。通貨高によって輸出は減少し、経済が悪化しているのに為替レートだけが過大評価されていた。アジア通貨危機の始まりだった,ro rmt。直前に1ドル=25バーツ程度だったバーツは、7月末には32バーツ台まで下落。レートの動きに戦々恐々としていた」。 当時、アジアの新興国通貨の多くはドルペッグ制を採用していた

ヘッジファンドが突いたのはその矛盾。通貨戦争がヘッジファンドなどの投機資金によって引き起こされる時代となったのだ。英国ポンドが過大評価されていたことをとらえて、ヘッジファンドがポンドを売り浴びせた92年のポンド危機と同じ構図だった。このため、米国経済が好調でドル高になると新興国通貨も高くなった。ヘッジファンドによるタイ通貨バーツの売り浴びせに耐えられず、変動相場制に移行せざるを得なかったのだ。 「変動相場制になったことは、表示されたバーツのレートが大幅に切り下がっているのを見て初めて知った

 1990年代に入り、通貨戦争は新たな局面を迎えた。 97年7月2日、タイ政府はドルと連動する事実上の固定相場制であるドルペッグ制を放棄した,rmt。外資系投資銀行で新興国通貨を担当する為替ディーラーだった男性でさえ、そう感じるほどにヘッジファンドは猛威を振るった。日本がヘッジファンドへの本格的な対応を迫られたのが、97(平成9)年に勃発したアジア通貨危機だった。

発端はバーツ売り浴びせ


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