冷静に子供達の将来を考える | JetClipper's Bar

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JetClipperが日頃感じている事をblogにしました。

東京生まれですが、沖縄、多摩ニュータウン、横浜、尼崎、川崎を経て、三鷹市民になりました。

今日の朝刊に入っていたチラシの殆んどが塾関係だった。まあ、合格実績が出揃い、受験にむけて新中・高3年生や新小学6年を勧誘しようという動きだと思う。

いつも思うのだが、この塾に入ったからこの学校に受かるということは絶対にない。だから合格実績を高々を掲げてもそれがナニ?という反応をするのが本来健全でそれに踊らされてそれがその塾の実力だなんていう親は、そもそも子供を私立の良い学校に行かせるべきではない家庭だと私は思う。元々の能力があって、それを発揮させる方法を教えるのが塾とか予備校だから、そもそものポテンシャルがない子供を強引に学力を伸ばして高いレベルの学校に入れてもついていけないだけ。現に塾産業では特待制度を使って優秀な子供の授業料免除どころか実績の為に受験料を肩代わりする等の方法を取っている。実際、能力がある子供は塾に行かなくてもそこに入れるだろうけど、後ちょっとの伸びしろがあれば安心できるという場合が多いから塾で受験テクニックを学べばよい。これに関しては私も経験があるから、比較的好意的に見ている。

で、うちには1歳と4歳の子供がいる。この子達の進路について私はこう考えている。
あえて暴論をいうのがこのブログだけど、傷つく人がでるだろうからあらかじめ謝っておく。

その子供が手先が器用かどうか、論理的な思考能力とそれを表現する言語・非言語の能力があるか、外国語への抵抗感はあるのか、という事を慎重に見極めながら、将来何になりたいかを常に問い続け、どういう仕事があるのかを親は常に子供に教えるべきだろう。

その中で、子供の適性を見抜き、大体、どんな職業につきたいのかの方向性を小学校の高学年までにつかんでおく必要がある。
もし、それが明確であれば、どこの学校に進学するのが一番その職業に向いているか、それに就けない時のリスクヘッジを含めて検討する。現場技術者や職人の世界を目指すなら何も大学だけが進路ではない。高専や弟子入りという方法だってありえる。それが大学に行く必要がある職種ならば、どの大学が良いのかを含めて検討して、場合によっては大学付属の高校に入れる方向を考える。その高校が中高一貫だったら中学入試も検討しなければならない。

明確でない場合、一番良いのはそれこそ開成や灘に入れるか、でなければ海外の寄宿舎制の学校に入れてしまうことだろう。色々な大学を目指す選択肢が広がる。それが駄目なら、公立の中高一貫校を目標にしてしまうと良いかもしれないし、都道府県の中のトップの公立高校を目指すというのもありだろう。
はっきりと目標がない子供は大学に行かせる必要はないし、訳の分からん名前も聞いたことがない大学に行かせるくらいならきちんと手に職を就けさせた方がその子の為だ。

大学はその頃の状況にもよるが、日本国内の大学の英語教育次第。授業を英語でやるのが当たり前になっているかもしれないから、それならば日本の大学でも良い。そうでなければ海外の大学進学を当然視野に入れるべきだ。成績さえ優秀ならば奨学金はあるし、ローンで返済することも出来る。

極端な話だが、ある程以上の大学で平均以上の成績が取れないのならば私はうちの子供を大学に行かせるつもりはない。浪人や留年なんて以ての外。それならばその分の学費を働いて自分で稼がせる。
その代わり社会に出て必要な運転免許や語学、コンピュータについては出来るだけ早く学ばせ、遅れを取ることがないようにさせたい。

つまり、今まではいい大学を出ればよい会社に入れて、安定した職業に就ける、という殆んど崩壊している幻想に未だに親達は生きているけど、私もそして一部の賢い方々もその欺瞞は早晩破綻すると考えている。

少なくとも英語と日本語でビジネスが出来て、あとは中国語(多分広東語の方がいいかもしれない。北京語は将来性に欠く)かラテン語系の言語を一つある程度の会話力を持たせたい。アラビア語、という選択肢もあるが、子供達が成人する頃もアラブ圏が重要であり続けるかどうか疑問が多い。中国もその頃には急激な人口減少社会になっている。
そして大事なのは言語以上に論理的な思考能力、国際的な視野、そして知的好奇心。これだけは失わないで生きてもらいたいし、自分もそうありたい。