やっとわかった
「現実」生成のしくみが。
いわゆる「引き寄せ」「願望実現」を発信している人たちが一様に声高に言い続けている事柄が、
私の体感と照らし合わせてやっと落とし込むことができた
以下は備忘録として残す
****
「現実」生成のしくみが
信念・意図=現実の素 である以上
↓
Aという信念⇨Aという現実(物質化)
は厳然として変わらない
(これがよくいう「そう思えば、そうなる」という構図)
A信念が(心配とか不安などからくる)望まない思い込み・信念なら
当然、そのまま「望まないA現実」が出現するだけ
ただそれだけの仕組み
なので、
最初の起点の
現実生成の素 になる
A信念を⇨(自分に都合のいい)B信念 に切り替える必要がある
切り替える にあたり
そこに一切
自分への善悪の感情・ジャッジ、それらによる具体的な対処は必要ない
(この善悪の感情・ジャッジなどをエゴと巷では表現されている)
例えば
ある人と喧嘩した(A現実)
⇨喧嘩した私は悪い、大人気ないから仲直りしないといけない(自分への善悪感情・ジャッジ)
これ☝️は実は「現実の変化」には直接関係しない
それよりも先に
喧嘩した相手を自分はどう捉えていたか(A信念)を見つけだす
あの人は エコ贔屓する人
注文が多い人
偉そうで気に食わない…などなど
果たして、本当にその人は全てそうなのか
自分もそうだが、人はいろんな面を持っている
たまたま過去にその人から嫌な思いをしたことから
「この人はこんな人(A信念)」とその人への捉え方を固定した
だから
最初の A信念⇨A現実 が
ことあるごとに発現してる、ということ
(むしろ感情は現実と切り離して分けて考えるのが肝)
であるなら、A信念を持つに至った傷ついた私の心(感情)の持っていきどころをどうするか
ここで☝️癒しの作業が必要になってくる
(巷では「インナーチャイルドを癒す」と表現されている)
そこから
ひたすら心の声を聞きまくりヨシヨシをしてあげる。
罵詈雑言を紙に書きまくるもよし、
こんな悔しい思いをした、悲しい思いをしたと喚く心をひたすら聞いて
よく耐えたね、偉かったよと共感してあげる。
吐き出すこと、その感情を認めることで心は落ち着き、スッキリする
で、気持ちがスッキリすると
「私がA信念を持っていたからA現実が発現した。『嫌な思いはもう十分した』
現実は信念がそのまま発現する仕組みなんだったら、私に都合のよい信念(B信念)にすれば『気分良くいられて』良いんじゃね?(⇦割り切れてる)」
という思考に比較的すんなり移れるようになる
ここで心が十分スッキリしていないと
「でも、私はあの時あんなことされたし、言われたし、腹たったし、悲しかったし、なんならこいつ死んでまえっ💢って思ったし…」と心暴走エンドレス…
A現実に心がビッタシひっついて離れない
(A信念を握りしめている状態)で、信念を変える方向に移れない
A信念を握りしめたままの中途半端な状態で相手に謝りにいった(収拾に動いた)ところで根本のA信念が変わっていない限り、この先も現れる現実に改善の変化は見込めない。
今度は人やシチュエーションを変えて同じようなことがまた現実になって現れる
だから、納得もしてないのにむりやり収拾に動くよりも自分の信念の書き換えが先
(気持ちが進まないのに分別あるいい人を無理にしなくていい)
会いたくなかったら無理に会わなくていい
(B信念に切り替わったら、
会っても会わなくってもどっちでもいいや〜
な気分に変わってる(抵抗が減ってる))
で、握りしめてることに気づいて「A信念を(自分に都合のいい)B信念に変える!」と「自分の在り方」を決めると、
B信念⇨B現実 の仕組みが発動し
相手の態度がだんだんB信念に沿った方向に変わっていったり、または「A信念を持っていることを知らせる役回り」が終わったためなんとなく縁が切れていく方向になる
どっちになるかはわからない
こんな流れだ
現実を変えるには
思考・思いこみ を変えるだけなのだ
そこに現実との整合性・辻褄が合う必要はなく
どこまでも
自分に都合のいい思いこみ(仮にB信念とする)でよい
自分に都合のいい思い込み(B信念)が身体に馴染む(当然な気分の状態)まで持ち続けることで、ある日それが目に見える状態で発現する
(B信念⇨B現実((物質化))
(だから「アファメーションを繰り返す」というやり方があるのだ。または、「想いに居続ける」と表現する人もいる。)
「言い続ける」ことでだんだん自分がそうであるような気分になってくればOK
「ただ言い続ける」というより、「自分の在り方を決め直す・決意する」という感じ
こうなると日頃の行動に変化が現れてくる
例えば自分は"スタイルがいい"とアファしたとする。
(ここでは敢えて"ダイエットに成功した"というアファにはしない。なぜかというと、ダイエットする、ということは、"スタイル良い美しさを得る"ということが最終目的なので、
痩せること=美しさ に100%直結するかというとそうでもなく、
ダイエットに限定すると程度の問題が出てくる。
そうなるなら、最初から"スタイルがいい"という最終目的の方が美しさの全てを包括しているので間違いがないからだ)
言い続けることでそのアファが身体に馴染んでくると、
「自分は"スタイルがいい"のだからこんな時間に食べまい」
「"スタイルがいい"のだから脂っこい食事は控えよう、腹八分にしよう」
「"スタイルがいい"のだから姿勢良くいよう」
「"スタイルがいい"のだから綺麗な筋肉も必要、それなら運動だし、そうだ、ジム行こうかな」
こんな感じで
日頃の行動がガンガン変わっていく
⇨結果、"ダイエットも成功"してるし、"スタイルのいい私"が出来上がる
もし、仮に「痩せにくい現実」がそこにあったとしても
そこには「姿勢のいい健康的な・肉感的で艶っぽい美しさ」の、
「スタイルのいい私」がいるはずだ
"美しさ"にはいろんなタイプがあるから
「痩せない」ことが即、失敗ではない
「美しさの定義」を広く持つことも大事だ
一見、望まない現実に見えることにも何かしらラッキーな点が隠れていたりするので、そこを見つけ出し、むやみに気分が下がらないようにすることが大事
ただし、自分の中に微かでも
ほんとかな(叶わないんじゃないの)という思い・疑いを持ちながら(それには目を瞑って)「言い続けて」も
「自分の在り方」が定まらないからエネルギーがとっ散らかってなかなか現実化(物質化)しづらくなる方(即ち不安の方向)に傾き、
結局不安に思ったとおりの「叶わない」現実がお目見えする
不安や疑いは出てくるのは自然なこと
(あ〜不安を感じてる)とそれに気づいて認める。
感情って(気づいてる人も多いだろうが)受け止める、認めるとなぜか落ち着いてくる
受け入れてから、「でも私は〜の在り方を採る」と「在りたい自分」に舵を切り直す必要があるのと、もし、何度も同じ望まない現実が起きるなら、その望まない現実に自分は実はなにか別のメリットを感じていないか探す作業が必要になる。
例えば
「いつも振られてばかり」
⇨メリット:
*(振られたら)自分を変えなくて済む
*(いつも振られる)不幸な私ってかわいそうモードに浸かる→慣れ親しんだ自己憐憫パターン
*今までと同じ現実(変わり映えしない現実の延長)→変化はなくとも生きてこれてる現実は(既に今自分が置かれた条件下での)安定した世界。
(仮に叶ったことで)その安定した現実が揺れ動いたらどうなるか怖い
…など、上げたらブレーキになるようなメリットはたくさんある
要は「変化するのが怖い」
他のブレーキになる思考として
*私は綺麗じゃない・もてない
*私は収入が少ない
*私は収入が多いから相手は金目当てで近づいてきたのかも
*私は若くない
*私は若いから頼りないと映るかも
*今は良くてもどうせまた、振られる
など、立場が違えばブロックになることも様々
そのメリットはどういう信念・思い込みから派生しているか、
その信念はこれからも必要なのか、
思い込んでいないか、丁寧に疑って見る必要がある
無意味で必要がないと気づいたらそのブロックしているA信念をやめ、より自分に都合のいいB信念に入れ替えていく
入れ替えたらそれが体に馴染むまで意図し続ける
(居座る)
の繰り返しだ
あと不安になってたことが現実化してしまうと「そういう思考してますよ」と現実で見せてくれてるだけなのだが、そこにずーっと意識を置いていると苦しくなるので長くいないほうがいい
苦しい・重い感じの思考は気持ちの良い・軽い感じの思考より(感覚でわかると思うが)重くなるほど現実化・固まる(物質化)のがはやいので気をつけたい
そんな時は
そこから意識を離して考えか深まらないように、気が紛れて気分が軽くなることに意識の焦点を動かす
気分が軽くなる、よくなることを意図し続けると結果的には深手にならない
元々あったA信念をB信念にできたなら望まないA現実ループがそこでストップすることになる
願望実現 というのは 言い方を変えると
ひたすら「自分の在り方」を決める作業なんだ