娘を持つ父親として娘の進路を考える | JetClipper's Bar

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東京生まれですが、沖縄、多摩ニュータウン、横浜、尼崎、川崎を経て、三鷹市民になりました。

御大層なタイトルをつけてしまったが、私の娘はまだ1歳半。もちろんまだまともに話もできないし、どれだけの潜在能力があるかも正直わからない。まあ、両親の顔をそれぞれ受け継いでしまったから、モデル並みの美人ということは難しいだろう。モデル並みの美貌とか歌唱力とか芸術家としての素質があれば別の生き方があるだろうけど、たいていの人にはそういう能力はない。そういう前提に立って娘を持つ父親として色々考えてみる。

娘が成人するまであと18年。正確に18年先の社会を予測する方法はないし、することも出来ない。人間の知能のすべてをもってしてもせいぜい数年先のことがわかるかもしれない、という程度だ。ましてや成人した後の残りの人生60年も予想が全くつかない。だから今流行っていることや今の現実だけで娘の将来の進路を狭くする必要は全くないと思う。

確実にいえることは日本は人口減少の少子高齢化社会が進む。しかも隣の中国でも同様に少子高齢化と人口減少が確実に進む。世界のグローバル化はどこまで進むかなんともいえないけど、賃金については国際的にある一定水準に近づいてくるようになる。つまり単純な事務作業や組立作業なら新興国の組立工や事務職の給与と変わらなくなるだろう。もちろんそうなると日本全体の平均賃金は下がるだろうし、その分さまざまな物価も下がるだろう。
これは単純作業だけではない。教育や医療ということでも同じようなことが起こるだろう。今以上にコミュニケーションツールが充実すれば世界中で時差はあるものの同じ講義を聴く事が出来るようになり、ゼミナールに近い形の指導も出来るようになるだろう。だから世界水準の教育が出来ない大学教授は極端なことを言うとこうした遠隔授業のオペレーターやオルガナイザーという立場にしかなれないかもしれない。
また医療においては遠隔手術も可能になるだろうから、本当に難しい部分は遠隔で、その準備段階をそれぞれの患者についた医師が行うことになる。でもそうなるとコ・メディカルでも良いという判断が出るようになるかもしれない。

そういう点では私は資格を取れば将来が安定するという安易な考え方は違うと考えている。その資格が国際的に通用するものなら別だが、現状の日本で国際的に通用する資格制度は何もない。ただ、今後医師や弁護士、その周辺資格については国際的に相互認証するようになるだろうし、コ・メディカカルやパラリーガルのようなものも国際的な資格認定制度が出来るかもしれない。ただ教師というものについては今後教職免許というものが意味を持たなくなるだろうとは感じている。

そうなると、娘や息子の世代になるとおそらく日本の価値観に縛られるということは安定した生活につながらない可能性がかなりの確率であると思う。そして日本国内に様々な社会グループが出来て今のような変な一体感とか平等感というものが成り立たなくなるだろう。つまり多様性のある社会になるだろうということである。そして日本以外に活躍のフィールドを求めるという可能性もあるので当然考えている以上に多様性のある社会との付き合い方を身につけていないと致命傷になる可能性がある。

少なくともコミュニケーションツールとしての英語+αが必要になるだろう。その+αに相当する言語はラテン語系言語か中国語系かアラビア語系のどれかだろう。ロシア語やドイツ語は英語が出来るとそれなりにできるようになる可能性が高い。つまりトリリンガルを目指す必要はあるだろう。

そして一番大切なことは、いかに様々な価値観を持つ人ときちんと最低限のコミュニケーションをとり、相手を不愉快にさせず、仕事ができたり、一緒に何かできるという折り合いをつける能力かもしれない。どんなに専門的な知識を持っていてもそういう多様な価値観と同居できるというある意味融通無碍さが必要になるということだ。だからこそ、逆説的になるが自らのプリンシパルと国際水準の専門的知識を持っていなければならない。相手に合わせるのではなく、対等の立場で相手と対話して対等の人間として認識され、振舞うことができるというのが理想かもしれない。

というようなことを考えていくと、少なくとも英語嫌いにだけはなってほしくないし、日本の価値観だけが絶対だというようなことも覚えさせたくない。人と違うという事を極端に嫌う日本社会、とくに女性の価値観は身につけないでほしい。むしろ人と違っても私は私、という自主独立の精神は強く持っていてほしい。

その上でどの分野を選ぶかは娘の能力しだい。
ただ、親としては結婚だけが人生ではないし、結婚してもいずれは復職したり地域に役立つ仕事を出来たりするような女性であってほしいと思う。結婚して生きるにしても女一人で生きるにしても、水商売や生保レディしか選択することが出来ない、なんていう事態にならないように、どう生き残るか、という事を真剣に考えて分野を選び、職業を選んでほしい。

同じように結婚する相手も慎重に選んでほしい。相手に依存するような人生であってはいけない。親になれば夫を亡くしても子供を育て、立派な社会人に出来るように常に社会との接点と見方を失わないということが大事だと思う。
結婚ほど多様性を許容する心と協調が必要なものはないように思う。どの価値観は譲れないか、どの価値観は共鳴できるか、そういうことで相手を選んでほしい。

いずれにしても、よい人間であることを目指してもらえれば自ずと道は見えてくるように思う。