最新の記事一覧 月別記事一覧 テーマ別記事一覧ブログ(462)募金等~悩み苦しみが無く...(129)管理人よりお知らせ(6)私見(18)経典(1)テレビ(5)ニュース(4)アーチャン・チャー(1)能力開発(1)スマナサーラ長老の法話(112)ブログに頂いたコメントよ...(1)J・クリシュナムルティ(1)宮崎奕保(えきほ)禅師(1)ダンミッサラ長老(1)スマナサーラ長老の法話の記事(112件)そこで、人間性というものを超えてほしいんです慈悲の瞑想は、初期仏教における「祈り」であると解釈されることがあります。他人のことなら簡単に批判できる、ということです。心のなかで認めてしまえばいいのですそのまま認めて受け入れるということを、昔の人はしていました。(念と正知)の実践をわかりやすい俗語にして"実況中継する"と言っています。心に後悔、懺悔の原因があると瞑想は成功しません。瞑想は、言葉を使わなければいけません人間の脳の中には、「感情」をつかさどる原始脳と、「理性」をつかさどる大脳がありますこの超越した心理学的な働きを理解してもらわないとね karunâ は、「かわいそう…」と感情的になることではありません。自分が聴く「音」さえも敵に回している。私たちも渇愛に、このように操られているのです。あなたの希望、期待はどんな世界に関わるものでしょうか。死後、そちらに行っちゃいます。戒律を守っていたのに地獄に堕ちることはあり得ます感情、好み、怯えなどが割り込むと、物事の判断ができなくなる自分自身の感情によって、自分の自由をなくしています諸欲は享楽しているときは楽しいものでも、それが実を結ぶときには苦しむ私たちの心も時々、とんでもない獣のような心になったりもします怒りあろうが欲であろうが、いかなる感情も「無常」です次ページ >>