久しぶりの二次創作なので、文章がめちゃくちゃかもしれませんが、皆さん…ゴーギャバ外伝楽しんでくれてますか?
映画が本当に面白かったから、その勢いで書き始めちゃったんですが、ぐったり疲れているとダメでも調子がいいとアイデアが出てくるわ出てくるわ。
正直言ってここまできっちりとストーリーをかけているのは、本当に久しぶりなんです。
今以上に疲れると気持ちのぶれが大きい時なんて、とてもここまで文章を書ききることなんて出来なかったですから。その前に小説書くパワー自体なかったですからね。

でも今は、薬を卒業できそうなところまで元気になったからなのか、手術上がりでバリバリ動けないのが逆に幸いしているのか、変な落ち込みや逆にがーっと怒ってしまうことが減ってきているし、凄くゆったり生活出来ている気がするんです。

そりゃ今は手術上がりでまだバリバリ作業所の中での仕事も出来ないから、お金のやりくりは大変ですよ。
おまけに手術頑張ったご褒美でベースを買っちゃった支払いもありますから。
だけどこうやってのんびり過ごしているうちに、昨今のいろんなニュースを目にしていく中で、元気になったら多少しんどくても普通に働きながら夢を追いかけようとも思っていた部分があったのが、ちょっと違うかな?と思うようになったんです。

そのきっかけはやっぱり手術をしたことなのだけど、周りの顔色をうかがうようにして、また妹が重度障害だった分、あなたがしっかりしなくちゃだめとか、障害あっても認めてほしいなら人の二倍三倍頑張るぐらいじゃなくちゃだめとばかり言われて生きてきた中、私は「人を信じる心」だけでなく「自分の幸せを本当の意味で大事にする」能力まで、大人になっていく中で壊されかけていたことに気付いたんです。

昨年の秋、二次障害の痛みでもどかしい思いを抱えていた時の私は、何かやりたくても思うようにいかない、仕事も思うようにいかなくなる中で気分が落ち込むばかりで本当に苦しかった。
いじめで深く傷つき、心に深い闇を抱えてしまった分、心ない人にひどいことを言われたくなかったから、なおのこと自分なりに突っ走ってきましたから。
少なくともよほど理解しあえる人とでないと結婚は無理だと20代に思った分、一生独身も覚悟していましたから、経済的自立をどうにかしないとと思って、通勤さえかなり大変なのに自分の体に無理をしてフルタイムで働いてた時期もありましたし。
でも、そうやって周りの顔色ばかりうかがって普通の子を演じようとして生きてきた中で、人の二倍三倍頑張るぐらいじゃなくちゃだめだと言ってきた人たちに、本当はさんざんひどいことをされてきてたことに、入院生活の中で気づいたんです。

生活していくためにはどうしてもお金は必要だし、仕事がちゃんと出来た方がいいのにこしたことはない。
でもいくら仕事があっても、仕事にあまりに忙殺され過ぎて、自分が自分らしくというか人間らしい生活が出来なくなって体を壊すのでは、せっかく手術をしても本末転倒だなと。
もしかすると、私が普通に仕事を出来ていた時も心の中でずっと欠乏感を感じていたのは、収入の問題じゃなくって、自分の魂が満たされていなかったからなのかなと思ったんです。

そう思う中、私はこれからの自分に一つの答えを出しました。
「一般企業で働くことはもうやめよう。これからは自分の夢と心が喜ぶことを大事に生きよう」と。
仕事をするにしても本当に自分の心が喜ぶことしかやらないと。