能登の震災で孤立した集落の報に接し、すぐ思い浮かんだのが、宮本輝原作、是枝監督のデビュー作、幻の光である。夫を不可思議な自殺で亡くし、幼い男の子を連れ、奥能登に嫁いだ主人公、小説の舞台は輪島市曽々木海岸であった。その集落はどうなっているのだろう。波打ち際に建つ嫁ぎ先の家は津波に呑み込まれたかもしれない。暗澹たる気分である。住民の無事を祈るばかりである。

大阪城公園を散歩していたら、急にバフィー・セントまりーのサークルゲームを聴きたくなった。YouTubeで久しぶりに聴いた。いちご白書は確か東大紛争の年だったからバフィー・セントマリーは健在なのか調べるべくWikipediaを覗くと驚愕すべき記事があった。何とバフィーがネイティブ・アメリカンを自称していたのは真っ赤な嘘だったと言うのだ。2023年10月27日、CBCニュースはセントマリーの公式出生証明書を公表した。それによると、彼女はマサチューセッツ州ストーンハムで、白人の両親アルバートとウィニフレッド・サンタマリアの間に生まれたと言うのだ。インディアンの血を引く方が反戦、反権力のシンボルには都合がよかったのか。なんとも釈然としない話である。

思えば2月6日の朝日の記事は不吉だった。たかがスーツ、されどスーツ――。スキージャンプでは、接戦になった場合にスーツの性能が勝敗を分けるというのだ。あるコーチによれば、「いいスーツなら、踏み切りでタイミングを外しても、帳消しになる」。数メートル以上、距離を稼ぐことにつながるそうだ。かつては、少しでも多くの浮力を得るためにダボダボの印象があったスーツは今、体にフィットしたサイズに決められている。それゆえ、公平性を保つためのルールは年々厳しくなり、体の部位によって、基本的に男子なら1~3センチ、女子は2~4センチしかゆとりは許されないルールとなっている。なるほど。ダボダボスーツを着ると風船のようになり、空に舞うというのは理にかなっている。ところが、高梨沙羅がこのルールの餌食になってしまった。見逃しビデオで見ると、ジャンプ直後の高梨沙羅のスーツの股のあたりがダボついてるように見える。混合団体ではドイツ、オーストリアなどの金メダル候補も相次いで失格。波乱の展開となった。


そう言えば・・・と想起するのが札幌オリンピックの日の丸飛行隊。金銀銅の独占はホスト国へプレゼントではなかったのか。笠谷選手のスーツはピチピチで、ダボダボ感はなかったが、発泡スチロールのような材質のスーツだったら、さぞ浮力は増しただろうな。一気に興醒めしてきたのであった。