裁判員制度! | ごろつき中年ニートの怒りと弱音の日々

ごろつき中年ニートの怒りと弱音の日々

新宿歌舞伎町でホスト、ソープ、ポン引き、ボッタクリ、取立て屋、カジノ等の職につき、

一時はカジノ、麻雀荘、喫茶店等を経営していた男の、落ちぶれニート生活!!

江東区女性殺害事件の無期懲役判決を受けて
又候、裁判員制度議論が始まった。


一般人の


仕事を休めない!


被告人に仕返しをされそうで怖い


という反対理由には納得出来るが


司法関係者の


素人は感情に流されやすいから、過去の判例と比べて
重い量刑を科すことになる。


素人ではバランス感覚や公平感を保てない。


素人では冤罪を生む可能性がある。


という、いずれも「プロに任せておけば良いんだ」という意見には

全く納得出来ないし、特に冤罪を引き合いに出すことに関しては

悪意すら感じる。


裁判員裁判の対象事件は,殺人,強盗致死傷,身代金目的誘拐,

放火,危険運転致死などの重大犯罪の一審に限られる。


21世紀に入ってから、死刑の求刑に対して、一審で無罪が言い渡されたのは

2001年に広島で起きた母娘放火殺人事件くらいしかない。


そして、ここ数年で起訴された者の有罪率は99.9%だが、裁判員裁判の
対象事件の起訴有罪率は100%だ。


その100%の中に冤罪が含まれているかどうかは判らないが

裁判員制度がスタートしたところで、冤罪が減ることはあっても

増えることは絶対に無いということだ。


そもそも、判事にバランス感覚や公平感があるのか?
というより、プロなんているのか?


それで報酬を得ているんだからプロだろ!と言われたら仕方ないが
一般的にいう、プロフェッショナルが、居るとは思えない。


秋田の連続児童殺害事件の畠山鈴香被告と岐阜の一家5人殺害事件の
原平被告の一審判決はともに無期懲役だ。


被害者の内訳


畠山=子供二人


原=子供二人、大人三人


それとは逆に大阪の東大阪大生リンチ殺人事件の小林竜司
には一、二審ともに死刑判決が出ている。


東大阪大生リンチ殺人事件とは


小林竜司の友人が女子大生にメールを送ったところ

その女子大生の彼氏が激怒し、三人の仲間を集めて

小林竜司の友人を監禁、暴行し山口組の名前を出した上で

40万円を要求した。


友人から相談を受けた小林竜司は仲間を集めた上で
相手に40万円を支払うと言い呼び出した。


そして、呼び出しに応じた三人にヤキを入れたが、そこでも相手が
ヤクザを呼ぶと言ったので、殺さざるをえなくなり、二人を殺して

一人を解放した。


友人のために、不良二人を殺害して死刑判決を受けた
小林と、自分勝手な理由で、幼い子供達の命を奪った畠山と

原の無期懲役はどこがバランスがとれているんだ!!


小林の犯行が岐阜だったら、あるいは原の犯行が大阪
だったら、と考えてしまう。


五人を殺害した原に対して岐阜地裁の裁判長は


「被告は心神耗弱状態だったとは認められず、責任能力は十分あった」


と言いながら、何故か死刑の求刑に対して無期懲役を言い渡している。


東大阪大生リンチ殺人事件で、大阪高裁の裁判長は


「前途ある若者2人の命が奪われた結果は重大」


と言って小林に死刑を言い渡したが、山口組の名前を出して

40万円を脅し取ろうとした者を前途ある若者と、表現するセンスの

無さには開いた口がふさがらない。


私から見た裁判官はプロどころか、自分が言っていることが

正しいかどうかを判別する能力すら無いように思える。


裁判官は判決理由でよく


「原告はすでに社会的制裁を受けており」


などと言う。


これは一般人より、官僚や実業家、有名人の刑罰は
軽くあるべきということだ。


この台詞を聞くたびに私は


「普段、職業に貴賎無しと言ってんのは嘘かよ!!」


と突っ込みたくなる。


2006年、横浜地裁は振り込め詐欺の被告に対して、懲役15年の判決を

出したが、それから二年後に仙台地裁が、振り込め詐欺の被告に出した

判決は懲役3年6月だった。


これらは全てプロと言われている裁判官が出した判決だが

どの部分に公平感があるのかを教えて欲しい。


裁判員制度はアメリカの陪審員制度とは違う。


1994年元プロフットボール選手で俳優のO・J・シンプソンが
元妻とその友人の二人を殺害し、その後逃亡して警察との
カーチェイスの末捕まった。


もちろん誰が見てもO・Jが犯人に間違いないが、彼は金にものを

いわせて、全米選抜といわれた弁護団を雇った。


全米選抜弁護団は強力で、O・Jの裁判を担当する陪審員12人の内

9人を黒人にすることに成功した。


黒人中心の陪審員達にとって犯罪の有無はどうでもよく

成すべきことは、黒人のヒーローO・Jを無罪にすることだけだっだ。


アメリカでは無罪における検察の上訴は認められていないので
こうして、O・Jの殺人は無かったことになった。


このようにアメリカの陪審員制度はとても重いものだが

日本の裁判員制度はそれとは違う。


裁判員がどんな判決を出そうとも被告、被害者遺族、検察、

裁判所、弁護士の誰にも影響を与えない。



だから、裁判員に選ばれた者は何も考える必要は無いし

ましてや悩む必要など全く無い。



無罪でも、死刑でも、どちらでも良いのだから
面倒だったら、サイコロで決めたら良い。


何故、どうでもいいかというと、それは裁く対象が

重大犯罪ゆえのことだ。


死刑確定囚リスト を見て欲しい。


控訴を取り下げた者は結構居るが、控訴せずに地裁判決を受け入れた
者は183名中3名しか居ないし、その3名は最高裁まで争ったところで
判決が覆る可能性がない者だ。


飲食店女性経営者殺人事件 高田勝利
広島女性4人連続殺人事件 日高広明
徳島二老女強盗殺人事件 藤岡英次 


要するにどんな判決が出ようと高裁に持ち越されるわけで

地裁は重大事件を裁く場所では無いということだ。


私は裁判員制度には賛成でも反対でも無かったが

裁判員制度に反対している司法関係者達の


「裁判は優秀、尚且つ選ばれた者が行う高尚な仕事で、庶民ごときが

そこに立ち入るべきでは無い」


という姿勢が気に食わない……


エリート批判はこれくらいにして話を進めよう。(T_T)


今は裁判員制度を論じるよりも、裁判制度自体を論じるべきだ。


横浜、仙台、大阪、岐阜、どこでも同じ判決が

出るようにしなければならない。


でなければ、殺したい相手を岐阜旅行に誘わなければ

ならないし、詐欺師になるには宮城弁をマスターしなければ

ならなくなる。


今後、犯罪は爆発的に増えるだろうから、人海戦術では

とても無理だ。


公平な判決を出すには全国共通の判決ソフトを

開発すれば良い。


そうすれば、手間も金も掛からず、人手不足も解消できて
判決はスピーディだ。


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