大宮氷川神社(埼玉県さいたま市)の
前回、大宮氷川神社の概要と
出雲の系譜を引くご祭神を紹介しましたが、
大宮氷川神社にはもう一つの面、
もともと土着の「地主神」の系譜があります。
●縄文の神・アラハバキ神が息づく門客人神社
拝殿前の賑やかな境内から、右手の東門をくぐると、
それまでと気が一変して、別世界のゾーンがあります。
★門客人神社 (摂社、もんきゃくじんじんじゃ)
もともと土着の地主神が祀られているので、必ずご参拝を。
この「地主神」をきちんと参拝することが、
神社で開運の一つのポイントです。
縄文の神・アラハバキ神が、原初的・男性的な強い気を放ち、
直感が冴え渡るパワースポットです。
ここは凛とした強い気が満ち、壁一つ挟んだ拝殿側とは対照的に
あまり人も来ず、静寂に包まれています。
原初の縄文時代をイメージしながら、
グラウンディングするのに最適な場所。
門客人神社は、稲田姫命の両親神、
アシナヅチ命・テナヅチ命を祀る摂社ですが
江戸時代までは「荒脛巾(あらはばき)神社」でした。
櫛石窓神 (くしいわまどのかみ)、豊石窓神 (とよいわまどのかみ)
のペアが祀られていました。
今の「門客人神社」の名は、外部からの来訪者(客人神=出雲の神)が
元々の地主神(アラハバキ神)と主客転倒したもの。
アラハバキ神が「隠れ神」となっている訳です。
アラハバキ神は、原初的な縄文の神。
そしてここのアラハバキ神は、見沼の水神であり、
石窓神は門の神で、見沼を護るペアの道祖神的な意味合い。
後に、出雲系の氏族・武蔵氏がこの地に乗り込んできて
出雲の神を祀ったので、
先住の地主神=見沼の水神=見沼を護る縄文の神・アラハバキ神
という構図になります。
●見沼と氷川神社の関係
この地はもともと、縄文時代には奥東京湾が入り込んでいて、
弥生時代に海岸線が後退して、見沼をはじめ多数の沼がつながる
広大な沼沢地帯でした。
そして、当時の見沼の沼岸に、以下の三社が
浅間山と冬至の日の出の線上に一直線に並ぶ
形で鎮座しています。
形で鎮座しています。
・氷川女体神社 (女体社、主祭神:稲田姫命)
大宮氷川神社と中山神社にはアラハバキ社が
氷川女体神社には竜神社(本殿裏にアラハバキ神の小祠も)があり、
どれも出雲神と異なる、原初的な力強いパワーを放っています。
つまり、縄文時代は見沼の神を祀っていて、
後に出雲系の武蔵氏が出雲の神々を祀り
稲作で重要な暦を正確に把握するため、意図的に配置して
三社一体で一宮の氷川神社を形成していった訳です。
また他にも、以下の意図的な配置が見られ、
古代人にとって、大宮の地が重要な場所であったことを窺わせます。
古代人にとって、大宮の地が重要な場所であったことを窺わせます。
・富士山と筑波山を結んだ線と、浅間山と冬至の日の出を結んだ線の交点に位置
・氷川三社が一直線上に配置 (大宮氷川神社/所沢の中氷川神社/奥多摩の奥氷川神社)
・大宮中心の氷川神社群が、オリオン座(神門)の配置
(氷川神社/中山神社/氷川女体神社の三ツ星と、調神社/宗像神社/越谷久伊豆神社)
(氷川神社/中山神社/氷川女体神社の三ツ星と、調神社/宗像神社/越谷久伊豆神社)
・この氷川神社群が、秩父神社群(北斗七星の配置)と萩日吉神社の一点で交わる配置
●江戸時代の見沼干拓と龍神伝説
見沼はその後、江戸時代に大部分が干拓で埋められて水田になり、
元々の見沼には龍神が棲むとされ、
氷川女体神社に、龍神を鎮める磐船祭で伝わっていた
龍神伝説がありました。
「千と千尋の神隠し」で、埋め立てで行き場を失った
川の龍神・ハク(白龍)を彷彿とさせますね。
川の龍神・ハク(白龍)を彷彿とさせますね。
氷川神社に訪れたときはぜひ、
隠れ神・アラハバキ神、見沼の水神・龍神の
ご開運をお祈りして下さい♪
* * * * *
次回は、大宮氷川神社の参道・境内のパワースポットを