熊野へ還る ① 〜産田神社 花窟神社〜
熊野言わずと知れた世界遺産の熊野古道、そして熊野三山そんな熊野、今回は後者の、更に地域を限定し、熊野速玉大社・熊野那智大社を含む熊野灘沿岸エリアへ3年連続で通っております。(熊野本宮大社は2年前の初詣にて参拝しております)いやさ熊野へ還ると敢えて言い直そう!では何故そんなに還るのかって?熊野が好き以外に何か理由が必要か?ていう、かなり鬱陶しいつかみで、3回くらいに分けて熊野ブラをお送りしていこうかと思います。熊野ブラて3年連続とは言え、日記にしたためるのは今回が初めてですので、写真の時系列はバラバラです。では早速先ずは産田神社伊弉冉尊(イザナミノミコト)が軻遇突智神(カグツチノミコト)を産んだ場所とされていますだから「産田」神社なんですね言わずもがな、二柱が御祭神です。さんま寿し発祥の地でもありますすごいピンポイントですやん!誰もいない参道毎度言うとりますが、無駄に手水舎の動画を撮るのがマイブームですのでお付き合いください。いや、無駄ではない!(反語)参籠殿あ〜うん「逆光ですやんキミ」奥が拝所になります本殿拝所に鈴緒と賽銭箱がありますのでそちらでお参りできるのですが、備え付けのスリッパに履き替えて本殿前まで進む事もできますので、せっかくですから玉砂利を進みます。〽あぁ〜〜うん😊「玉、ええやろ?」写真はございませんが、社殿のなかった古代の祭祀台「神籬(ひもろぎ・神の宿るところ)」が2ヶ所残っています。早朝というわけではなかったのですが、ほぼ貸し切り状態で、程よく寒い晴天の中での参拝、とても清々しかったです。駐車場10台(無料)以上、産田神社参拝でした。お次は伊弉冉尊(イザナミノミコト)の御陵とされる「花窟神社(はなのいわや)」へ向かいます。畑で何か焼いてるのかしら?(火事でした…)神社に駐車場がないので、隣接されている道の駅「熊野・花の窟」へ車を駐めます敷地内にある「口有馬竜宮塔」案内板によると、安政六年(1859)己末8月に井戸川河口にて湊切り(砂利で閉鎖された河口を切り開く事)の作業中、折から打ち寄せる高波により9人が流死したため、海の神・竜宮神の怒りを鎮め、再びこの様な災害がない事を願い建てられた…との事です。こちらは、鳥居の向かいにある「口有馬道標」有形民俗文化財 くまのさん右 道 志"ゆんれいと刻まれております建立年月日は刻まれておりません頭欠けがちそこに顔出し看板が在るから顔を出すのです私がもし野生動物だったとしたら、バンビーノのネタくらい捕まえられてしまう事でしょう。戯れ言はこれくらいにしてボチボチ向かいます日本書紀にも記されている日本最古の神社と言われています参道途中に稲荷神社、龍神神社がございます。いや、無駄ではない。参籠殿を抜け御神体圧巻の45m!引きがないのでさすがに全体は撮れません伊弉冉尊をお祀りしています頂上2つの顔に見えるのは私だけ?頂上から縄が垂れ下がっています「御綱掛け神事」と言って、毎年2回縄がかけられます。めんど……説明するより見るが易しですね↓王子ノ窟御神体である伊弉冉尊の斜め向いに在る高さ12m程の岩で、軻遇突智神をお祀りしています。今更ですが、御祭神は上の二柱です。産田神社と同じですね。岩肌の穴に玉砂利入れるよね〜ちょっとウゾウゾしますステキすぎたので御朱印帳いただきましたステキ御朱印ステキ書き置きカラー御朱印ステキ産田神社の御朱印は花窟神社でいただけます。そんな感じで、長くなりそうなんで一旦これにて。冬~早春の出来事を5月末に書くというね。次回は熊野速玉大社までの道中アレコレを(多分)