今週は風の諸症状が抜けきれません。


口内炎でご飯が食べれず、

喉が痛くて水が飲めない。


今日は外は晴れているようでしたが、

一日中寝たっきりでした。





昨日ですね、弟と進路の話をしました。

複雑な気分でした。


何事も時間もピッタリに行う性格の大学入学までの私

を見ている彼の中では

私は勉強ができ、計算高く物事を考え、実行する兄だが、

要所で運に見放される、と写っていたでしょう。


サッカーで言えば、

ヘタくそのGKとのPK戦では外すけど、

接戦でのきわどい角度からのミドルシュートが決まる

みたいな。


野球で言えば、

ど真ん中ストレートはキャッチャーフライだけど、

外角低めのスライダーはライト前

みたいな。


具体例がわかりづらいんで、置いておきますが、

私はノンキャリで、学生生活、進路も決まらず、フラフラし、

彼はキャリアで、一本の進路を目指し、突き進んできた。


このままいくと

私はわかりませんが、

彼は一流大学院に進学できます。




問題の私は

中途半端な知識だけが残り、

もろ刃の刃にもなりきれず、

社会に埋没しています。


多角的な視点から物事を見る力が減衰。

水平的な考え方が大変、欠如しています。


原因は

情報収集力に欠けること。

というか、好奇心が薄れてきているから。

むしろ、求めない生き方になっているのかな。



学生生活なんてつまらん!憧れになるぞ!

なんて言ってたころの自分が若くてしょうがない。



そう言う現在も脳ミソの構造は、

あんまり変わってないような気がしてならない。

大学生活では、俗に言うノウハウ本を読んだだけで、

一見センスがいいように見えたりしても、

薄っぺら~なものしかない。

こんなのは社会人3年もすれば誰でもできることばかり。


とは言え、フラフラした分、

自分の無知を知り、越えられない壁を知り、

自分は恵まれていることを知り、

生きることに対して認識が甘いことを知りました。


「常にベストであれ!」という恩師の言葉を胸に秘め

大学生活をスタートしましたが、

この3年間を後悔しています。


私は自分を受け入れることができても、

それを大事な人が受け入れるとは限らない、

むしろ受け入れないことは知っていたにもかかわらず、

自分の好奇心のまま、己の立場をわきまえずに

フラフラしたのだから、いろんな代償のいくつかと

直面し、今こんなことを漏らしています。



ただ、そんなこと言ったって、

こんな私を支えてくれる人、

受け入れてくれる人がいることは

なんと幸せなことだろうか。



もっと芯がある生き方をしていれば、

周りをもっと幸せにできただろうに、

と思うばかり。



病気になると、

その後のリカバーと、

病床時の状態に至るまでのプロセスを

考えるんです。



「焦らない。」

「芯を持つことは大事。」


こんな言葉は何万回でも言ってやる。




でね、フラフラしているとね、

成功哲学的な運命論的な考えが

流布していることをよく目にするんです。

個人的には受け入れ難い。



一流大学や一流企業というバッジをつけることができた少数派にとっては

成功哲学だろうが運命論だろうが唱える必要はなく、

そうではない大多数は、それにしがみつく必要があるようでした。


人間的には前者と後者では何にも境界線がない。


力をお持ちの方なんでしょうけど、3日程前に電車の中で

「お前らなんか虫けらみたいに、*すことできんだぞ」と

叫んでる人もいましたから・・・。

(この文で気分を悪くされたらすみません)



レッドクリフやクローズZERO等の闘争ものが

最近話題ですが、

「権力を行使するとは何か」を考えることが私は多いですね。




今からでも私は学生として、しっかり学を修めたい。

目先としては、率直に、ゼミに対応できる知識が欲しい。


フラフラしてきたこと、それはベクトルが違ったけど、

努力することを覚えたことは、胸を張れる。


無駄かどうかは知らんけどね。


点数化できるものは99%が努力。

残りの1%がセンス。

ゴルゴ13では違いますが・・・。


うまくいくかなんて、結局、神のみぞ知る。