こんな記事が掲載されていたので、ふと目にとまった。
以下、記事の問題部分を抜粋する。
記事の出所については、実名が記されていたので、ここでは一切伏せる。
でも某有名ポータルサイトのニュース欄に掲載されたコラムだ。



問題を「変えられるもの」と「変えられないもの」に分ける。このプロセスが非常に重要だ。

他人のこと、過去のことは、変えようがないが、自分のこと、現在のことはいくらでも変えられる。「自分と他人の双方に関わること」は、いきなり他人を変えることはできないが、双方の関係性の問題なので、自分が変わることで相手も変わる可能性がある。また、未来はあくまでも現在の積み重ねの結果であるから、現在を変えれば、未来も変わる。

「他人」と「過去」について、あれこれ悩んでも変えようがないのだから、悩むだけ損である。よく過去の成功体験に縛られてしまう人がいるが、同様に過去の失敗体験に縛られ悩み苦しむ人も非常に多い。しかしそれはエネルギーと時間の無駄であり、一番損をするのは自分自身なのだ。




以前、このブログに書いたのですが、過去の経験・体験は自分の糧になっており、未来に有効・且つ為になるもの・役立つもの。ただ、それを負の遺産とか、ネガティブに撮られているからそうなっているに過ぎなかったり、その経験を客観視出来ていなかったり、良い解釈に転化できていなかったり、様々な理由から悪く捉えられがちだ。ただ、有効活用できていないだけ。

また、人の記憶と言うものは、その人にとって都合良く記録されてしまうこともある。
人の記憶など、そこまで正確ではないし、信ぴょう性もない。

退行催眠と言う手段を用いて、その時の記憶へ戻ってみると、事実と違っていたということは沢山あるのだ。

これは、その事実を受け止めきれなかったりした為に、自己防衛的にしてしまうことで、その事自体に全く罪はない。

正しく、底で起こった事実を客観的に見つめることで、そのことへの見方・考え方が分かる事はままあるので、過去に起こった事実は帰る事は出来なくても、ある意味、その人にとっての過去は明らかに変わることもあるのだ。

エネルギーと時間の無駄というのは、過去に苦しんだ経験がないか、抜け出すことが出来た人の一人が思った極めて個人的意見に過ぎず、そう思うのは勝手だが、まるで事実の様に言いきっている事の投稿に対しては、モノを申させてもらう。

但し、一点だけフォローさせて頂くと、仕事の現場で、いつまでも成長しない部下に対してのアドバイスとしてなら、使えるかもしれない。例えば、この記事の全文を読むと、職場でのコミュニケーションについて書かれている。出来ない自分を何とかしようとする部下が、過去の失敗にとらわれてしまったら、こういう説明もありかと。但し、病んでしまっている状態だったら、追い打ちをかけるだけである。あくまでもこうした理路整然とした理論は、病んでいない人向けの者だということを前提に置いて頂きたい。

ビジネスに徹してしまえば、むしろ正しい事なのだが、それが出来ずに悩んでいる人の数の方が実際には多いので、これは「出来る人の論理」であると私は思う。

因みに「相手」が変えられないというのは、正解です。
「相手」を変えようとせず、「自分」が変わる事。これは、出来る人・普通の人・元気のない人、皆共通です。「自分」を変えると、今と未来は変わります。
今日の中2男子の自殺に関しての報道に激しい怒りを感じる。学校・教育委員会等の隠ぺい体質が改めて明らかになったが、関わった関係者は恥を知れ! 今回に始まった話ではないが、自分達の保身以外考えられない奴は教育の現場を去れ! と言いたい。

カウンセリングの現場では、学校の教師のうつ病の増加が著しい。

世間の声では、最近の教師は…、と教師を非難する傾向が強いが、一概にそうとは言えないと思う。
私の知る現実を書きたいと思う。なので、情報は偏っていると思うので、全ての教育現場がそうでないことを先に書き留めておく。
とてもうまく運営されている学校の事例も知っているので念のため。


教職員の世界は極めて保守的で、今回のいじめの隠ぺいでも分かる通り、問題の発生には異常なほど神経質である。

自分達に都合の悪いことが起こると、生徒・父兄に対して、報道関係者への口止め工作が徹底して行われる。
そんなことをした所で、いずればれるにもかかわらず。とにかく往生際が悪い。

保身最優先の上司の下で、教師達は、過酷な勤務を余儀なくされている。
部活の顧問だけでなく、様々な役割が教師には課せられ、残業も半端なく多い教員もいる。

余裕のない教師同士の人間関係も、左程良好とは言えず、相談し合ったり、助け合ったりするようなことは少ないという。一種、個人商店的な部分があるのだ。

教室では、学級崩壊、いじめの問題。

PTAをはじめとする親との付き合い。

モンスターピアレンツの増加。

問題が起きても、上司や学校側が助けてくれることは、殆どないという。

皆、自分でなくて良かったと思う教師が多いと聞いている。

まだ、会社組織の方がミスをした部下を上司が助けているのかもしれないし、助ける環境があるのかもしれないと思う程だ。

教師という職業は、一般的に思われているよりもずっとハードである。

親達は、自分の子の躾すら放棄していて、教育の何もかもを学校任せにしているケースが多く、子供が問題を起こす度に、担任教師や学校の所為にする。

常識を逸しているモンスターピアレンツは、給食費を払わないどころか、自分達が気に入らないと何でもかんでも文句をつけるだだのクレーマー。

教師も親達同様、普通の人間であり、職業が教師と言うだけで、何ら変わりない。

親達は勝手に教師たるものは…云々。と自分達にとっての理想の人格を教師に強要する。
まるで、自分達の思う人格者でなければ、教師の資格はないとでも言っているようだ。

悪知恵がついている子供も増えているので、怒られたりすると「親に言いつけてやるから!」と、わかった上で教師に刃向かう。

そういった数々の矛盾や理不尽さを一手に背負う教師達は、テンパっているだけに、いじめを含む、次々と起こる問題への対処に消極的にもなろう。

それを一概に不真面目だとか、無責任だとか、職務怠慢と誰が責められるだろう。彼等も被害者なのだ。

よくいじめの際の報道で、「先生に相談したけど何もしてくれなかった」ということが流れる度に、何もしなかったのではなく、何も出来なかったのだろうと、思うことがある。

教師に責任がないとか、そういうことを言っているのではなく、学校側そのものに問題があるケースが実は多いのだ。

私からすると、親達はそんな学校に大事なわが子を、全幅の信頼を抱いて任せきっているのか、育児放棄で押しつけているのか知らないが、平気で預けている訳です。

これって、親も無責任ですよね。

無関心にもほどがあります。

子供のことを考えているようで、余計な事は一杯考えて一所懸命やっている癖に、肝心な事は何一つ考えていない。というより、気付かない・見えていない。その無恥さ加減が、子供に悪影響を与えている。

これが、私から見える、教師のうつ病を生んでいる学校の、教育現場の実態です。
<大津の中2自殺>生前に自殺練習強要
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120704-00000005-mai-soci

Yahoo!での報道です。

子供達の闇が広がっている。やりきれない現実を描かせて頂く。

弁護士という職業は、仕事柄どんな凶悪犯であっても弁護をすることになれば、職務として被告人の弁護を行う。これってとても凄い仕事だとずっと思って来ました。

あるカウンセリングの勉強会での事です。

その時に学校でのいじめの話題が出ました。
色々な意見が飛び交いましたが、「いじめを受けた側」のケアよりも、「いじめという行動に走った心理」についてが論じられました。

そして、いじめと言う行動でストレスを発散している子供の心を何とかしてあげる必要がある、という所で意見が分かれました。

つまりいじめをした側の子供の心のケアの重要性というか、それを精神科医なりカウンセラーがもっと積極的に行う必要があるということ。

「加害者側も人間、人としての尊厳も守る必要がある」と。理屈では分かりますが、犯罪被害者の方達寄りに私の考えは傾いてしまいます。どうなりたいですか? どうしたいのですか? と問うても、失われた命は二度と戻る事はないのです。にも関わらずやった側には、未来があります。これを公平に見なければならないのかと、憤りさえ覚えました。

責めるばかり、償わせるばかりが手段ではない。そもそもそれでは何も解決しない。
彼等は彼らで今後の人生を生きていかなければならない。

そんなことは言われなくても分かっています。

しかしながら、どうしても怒りの気持ちが強く湧き上がり、ニュートラルに事件を捉えられない自分がそこにいました。

犯罪心理に立ち向かうのは本当に難しい。

カウンセリングをする際は、当然ながら、自分の感情や先入観、好奇心を持ち込めませんので、そうした立場に立つことへの難しさを改めて認識しました。もちろん自分の未熟さ加減も。

セオリー通り、相手の気持ちに寄り添う・相手の状態を受け入れる には、一般的な人の既成概念を全て取っ払ってしまわなければいけません。

いじめも殺人も、善・悪ではなく一つの事象として捉え、一切の色眼鏡を外して、人として、人の部分だけを見て、対峙するのです。

人間関係の縺れやうつとは違って、こうしたニュートラルを保つことの難しさ、奥深さを改めて思い知らされた事件でした。