国立文楽劇場行幸啓 | 爺庵独語

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爺庵の独善的世相漫評

 17日に大阪は日本橋の国立文楽劇場に行幸啓があった。
 両陛下は前日に下阪、大阪府庁への行幸啓のあと、国立文楽劇場で「芦屋道満大内鑑」の有名な「葛の葉子別れの段」を鑑賞なさったそうだ。これまで何度も大阪を訪れている両陛下にして、国立文楽劇場への行幸啓は初めてとのことである。
 この日、大阪府庁からは小河副知事が両陛下に随従して文楽を鑑賞したという。本来なら知事の役目だろうが、子供がインフルエンザに感染したため、濃厚接触者たる橋下は、この日の予定をすべてキャンセルしたという。おそらくは宮内庁の意向であろう。
 しかし爺庵は、橋下が両陛下に随従できなかったことを、文楽を愛するすべての人々とともに慶ぶ。
 なにしろ橋下は8月に何かの会合で、文楽について「見たが、二度目は行かないと思う。時代に応じてテイストを変えていかないと、(観客は)ついてこない」(読売新聞)という、愚昧さ丸出しの発言をしているのだから。
 文楽がユネスコの「人類の口承及び無形遺産の傑作の宣言」に記載された(すなわち世界無形文化遺産に指定された)のは2003年のことである。日本の伝統芸能としては能楽に次ぐ。太夫、三味線、人形遣いが渾然一体となって演じられる文楽は、人間国宝も数多輩出し、保存し継承して行くべきものと世界が認めていることは誰も否定できない。
 橋下という愚物個人が、文楽を好きか嫌いかなぞはどうでもよい。しかし大阪府の知事たる立場で、伝統を伝えてゆくべき文楽という芸能を貶める発言をすることが許されるはずがない。なにしろ、大阪は文楽発祥の地なのだ。大正昭和の劇評家であった三宅周太郎は、名著『文楽の研究』に、こう書いた。「大阪としては文楽は唯一無二の郷土芸術だ。文楽を失っては大阪の対面に係わる」と。
 三宅のこの著作は今では岩波文庫に入っていて手軽に読めるが、橋下が岩波文庫を読むほどの知性を持っていたら、上のような発言はしないのだろうな。
 一方、比べるのも恐れ多いが、皇室は日本で最も古い伝統を守り続けている。いわば皇室とは日本の伝統文化の守護者である。
 両陛下が今回の大阪への行幸啓にあたり、国立文楽劇場で文楽を鑑賞なさったことについて、爺庵は敢えて橋下の愚かな発言との関係を穿ってみたいと思う。天皇は政治的発言をすることができない立場にあるが、政情には通じておられるから、橋下が文楽についてどのような発言をしているかもご存知であろう。伝統文化の守護者たる天皇が、橋下の発言を咎めようとすれば、みずから大阪の地で国立文楽劇場に行幸し、文楽を鑑賞して見せるというのは、実に天皇らしく婉曲にして鮮やかな手際ではないかと思うのである。
 だが、橋下の知性品性では、行幸啓に籠められたそうした含意は読み取れないだろう。だから、結果として橋下が陛下に随従できなかったことを、爺庵は慶ぶのである。