羽田八幡宮 | 青い空がすき

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神社・寺院巡りを中心に、お出かけした先を紹介しています。

この日最後に参拝させていただいたのはこちらの神社です。

羽田八幡宮です。家に戻るコースを考えて決めさせていただきました。朝一番に参拝させていただいた吉田神社から程近い場所にあります。



社号標



案内看板



社号標と一の鳥居




狛犬
たくましい感じキラキラ



社号標の字は鶴岡八幡宮の宮司さんが書かれたそうです。鶴岡八幡宮がわたしを呼んでいるかも…知れないキャハハ



参道を進みます。





参道途中にありました。

羽田八幡宮文庫跡
羽田八幡宮文庫の蔵書は、羽田野敬雄が国学者平田篤胤の門下だったこともあり、国学、神道、史学、歌書、俳諧の資料が多数で、漢籍資料も所蔵している。
また、『解体新書』『機巧図彙』といった科学的な資料もある。
その他、敬雄自筆の書留類も多く、代表的なものは敬雄の日記『萬歳書留控』である。
さらに、いろいろな書籍からの抜書き敬雄の随筆、記録等を書き留めた『栄樹園聞見集』他を多数所蔵している。これらは、この地方の歴史・文化を調べる上で重要かつ貴重な資料である。
【豊橋市図書館HPより】



豊橋市の観光案内



二の鳥居



ご由緒書き

ご由緒
社伝によると白鳳元年の創立と伝えられ、古来、武門武将の崇敬が篤く、文禄四年十一月、今川氏真は東三河地方平定に際して社領十三貫七百文並に神主屋敷、高畑五百歩を寄進されたと言う。慶安二年、徳川家光は社領十石並びに神主屋敷ともに寄進の朱印状を寄せられ、継目朱印状は明治維新にまでおよびました。
永正二年、牧野成時による今橋城(吉田城)築城の折、当社に祈願、大いに霊験があったと伝えられており、また吉田城主の崇敬もあつく、社殿の造営、神宝の寄進がたびたびありました。
明治四十年、神饌幣帛料供進社に指定され、大正十三年二月十二日、郷社に列せられ、終戦後、神社等級の制度が定まり、七級社でしたが昭和四十二年、四級社に昇級、県下の八幡宮の筆頭となっております。




手水舎
お浄めさせていただきます。





拝殿



ご本殿



さざれ石




ご神木



絵馬掛け



御神石



筆塚



行ってきます。



狛犬



このお社が三つを兼ねているのでしょうか?



境内社の神明宮



天満宮と稲荷社







中島神社
御菓子の神社だそうです。
ご由緒を読むと菓子組合の方が勧請したと書いてあるのかな?と解釈しました。




御輿庫
瓦には神鳩がラブ




社務所兼授与所
御朱印はこちらでいただくことができます。

正面から写真を撮りたかったのですが、御朱印を書いてくださっている宮司さんと目が合いそうだったため遠慮させていただきました。



御朱印を書いていただいている間に見つけました。
道祖神です。


この日の神社巡りはこれにて終了です。
御朱印をいただけそうな豊橋市で有名どころの神社ばかりだったため、四社全てで御朱印をいただくことができましたおんぷ


次は別の日の参拝を紹介しますが…またまた豊橋市に参拝に来ることと相成りました。
理由も次のブログにて



今日も最後まで読んでいただきありがとうございましたニコニコ