• 12 Feb
    • 雨にも負けず・・

      昨日の法華講の会合で次のような詩を朗読しましたら 好評をいただきました。   ○の部分は内輪の言葉なので伏せましたが、 もし読者様の参考になればと思い掲載することにしました。   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   雨ニモマケズ 風ニモマケズ ○○○○○○○○ニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 折伏以外の慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル   一日に朝夕の勤行と 一時間以上の唱題に励み   アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ   毎日毎週の寺院参詣・活動を忘れず 東ニ病気ノ知人友人があれば 行ッテ折伏をしてやり 西ニツカレタ学会員がいれば 行ッテソノ謗法に気づかせ 南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテ最期まで唱題が大事といい 北ニ怨嫉や愚痴を言う人あれば ツマラナイカラヤメロトイヒ   たった一人の折伏成就のトキでも みんなで歓びのナミダヲナガシ 結果が出ないときは唱題で乗り越え ミンナニ○○○○○○頑張たねト言わレ 大いにホメラレ クニモサレズ   サウイフ講中ニ ワタシハしタイ   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   いかがでしょうか。 なぜこの替え詩になったかといいますと、 実は、 私の今の心境を発表するにあたってメモを取っていましたら 「負けずに」というキーワードが頭に浮かんできました。   それで、宮沢賢治の詩ということになったわけですが、 妙にしっくり行くわけは、 宮沢賢治自身法華経を信仰していたからといえるのではないでしょうか。   彼は富士の正統門流(日蓮正宗)を知らなかったようなので、 正しい信仰をしていたわけではありませんが、 替え詩を作りながら思ったことは、 仏教(法華経)の精神の片鱗が感じられることでした。   どうぞ、私の替え詩、よかったらご自由にお使いください。 また、あなたも替え詩を作ってみてはいかがでしょうか。      

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  • 10 Feb
    • 哀れな学会員

      先日、およそ30年前にお世話になった学会員宅を訪ねました。   アポなしにも関わらず、 会いたかったご夫婦ばかりかお嫁に行った娘さんにも会うことができました。   娘さんに会えたわけは、 お母さんが最近足を切断して不自由をしているからということでした。   突然の訪問にも関わらず私たちを温かく迎え入れてくれました。 そして、3人共元気なのが何よりも嬉しく思いました。   しかし、口にすることは流石にできませんでしたが、 厳然たる謗法の現証ではありませんか。 にもかかわらず、 「足を切ったくらいでよかったわ。」 と言うのは何か変です。   折伏が始まると、 そのことに気づいたのか 奥さんはいつの間にか引っ込んでしまい、 とうとう私たちが帰る時になっても姿を現しませんでした。   その代わり、 旦那さんと娘さんが、ああ言えばこう言うで 自称「バリバリの学会員ですから。」と言う通り、 まるで現証に気付いてない様子。   師匠が師匠だけに、弟子のかれらも 自分たち学会の考えを基準に血脈に対しケチをつける 不信謗法でしかありません。   問い詰めると、 「もう平行線ですね。互いが正しいと思ってるわけだから。」と。 私はそれに対し、 「いいえ、あなたも昔正しいものはひとつしかないと教わったはずです。」 と否定して続けようとしましたが、 「お帰りください。」となってしまいました。   やはり、甘い折伏だったと反省しています。 怒らせてしまうくらいの強折をしなければ 本当の慈悲とは言えないかもしれません。   もっと早く訪問するんだったと思いました。 もう一度訪問して誤りに気づかせてあげたい と思います。  

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  • 03 Feb
    • だれが言い出したか?「パワースポット」

      テレビでは、この頃しばしば 「パワースポット」なる言葉が飛び交っている。   そして、ミーハーさんたちは、 まんまと口車に乗せられて 「パワースポット」に出かけていく。   言い出しっぺは、 儲けを狙った神社仏閣か 儲けを狙った出版社か?   それは、ちょうどハロウィーン、サンタクロースやクリスマス、 恵方巻きにバレンタインなどの騒ぎと似ています。   「パワースポット」なる言葉に 騙されてはいけません。   御本仏 日蓮大聖人は   「世皆みな正に背そむき人悉ことごとく悪に帰す。 故に善神国を捨てゝ相あい去り、聖人所を辞して遠らず。 是ここを以て魔来たり鬼き来たり、災さい起こり難なん起こる」   と仰せです。   「正」たる正法(=法華経)に背く神社仏閣等から善神は去り、 代わりに魔・鬼が住んでいるのですから、 パワーがあったとしても災難が起こるパワーでしかありません。   ほんとにそうなのかって?   ならば、追跡してみてください。 「パワースポット」にハマってしまった方が その後どうなっていくのかを。   本当のパワースポットは、 法華経の曼荼羅(御本尊)以外には ないのです。     御本仏大聖人曰く、   「諸経は無得道堕地獄の根源、 法華経独り成仏の法なり」   と。   真の幸福(成仏)を求めるのなら、 日蓮正宗寺院の門を叩くべきです。        

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  • 24 Jan
    • 「おみくじ」について考える

      メディアなどに踊らされて、 「パワースポット」などと言い、 神社に行く老若男女が相変わらず多いようです。   それは特にお正月に顕著と言えるでしょう。   なにも疑わずに(あるいはほとんど信じてもいないのに) なんとなく神社に行って、 柏手を打って、僅かな賽銭を投げ入れ、 (もしかするとと思いながら)手を合わせる。   そして、それだけで帰るのもなんだから・・と言って おみくじを引く。 出た結果に一喜一憂して理由づけして楽しむ。   そんな風景がまたお決まりのように なんの疑いもなくメデイアによって報じられる。   御本仏日蓮大聖人は、立正安国論の中で 「世皆正に背き人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てゝ相去り、聖人所を辞して還らず。 是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる」 と仰せです。   正とは、正しい仏法・法華経(南無妙法蓮華経)のことです。 正法をい根本にしていない世間の神社仏閣には幸福のパワーがあるどころか、 逆に魔や鬼が住んでいるわけですから、 手を合わせれば、信じていようがいまいが「なんとなく」であろうが、 魔や鬼が喜んで悪さをし、人々を気づかぬ内に不幸に落としていくわけです。   これを知る我々法華講の信徒は、 このことを人々に教える義務があります。 それは、ちょうど赤信号を渡ろうとする人に「それはだめです!」と 教えてあげる行為と同じことです。   命にかかわる危険な行為を目前にしていて無視するなら、 その行為自体も罪を作ることになります。   なので、 先日親類が集まった時 ある子どもが「神社に行っておみくじ引いたの。」と 口走った時、私は即座に「だめだよ。神社に行って手を合わせたりしては! そういう気持ちがあるのならお寺に来なさい。」と言いました。   すると、そばにいた別の者が 「そんなこと言わなくても・・。」と言いました。   これに対して、「そんなこと」を言うことの大事 を説くべきだったと後悔しています。   世の中には、 射幸心を煽って巧みに購入へと誘導する商品が溢れています。   そもそも、「くじ」に2つも「お」「み」と丁寧語をくっつけたにすぎません。 一枚のくじに大切な人生を方向付けられてはたまりませんし、 そんなくじを作ってばらまく神社も無責任としか言いようがありません。   射幸心を煽って不幸へ導くものは、 宗教的なもの、宗教的には装わないものと様々ですが、 神仏ならなんでも良いといういい加減なメディアや世間の風潮に翻弄される 人々を一人でも多く救いたいと考えます。      

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  • 19 Jan
    • 大晦日と正月

      あけましておめでとうございます。 この挨拶、いつ聞いてもいい響きですね。子供の頃のような新鮮な感覚は薄れつつあるのを感じますが、大晦日から年明けまでの晴れやかな雰囲気はいいものです。  さて、あなたは年末年始をどのように過ごされましたか?  日本人の心の底に何か特別な感情=「この日だけは良い日にしたい」というようなものがあるように思います。 皮肉なことに、だからこそ喧嘩や争いが起きやすい日ともいえます。「気分良くすごしたい」という気持ちが、それを阻むものに対して過敏な反応を示すようです。 私の場合、トラウマとして思い出すのが小6の大晦日。少し酒の入った父とチャンネル争いをしてしまいました。 今ではTVが一人に1台ある時代ですし、そもそも子どもはTVなど見ないかもしれないので「チャンネル争い」などという言葉はピンと来ないかな? 気分良く「紅白」を見たかった父に対し、勝手にチャンネルを変えようとしたところ、殴られてしまいました。 後にも先にも父に殴られたなどということはほかに記憶がありません。 この事件以来、わたしは大晦日と紅白を嫌うというかむしろこわがるようになり、今でも少々その感覚が残っています。 今では、「大晦日や正月には魔が跳梁する」と解釈しています。 めでたさの背景には正しい信仰が必要なのです。   

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  • 24 Dec
    • サンタクロースについて考える 2

      クリスマス・イブ いかがお過ごしですか? わたしの感覚ですが、一時期(高度成長時代)に比べクリスマス商業主義ムードは落ち着きをみせているようです。 今朝の朝ドラを見て思いました。「クリスマスキャロル」という小説がイギリスにあリましたね。 あの感じです。なんとも言えぬ幸福感、性善説的ムード、「みんないいひと」的なムード。 確かに理想的な空気です。これは尊重すべき世界です。 しかし、残念ながら、これは偽善であり、まやかしであり、一過性であり、幻想であることにやがて気づくことになります。 それが、キリスト教の限界であり、浅薄さであります。 サンタクロースは「ばらまき」的な幸福しかもたらせてくれませんでした。 すこし格上のヨーロッパのサンタでさえ、日本の「なまはげ」的な道徳的・勧善懲悪的な役割を果たしているに過ぎません。 子どもはそれでいいでしょうが、大の大人がその程度のレベルで踊らされていることはがっかりします。(つづく)

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  • 18 Dec
    • サンタクロースについて考える

      クリスマスの季節になりました。ところであなたは、クリスマスとどういう関係がありますか? この行事、日本では、アメリカ至上主義と商業主義の影響で戦後急速に広まりました。 私も、幼いころある朝枕元にプレゼントがおいてあった歓びは今でも忘れられません。 当時は、必ずしもクリスマス・イブの行事というわけではなかったと記憶しています。私の記憶では、大晦日の晩に置かれ、元日の朝気づくというパターンだったように思います。 母が、挽き売りの業者からおもちゃやお菓子を買うのを見てましたし、それが元朝枕元にあるのだろうということも知っていましたが、それでも嬉しかったものです。  子どもにとっては、何か「欲しいもの」をもらえるということが通常の大人の想像を超える歓びのようですね。 昔の子供と今の子供とではお菓子に対する感覚が違うと思いますが、基本はかわってないとおもいます。 なので、「いい子にしていればプレゼントがもらえる」→商品が売れる→子どもが喜ぶ→喜んだ子どもを見て親が幸福感を味わう→商品が売れて年末の景気感が向上する→翌年(未来)に期待感が増してくる、 というところに、クリスマス行事の本質があるのではないでしょうか。特に日本においては。 (つづく)        

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  • 18 Oct
    • 正直捨方便

      10月号の「妙教」に「正直」と題する教学コーナーがありました。 趣旨は、猊下の御指南「正直な信心とは、言葉を換えて言うならば、身口意の三業にわたって信心をしていくということです。」に尽きていますが、 私は、タイトルに挙げた「正直捨方便」という法華経の一節が頭に浮かびます。 これは、出世間の正直と言い、法華経以前に説かれた教えは法華経という実教を説くための方便なのだから、実教があらわれたら素直に捨てなさいという意味です。 ところが、世間では、「うそも方便」のほうがむしろ仏教の成果として広く利用されているように思います。 私が元所属していた創価学会では、そういった面が色濃くありました。池田大作などはあちこちで言っていることが違うなどということは珍しくないので、慣れてくるとこちらも真似してみたくもなってきます。「うそも百遍言えばほんとうになる」と本気で考えていたと思います。 こういう創価の体質は、「うそも方便」から来ているだけではありません。牧口初代会長の影響もあります。なにしろ、哲学に「真善美」を求めるのではなく、「利美善」を求める創価哲学なわけですから。即ち、正直なんて眼中にないのです。「正直者は馬鹿を見る」程度の哲学とも言えるのです。 ところが、法華講に入り、総本山の行事に参加するたびに思うこと、そして、日蓮正宗の御僧侶に接するたびに思うことは、出世間の正直に貫かれていることです。 それゆえ、世知に長けた人間から見れば、「正宗の坊さんは世間知らず」などと謗法すれすれのことを言いたくなるようです。 正直を貫くことは、時に勇気が要請されます。しかし、正直な心というものはなんて清々しく安穏なのでしょう。 欺瞞に満ちた創価学会の人間と正直な正宗僧俗のどちらがあるべき姿なのか誰が見ても歴然としているのではないでしょうか。

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  • 14 Oct
    • 回忌法要

      先日、父の七回忌法要を営みました。 御住職は、郡山から栃木まで足を運んでくださいました。 私の願いとしては、この機会に、未入信の者を入信させ、信心薄い者が信心を深めるきっかけになればと思いました。 法要後の法話を紹介します。 御住職は、世間で流布されてる「中有」の話をとおして、折伏されました。ただし、聞いてる方は「折伏」とは受け止めなかったでしょうが・・・。 中有とは、人が死んでからあの世に行くまでの49日間を指します。中有には三途の川を渡ります。渡りきると、彼岸(あの世)に行けるとされてます。 川には3つの道があります。生きてる間に善業を積んだ者は、橋を渡ります。罪の軽い者は、浅瀬を渡ります。罪の深いものは、深いところを渡ります。 お話の要旨は、三途の川は、たとえ罪深い者でも、縁者が法華経によって追善供養するならば、彼岸に渡れる(=成仏できる)ということです。 三途の川という譬えは、お釈迦様が説いたお経にも見ることができますが、賽の河原とか六文銭とかの話(十王経というお経)は、仏教が中国に伝わってから成立したという説もあります。 いずれにせよ、真の成仏は、生前に善根を積み、死後、近親者が正しい追善供養することで叶うということです。 言うまでもなく、それは、日蓮正宗でのみ可能なことであります。   

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  • 12 Oct
    • 季節外れの桜の花

      きょう、いつものように散歩をしていますと、桜の木にぽつぽつと白っぽいものが・・ 季節外れの桜の花でした。高いところにあるのでスマートフォンではうまく撮れそうにありませんでしたが、手を伸ばせば届きそうなところにもありました。 撮影したものがこれです。きょうは、10月12日。旧暦では、約1ヶ月後ですが、御本仏日蓮大聖人が戒壇の御本尊様を顕された日です。 そして、あす10月13日が御入滅の日。 御入滅のとき、大地が振動し庭の桜が咲いたという言い伝えがありますが、1ヶ月違いとは言え、ありえない話ではないことが想像できました。 日蓮正宗では、この1ヶ月間「御会式」という大聖人様が御本仏のお姿を示されたことを祝う法要(「お祭り」)が各地で奉修されます。 その日、各寺院では、御宝前を桜の造花で飾ります。  

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プロフィール

jjih33

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男性
自己紹介:
福島県郡山市の日蓮正宗寺院・寿海寺の信徒です。 住居の栃木県から菩提寺まで通っています。 約...

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