過去に殺され忘れ去られた名機達 | 桂昇のブログ

桂昇のブログ

戦争の無い、平和な世界になって欲しい

世田谷区、田園都市線と大井町線の乗換駅である「二子玉川」駅は今みたいに都市化は進んでおらず、田舎びた駅だった。名前も「二子玉川園」駅と名乗っていた。何しろ今からは考えられないが、「二子玉川園」駅と次の「二子新地」駅の間多摩川を渡るには独自の線路が無く二子橋の真ん中を路面電車よろしく道路の上に設置された線路の上をゴロゴロゆっくり動いていた。その、駅名の由来であった二子玉川園の廃止されるまで存在した「フライングコースター」はもうほとんど名前さえ覚えている人はいないだろう。忘れられてしまった遊具たちのたどる寂しい末路であった。フライングコースターの廃棄処分される1985年、多くの新しい絶叫マシン達が頭角を現したが、現在残っているものは数少ない。いや無いかもしれない。
富士急を例にすれば、昔あったマシンはもう存在しないと言ってよい。富士急は当時世界一を目指していた。そして、長さ・高さで世界一のジャイアントコースターを建設した。次いで、亡きシュワルツコフ氏の設計によるダブルループが作られた。そしてGの掛かり具合において最高(6.5Gとも7Gとも言われている)ムーンサルトスクランブルが登場する。当時は恐ろしかったと思う。構造は良く分からないが、正面向きに巻き上げられ一定の高さまで行くとバックを初め後ろ向きに進みだしホームを通過しまるでさそりみたいな形のコースを激しいカーブで通過する。この時激しいGがががる。分かるのはそこまでだ。このダブルループは、ドドンパの出現で姿を消した。ムーンサルトスクランブルも、ええじゃないかの登場で姿を消した。赤いレールはムーンサルトスクランブルの後継機として位置づけを兼ねているらしい。
後楽園遊園地はもっと悲惨である。昔あったアトラクションは全く姿を消した。知っているだけでも、リニアゲイル(特に事故も無いのに殺されたのが納得できない)・タワーハッカー・スピニングコースター舞姫、これはアルバイトの係員への指導がなされてない・安全装置の連絡がなされたのに拒否したと言う2重の意味で、転落して亡くなった方には申し訳ないが、殺され撤去されたと言う気持ちにしかなれない。都心部の遊園地の宿命かもしれないが、あの処置は酷すぎると言う意味で怒りを感じてます。
としまえんはパーク全体が潰されそうになってヒヤヒヤしたり・よみうりランドも普通の意味で残念な老朽化による撤去がなされた。そのうちの1つ、SLコースターと言う、とても変わったコースターで、落ちるのから始まって終盤に巻上げが在るという風変わりな構成で初心者にはもってこいだと思っていました。事故も多くたくさんの話題を提供した木造のホワイトキャニオンも撤去されましたね。セレモニーの予定も、雨という天候に勝てず、ひっそりとお亡くなりになりました。
一番可哀想なのはパーク全体の閉鎖による撤去かもしれません。エキスポランドは「風神雷神2」が整備不良による死傷事故を起こしたため、その他の罪も無いコースターまで殺されました。その他名機として誉れの高かった「奈良ドリームランド」のアスカ。日本人より外人さんたちに愛好されていたらしいです。
東武動物公園でも2基撤去されています。その中でもクレイジーマウスと言う名作があったのに老朽化を理由に亡くなり、乗りたかっただけに非常に悔しいものがあります。
ここに載せたのはごく1部分に過ぎません。様々な理由がパーク側としては有ったのでしょうが「悔しい」の一言です。
ごくわずかの救いとして、撤去されたコースターの1部が、別のパークにリメイクされて現役として活躍しているのも在る。何時までも生き延びてください。
又、撤去されたコースターに関しては、作成日時・活躍場所・撤去された理由・写真等履歴が残されれば普通こういったマシンの記録は残らないだけに貴重な記録になると思います。