「週刊少年チャンピオン」に長く連載されていた人気漫画『ドカベン ドリームトーナメント編』が、6月28日発売の31号で、完結した。
私の住む新潟では、雑誌の発売は大抵は1日遅れなので、29日の夕方、会社の帰りに買おうと思って書店やコンビニに寄ったが、既に1冊も無かった。
多くの人が同じ思いで買い求め、あっという間に完売したのだろう。
(私は知らなかったが、「週刊少年チャンピオン」は、新潟でも全国と同じ発売日だったかもしれない。)
【KyodoNews】
ドカベン有終、ファン惜別 野球漫画の王道46年
そんなわけで、私は現時点で「週刊少年チャンピオン」31号を手にしておらず、したがって『ドカベン』のシリーズ最終回を読んでいないし、同誌に掲載されているはずの水島新司さんのコメントも読んでいない。
だが、インターネットは、こういうときに実にありがたい。
その水島新司さんのコメントが、「日本経済新聞」のサイトにアップされていた。
(以下、引用)
昭和47年、ドカベンがスタートしてから46年が過ぎ、今日を迎えました。たしかに46年間は長い年月です。しかし長さは感じませんでした。キャラクターに囲まれて、毎日楽しく作品を描いてまいりました。本当に長い間、ご愛読ありがとうございました。感謝の気持ちでいっぱいです。心よりお礼申し上げます。そしてまたいつの日かお会いできる日を楽しみにしております。
(引用、終わり)
↑この画像は、毎日新聞のサイトより。
おそらく誤解している人も多いと思うが、『ドカベン』は46年間ずっと休まずに連載が続いていたわけではない。1981年に一旦終了している。それから『大甲子園』や『ドカベン プロ野球編』などの続編が度々発表されてきて、この度最初の連載から46年目にして完結したのである。
さらに言えば、1972(昭和47)年4月の連載スタート当初は、野球漫画ではなく、学園漫画だった。
そう、主人公の山田太郎は、野球部ではなく柔道部に在籍していて、ほとんど柔道漫画と言ってもいいような内容だった。
鷹丘中学という架空の中学校を舞台に、番長の岩鬼正美、野球部主将の長島、柔道部主将の木下次郎(通称:わびすけ)、そして本編の主人公・山田太郎が、とても面白い学園ドラマを見せてくれた。
周知の通り、本作はやがて野球漫画にシフトするのだが、どうして作者の水島新司さんは最初から野球漫画として描かなかったのか、不思議に思う人が多いことだろう。
実は、本作の連載がスタートした当時、「週刊少年チャンピオン」には石井いさみさんの『番長エース』という野球漫画が既に先に連載されていたのである。
通常、漫画雑誌は、幅広い読者層を獲得するために、同じジャンルの作品を同時に連載させないものなのだ。
水島新司さんは、何かのインタビューで、『ドカベン』を最初野球漫画として描かなかったのは、同じ時期に「週刊少年サンデー」に『男どアホウ甲子園』を描いていたので遠慮した、と述べたとされているが、おそらくそれは水島さんの記憶違いだろう。
水島さんが『男どアホウ~』の執筆を理由に遠慮したというのは、やはり水島さんの野球漫画『エースの条件』の続編作品のことではあるまいか?
『エースの条件』というのは、花登筺を原作者として、水島さんが作画を担当した、水島さんにとって初の連載野球漫画である。1969年から約1年間「週刊少年キング」で連載された。
これが終了した後、水島さんは「週刊少年サンデー」で『男どアホウ甲子園』の連載を始めるのだが、少し遅れて、『エースの条件』の続編の企画が持ち上がった。当然、水島さんのところへ作画の依頼がきたはずである。
だが、既に「サンデー」で『男どアホウ~』を始めていた水島さんは、それを理由に断った。‥‥これならツジツマが合う。
余談だが、『エースの条件』の続編は、梅本さちおさんの作画で『アパッチ野球軍』というタイトルで発表され大ヒット。アニメにもなった。
『男どアホウ甲子園』も負けず劣らず大人気を博し、かなりの長期連載となり、こちらもアニメ化されたが、アニメの方はさっぱり人気が出なかったようである。
関西弁のセリフが声優さんたちには難しかったのもアニメの不人気の一因だが、もともと水島新司さんの画風はアニメには不向きなのではあるまいか。
やはり水島新司さんの漫画は紙に印刷されてこそ味わい深いと思うのだが、いかがなものであろうか。
(続きます。)