市の北西、犀川河口から日本海に面する金石(旧金石町:1943年金沢市に編入)は、古来より宮腰(みやのこし)とよばれた港町です
当地より北東にある大野とともに、藩政時代には、北前船(日本海側の物資を瀬戸内海経由で大坂や江戸に運ぶ船)の廻船業で栄えました
「金石(かないわ)」とは、一時、宮腰と大野が合併したときに新たに用いられた地名であり、やがて大野地区が大野町へと改称すると、宮腰地区のみが金石と称することになりました
そもそも両港町は近隣であり、両方の港は「大野荘津湊」と総称されてもいます
宮腰の廻船業における重要人物は、銭屋五兵衛です
問屋も営み、日本各地で取引し、出店も多くもち、多額な利益をあげ、果てには加賀藩の御用船を一手に支配するなど、藩の財政を左右するほどの力をもちました
※金石港と近辺はこちら
http://ameblo.jp/jjojoe/entry-11985912502.html
金石街道の金石入り口辺り
金石街道(宮腰往還)は、港からの物資を城下へと運ぶために江戸初期に藩が設けた約五キロメートルの道
藩政期からある数少ない直線道です
しかし、古い家屋が見られるのは、城下側とここ金石のそれぞれわずかな区間です
金石警察署として建てられた昭和の洋館
最も商家(町屋)が連続しているところ
平屋をはじめ低町屋が多くみられます
日当たりの関係上、片側ずつ取り上げていますので、もう片側は違う回で
古い家屋のほとんどは金石西にありますが、
海禅寺
銭屋金五兵衛の像が立つ金石銭五公園
金石北から大野へとつづく海浜にある、金石大野やすらぎの林
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