遠江国に行こうと思った理由その2
来年の大河が始まる前にこちらへ参拝したいと思っていたから。
紹介します。井伊谷宮です。
来年の大河ドラマ、主人公知っていますか?
井伊直虎です。
ご由緒書き
読めませんが…。必死で読んでみる。
社号標
かなり年期が入った感、ありありです
一の鳥居
常夜灯
こちらもいい味してます。明治23年とありました。
参道を進みます。
狛犬
参道途中にありました。
絵馬史料館だそうです。
引佐町の観光案内板
手水舎
お浄めさせていただきます。
階段を上がります。
二の鳥居
楼門
角度を変えてもう1枚
ご由緒書き2
こちらは老眼でもはっきり読めます
御由緒
当宮は、明治5年に明治天皇の思し召しにより御鎮座、翌6年には静岡県内でも数少ない官弊社(井伊谷宮は官弊中社)という格式高い神社となりました。
以来昭和5年には、昭和天皇が御親拝になり、続く昭和58年には、現在の天皇皇后両陛下がご参拝される等、皇室とも大変関係深い神社であります。
御神徳
和歌に秀でておられたことから「学徳成就・合格」の神様として崇められ、また73歳と、当時としては大変御長寿であられたため「長寿・除災開運」の守護神として信仰されています。【井伊谷宮公式HPより】
拝殿
なんとも言えません。
一の鳥居の所ですでに感じていましたが、この神社好きだわ~。
ご神木
ご本殿
慈母観音石
そう言われると赤ちゃんを抱っこした観音さまにみえます。
拝殿横を通り、
水原秋桜子の句碑があったり
木の間から摂社を眺める
境内社の井伊社
ご本殿
どのお社も素敵です
御祭神は宗良親王
後醍醐天皇第四王子(宮内庁調べ)であらせられ、今より約650余年、動乱の南北朝時代に一品中務卿(いっぽんなかつかさきょう)征東将軍として、この地を本拠に50余年の間、吉野朝方のためにご活躍になられました。
その間、遠江・駿河・三河・甲斐・信濃・越後・上野・美濃等を転戦し、信濃宮・上野宮・越中宮と尊称されました。
親王は、御幼少の折から御出家せられ、やがて京都比叡山天台座主となられましたが、時代の波は親王にも及び、還俗して宗良親王となり、戦陣の中へ身を置かなくてはならなくなったのです。
また、親王は、御幼少の頃より和歌に秀で、終生和歌の道の聖と仰がれました。唯その御生涯は、誠に悲惨な人生であり困苦辛難に満ちたものでしたが、どんな苦しい流浪の中にあっても和歌を離さず、準勅撰「新葉和歌集」(吉野朝の歌人だけを集めた)の編纂を始め、親王の歌集である「李花集」など当時の歴史資料としても貴重な和歌を多く遣されました。
晩年再びこの地を訪ねられ、元中2年8月10日御歳73才を以ってこの地で薨去されたと伝えられています。
【井伊谷宮公式HPより】
さらに奥に進みます。
ご本殿
別角度から
こちらは宗良親王のお墓
一般人は立ち入り禁止です。
さらに回り込んだら車祓所
もちろん一の鳥居側からも行けるんですが、境内の森が気持ちよくて歩きまわってしまいました。
くるりと回って一の鳥居側に進むと、
池があったり
句碑があったりでした。
再び境内に戻り、
御神籤掛けとご神木
史料館
入口には大河ドラマ関係のポスター
と、樽酒。
出世城 名前がいいよね
史料館
中は撮影不可ではなかったけど、控えめに写真はこれだけ。
祈祷者控室
皇室の方が参拝にいらした記念碑もありました。
授与所
御朱印はこちらでいただくことができました。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございました