像美あふれる見事な詩的世界として歌いあげることに成功しています。

 

そして、こうした外界の微細な変化に気づく目は、この歌だけでなく、家持の詠んだ他の多くの叙景歌にも一貫して見い出されるもので、彼の歌全体を貫く強い個性になっているように感じます。

 


いつも下を向いて、一人ぼっちで咲いている堅香子(かたかご)の花。

でも目を凝らすと、その憂いを含んだような寂しげな表情の中に、凛とした孤高の気高さのようなものが、そこはかとなく感じられる気がします。

楚々(そそ)としたその陰りある美しさは、もしかしたら家持が心の奥底に常に抱えていた孤愁(こしゅう)、すなわち「存在の悲しみ」ともいうべき、人間存在が宿命的に持つ底知れない孤独感と強く共鳴し、けなげに咲く堅香子(かたかご)の花の姿に、彼自身がむしろ励まされ、救われたように感じたのかもしれません。

 

その意味で、家持にとってこの堅香子(かたかご)の花との出会いは、何か運命的なものを感じさせる特別なものではなかったのか。この歌を虚心に読むと、私にはそう感じられてなりません。


注:家持の感じていた孤愁ついては、『大伴家持の歌-存在の悲しみ』や『大伴家持の歌-光と色彩の美』の記事でも言及しています。

 

今を去ること1300年の昔、北陸越中(えっちゅう)の泉のほとりで起こった、大伴家持と一輪の堅香子(かたかご)の花の出会い。

両者の間で生じた、その瞬間のときめきは、今を生きる私たちに何を語るのでしょうか。

 


江戸時代の国学者 本居宣長(もとおりのりなが)は、「もののあはれ」について次のように言います。

「世の中にあらゆる事に、みなそれぞれに物の哀(あは)れはあるもの也(なり)。」(『紫文要領』)
「物の哀(あはれ)という事は、万事にわたりて、何事(なにごと)にも其事(そのこと)其事につきて有物也(あるものなり)。」(同上)

これによれば、「もののあはれ」は、人間の情感に先行して、あらゆる「物(モノ)」や「事(コト)」に、その固有な存在様式として、あらかじめ遍在しているものなのです。

ということは、私たちは日常の刹那刹那に遭遇する「小さきもの」や「名もなきもの」、「かそけ(幽)きもの」たちの中に、「もののあはれ」という一瞬の光を見い出すことができるのだと思います。

ふり返って、普段の時間に追われるせわしない生活の中では、これらの些細(ささい)な名もなき小さなものたちは、無意識になされるレッテル貼りや価値判断(すなわち「漢意(からごころ)」)によって、低く見られたり切り捨てられてしまいがちですが、その「些細で小さなこと」の気づきの中にこそ、人が生きていく上で最も大切なことが秘められているような気がします。

人の生きている証(あかし)というものがあるとしたら、もしかしたらそこにしかないのかもしれません。

家持が名もなき堅香子(かたかご)の花の中に微かな美を見い出したように、私自身も、些細な「物(モノ)」や「事(コト)」の中に小さな光を見い出す気づきの瞬間を、少しでも積み重ねていけたらと思います。

自分にとって「生きる」とは、畢竟、それにつきるのではないかと思います。

長くなりましたのでこの辺で。