東北地方の現地の方の状況をテレビで収拾できるにつけ、現地でのご苦労を考えるとはたしてこれごときのことを書いていていいのかという気持ちも出てきておりますが、自然災害の前に自分の二本足でできることがこれっぽっちだったことを忘れたくなくこのまま書いていきます。
<出発>
3/11 20:30 茅場町の会社を出発。PCその他おいていくことも考えたが、モバイルカードの安定性、バッテリーの持つ間なら貴重な情報源になることもあり結構重いがそのまま背負って帰ることにする。食料は水、キャラメル、飴だけにする。避難中、公共交通機関が全線ストップしているだけで、極論すれば飲み屋も空いており、自販機も通常に動いているのもを見た結果の判断。
<東京都中央区>
TCAT前から水天宮前へ。新大橋通りを右折。途中、公衆電話ならつながりやすいことを思い出し、自宅へ電話。昼以降一人で自宅にいた次男(中3)と初めて直接会話。克明に家族と連絡してことや自宅の様子を伝え聞く。食べ物は自分で何とかするとのこと。こちらも到着時間は未明だが、自宅に向かって歩き出したことを伝える、母親とも短時間ながら連絡は取れたらしいのでまた連絡あった際、自分の行動を伝えるよう依頼。長男はまだ帰っていない。海浜幕張から自宅まで車で30分、徒歩なら2,3時間かかるくらいの距離。少し時間がかかりすぎているのが気になる。公衆電話を待っている次の人を見つけ、とりあえずまた連絡すると伝え切る。さらに進み清洲橋通りを左折。この中の橋交差点で21:00。明治座内にもフロアに待機しているような方がいる。
<台東区>
電話を切った直後から左足付け根に痛み出始める。すでに会社まで1時間30分歩いている。19Fまでの往復もきいているのかもしれない。いやな予感。東日本橋交差点から江戸橋通りへ。ちょうどこのごろ「東日本橋」駅のシャッター空いたと同僚と話している方を見つけ、たずねるも状況はよくわからないらしい。時間が惜しかったのでそのまま浅草橋を超える。このあたりは飲食街が多く、赤ら顔の人も比較的多い。電車が止まっているので飲むしかないのだろうが複雑な心境。蔵前一丁目交差点を右折。これからしばらく歩き続ける蔵前橋通りに入る。ちょうどここで、21:30。蔵前橋を渡り墨田区へ。
<墨田区>
太平町4丁目交差点でちょうど22:00。会社をでて1時間30分。すでに足取りは重い。理論上あと3倍はあることを思い暗澹たる気持ちになる。このころ蔵前橋通りは千葉方面は車が数珠繋ぎで大渋滞。側道からの合流も車ではままならない様子。徒歩の自分でやすやす車を追い越していく。
<江戸川区>
東部亀戸線を越えるだらだらした高架の坂がきつい。このあたりで22:30。しばらく単調な道。このあたりだったか自転車屋があり自宅へ帰るためか数名が並んで購入をしようとしている。このあと、車道と側道の狭間で何度となく自転車、バイクに道を譲りつつ歩くことになる。荒川にかかる平井大橋を渡る。荒涼とした河川の風景。吹きさらしで寒い。
<葛飾区>
橋を渡り終えると葛飾区。新小岩小前で23:00。足が限界。トイレもしたくなる。たつみ橋交差点先のコンビニでトイレ借用。地図の確認のために明るい店頭に落ち着こうとおもい、思わず下に何も引かずにへたり込む。足がじんじんと音を立てている。足首、太もも、ひざ、ふくらはぎに鈍痛。しばらく地図を見る体(てい)で15分休息。この後なんどか休憩を取るが取るたびに激痛が増していく。24時間テレビのマラソンタレントの苦痛にゆがむ顔を思い出す。この感覚なのかと思い至る。このあたりから、伸ばし伸ばしにしていた夕食?を休憩がてらとらなければと思いはじめる。上一色橋を超えると再び江戸川区。
<江戸川区>
小岩駅近くの新道交差点でついに0:00。日付が変わる。
つづく