石原慎太郎の国政進出と橋下徹の詭弁のあざとさ | 爺庵独語

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爺庵の独善的世相漫評

 選挙で選ばれた政治家とは、公約に対する有権者の信託をその権力の背景とする。公約とは法に定められた公職の任期の範囲内で、自ら行おうとする経綸を有権者に示し、自らへの信任を求めるものだ。したがって自らに一票を投じた有権者に対する政治家の責任とは、任期の間に公約をいかに実現するかということを第一義とする。

 任期の間に公約を実現することもせず、その公職を投げ出して別の選挙に出ようという行動は、したがって責任というものを解する政治家の行動とは認められぬ。そのような行動はいわゆる野心家のものであり、そうした行動をとる者を政治家と呼ぶことを、爺庵は肯んじない。

 大阪市長の橋下徹は、突然東京都知事の職を投げ出して次期衆議院総選挙への出馬を表明した石原慎太郎の行動を、「4年の任期を全うすることが政治家の目標ではない。求められるのは結果であり、そのために途中でステージをかえることは十分あり得る」と評したそうであるが、迷妄も甚だしい。確かに「任期を全うすることが政治家の目標ではない」というのは正しい。目標は有権者の信託に応えることだからである。「求められるのは結果」というのは、いかにも橋下臭が芬々とする言いぐさであるが、これもひとまずは聞き流そう。だが求められる結果というのは、石原慎太郎の場合は東京都政での結果である。それは東京都民によって東京都知事に選ばれたのであることからして、論を俟たない。

 石原は記者会見で官僚制度の打破を強調したようだが、それが原因で都政での結果が出ないとでも言うのだろうか。しかし都知事を10年余りも勤めて、その前には国会議員だってやっていて、今さら何を言わんや。所詮は元祖自己愛知事が、右傾化する世論を好機と捉えただけの身勝手な行動に過ぎない。

 橋下はさらに、「外野が『無責任だ』と言うことではなく、次の国政選挙で有権者の審判を受ければいい」とも言ったという。人を騙すことを悪事と感じていないのか、あるいは物事を筋道立てて考える能力がないのか、呆れたものである。

 問題は東京都知事に選ばれたという選挙結果に対する責任の放棄なのであって、衆議院議員を選ぶ選挙は、その責任追及の場ではない。百歩譲って石原の都知事投げ出しに対する責任追及の選挙だと考えたとしても、そもそも選挙区から出馬するとすれば、25もある東京の小選挙区、責任追及の権利を有するはずの有権者のうち、およそ4%の人しかその権利を行使できないではないか。また巷間言われるように比例東京ブロックから出馬するとすれば、有権者は政党に投票するのであるから、石原個人をターゲットにして、都知事投げ出しの責任を、投票行動で追及することはできない。すなわち、橋下の言うが如く、次の国政選挙で有権者が審判を下すなどということはできないのだ。

 まことに典型的な橋下流詭弁術というべきである。嘘つきもここまで来ると芸のうちなぞと笑ってはいられまい。