予定していたコースに戻ります。
次に参拝させていただいたのはこちらの神社です。
朝日神社といいます。
名古屋市教育委員会の案内板
社号標
何もこんなに看板立てなくても
鳥居
手水舎
お浄めさせていただきます。
享保時代に寄進されたものだそうです。
上ります。
拝殿
ご由緒
伊勢の神宮の神領地(御園)の清洲城下朝日郷に鎮座されていましたが、名古屋城の築城に伴い、慶長16年、徳川家康公の請願により正室朝日姫様の氏神様である当神社を城下町碁盤割りの守護神として、氏子共々本丸の真南の現在地に移築遷座されました。城下町碁盤割りの唯一の神社として、清洲越しの士民の崇敬をあつめました。
万治3年(1660年)の大火により、この碁盤割りのほとんどが焼失し武家屋敷にも類焼したため、防火帯として、道路の拡幅(15間幅)を行ないました。これが今の広小路通となっています。
明治元年3月、明治政府は神仏分離令を発令したため、当社より約二丁ほど東の寺に村社として鎮座されていた子守神社・児宮神社を移築、遷座しました。同一境内に郷社・村社別々に運営していましたが色々と問題があり、協議の結果 村社を摂社にするとともに総代制度を廃止、郷社として一本化しました。古くは単に神明社、広小路の神明宮、広小路の朝日神明宮と称したのを清洲越しを後世に伝えるために「朝日神社」と改称しました。
不幸にして先の戦災により本殿を始め主要建造物は失われましたが、ご神体は防災蔵に避難し、一部の宝物と共に安泰でありました。その後、昭和28年7月に御本殿、祭文殿、拝殿を始め末社5社が再建されました。
【朝日神社HPより抜粋】
境内社のお稲荷さま
狛狐
祠の手前にこんな屋根みたいなのがあります。なんていうんでしょう?
子守社・児宮社の合祀社
朝日稲荷社
公孫樹龍神社
写真がイマイチ
天神社・塩釜社・秋葉社・金刀比羅社
八幡社・春日社・戸隠社
神輿庫
社務所兼授与所
御朱印はこちらでいただくことができます。が、ピンポンしても応答なし
このあと予定にしていた神社を参拝して再度戻ることにしました。予定の神社はお近くだったから。
街中の静かな神社でした。
出直した結果、無事に御朱印をいただくことができました。が、境内にパトカーが
最後の写真に写っている鳥居の横に交番があります。だからか~
今日も最後まで読んでいただきありがとうございました