さて、今回はサブタイトルあります
フィリップ(シャンドン伯爵)は、「為所(しどころ)のない役」 じゃないとおもう!!
今回もっとも力説したくてうずうずしていたフィリップ君に、突入します
っとその前に。
今月CS放送中の「マイスターの教え『CAPTAIN NEMO』」
すごくいいですよね!!
『CAPTAIN NEMO』といえば、観ていない公演は論じるべからず・・を貫きたくても、
あまりにも芳しくない評判で溢れかえっていた、いわくつきの作品になっていると思います。
既に放送されたので録画してあるのですが、ざ~~っとしか見られておらず、
でも、あまりに酷い評判を見ていたせいなのか?
「そんなにすごく(悪く)なくない?」
くらいに感じて、また、私の好きな、「解読型」っぽいな、と、時間が出来たらじっくり見よう、
と、詳しく把握できないままでした。
この放送が発表になってから、期待とともに、不安も。
本当にアレレ・・・な作品なら、この番組の趣旨上、どのように話を埋めるのだろうか・・→不安
実はとっても深い繊細な作品で、稽古での伝えたい本質や、とらえ方の角度の違いで見えてくるものなどの
するどい解説が聞けるのでは・・・→期待
見事に、「期待」のほうの上を行って下さり、とってもうれしい!!
これ、はっちさんと朝美さんだったことが大きいですよね。
「義経妖狐夢幻桜」 の同番組が、とてもがっかりな内容だったので・・・・
あれは是非、はっちさんとひとこちゃん(永久輝)でやりなおしてほしい。。。
とても良い作品だと思ったので。でも、感想が分かれるのもわかる、そういう作品だった。
だからこそ、深く掘り下げたところを、ああいう番組は話せる布陣でつくってほしいな~。
ここからは、別記事に書きます
さてやっとファントム。
「この朝美シャンドンの芝居が、
きちんと物語のフックとなっていて、私としては好みの役創りをみせてくれて、すごく作品への興味が深まるきっかけの一つだった」
と、前述しました。
ビストロの後、クリスティーヌと「夜の街角」に出かける際、キャリエールに「楽しんでおいで」と言われ
シャンドン伯爵が、
「ありがとうございます!」
・・・・・・・・・???
え?
急になんで敬語?
ここ、このセリフ、今までもあったっけ?
二人の年齢・立場設定って、え~~っと・・・
・・・・
そこから?
いえ、そういうわけではなく、要因のひとつだったんですよね。
これは、情報から、今回は
エリック 28歳
シャンドン 28歳
クリスティーヌ 22歳
キャリエール 55歳
くらいだそう。
わかる。
貴族の子息として、幼少期から大人の社交界で大人と話してきた坊っちゃんぽい。
基本タメ口OK、だけど、要所は育ちよく、礼儀も分かってるスタンス、ですよね。
でも、初演の瞳子さんは、ここ、にっこりしているだけで、台詞無しでした。
瞳子さんは、年齢高く感じましたもんね。
今回は、凪さんのほうのフィリップも、年齢はもっと高く感じました。
「シャンドン伯爵は、2・3番手なり路線なりが配役される重要な役ながら、実は、とても為所のない役で・・・・」
各所のメディア評でも、ブロガーの方の感想でも、たっくさん見るこの言い訳(違)
だから、「役として〔生きた、通った成果〕がないのはいたしかたない・・」
とされているようで、私ははなはだ疑問でした。
ただ、なぜそうされるのかは、わかる気がします。
1、クリスティーヌをオペラ座に来させる「スカウトマン」としてのお役目
2、オペラ座の筆頭パトロンとしての見せ場は少々あるが
3、クリスティーヌの歌の劇的な成長と輝きに一気に恋に落ちるが
4、忽然と行方が分からなくなってから、まるで一人でドラマチックに盛り上がっているかのような、
「そこまで深く彼女に関わってましたっけ?あなた?」のように見えかねない、描かれ方と、出番での台詞・歌・歌詞の
「ひとり盛り上がり感」
5、最終局面での、蚊帳の外、感。本当に彼はただ空回りしていたのか?
シャンドン伯爵 は、ALW版のほうでいえば、ラウル子爵です。がっつり恋人です。
最新の映画版の、老年のラウルが先に亡くなった妻のクリスティーヌを回顧しつつ始まるオープニングがとても素敵でした。
作品の構造として、核の一つの位置づけでしかるべき役ではないのかなと。
脚色は違うとはいえ、オリジナル版でも主要役であり、
コピット版が、本来、この役をどの辺の位置関係として作ったのか、すごく興味がわきました。
そして何より、朝美さんのシャンドン伯爵の表現から、
「フィリップが為所がない?
そんなことはない、そうしたくないそうあるべきではない、
人間として通して演じたい」という感覚を、なんとなく感じた。
色々変更などあるにしても、
音楽にも「色」や「意味」があり、その音楽を使用する以上、どんなに歌詞をいじっても、
「曲の持つ心」には、それだけで訴えるものがある気がして。
(まあ、曲自体を、あちこちからもってきたり入れ替えたりもあるようですが、まあ、シャンドン周りはそうでもないよう、かな?銀橋の歌は、持ってきてますね)
まあとにかく、興味がわ~~っとふくらんで、あれを見たりこれを読んだり、いろいろしました!
まずもっともっと拍車をかけたのが、
ドラマ版のシャンドン伯爵が目に入った時の驚き
「朝美シャンドンに似てません?」
まったくもってなんのつながりもなく、偶然ですが、
その「語る瞳」と、醸し出す雰囲気、役の表現もなんだか近い線を感じて、すごく面白かったです。
そしてすごく腑に落ちたことたち。
または、この設定、少し入れてほしいな~と思ったことなど。
1、フィリップとクリスティーヌ、幼いころ会っている。「どこかで会った?(byフィリップ)」
→フィリップの屋敷の住み込みの使用人の娘で、自身も使用人としてフィリップのそばで働いていた。
子供同士、仲よく遊ぶ仲。訝しんだフィリップの母によって、クリスティーヌ親子は暇を出され、以来行方知れず・・。
きちんと若い役者を使って回想シーンで尺を取って語られます。
2.1、を双方思い出し、ビストロ後は正真正銘の「急接近」。 一晩を森の奥で過ごし、明らかに関係を持ったとされる描写。
3.タイターニア初日の楽屋へ、カルロッタの前にフィリップが激励に来る。
→赤い薔薇を一輪渡し、ほぼクリスティーヌから口づける。とってもラブラブな雰囲気です。2.が裏付けられる。
ここですっかり付き合っているテイの「フィリップ 呼び」
2・3は、ドラマの役者さん都合のやらせ設定かと思いましたが、海外での上演でも、舞台上にも3のシーンは同じに描かれており、
この段階で二人はラブラブな恋人同士として存在している。
4.エリックの「フィリップは音楽も彼女も愛していない」発言。・・・・・深い・・・
5.エリックの顔を見て脱出してきてから、シャンドン伯爵邸?にクリスティーヌを引取り、エリックに心を占拠されている理解しがたいクリスティーヌの様子に、エリックへの嫉妬や、クリスティーヌへのやり場のない複雑な感情。
6.キャリエールに「彼女を愛しているか? なんとなくじゃなく、生き方を変えてもと思うほどか?」と問われたり。フィリップの葛藤と成長が、けっこう描かれます。
7.また、キャリエールが、彼女が無事ではあることをフィリップに告げたりするので、「なぜ知っている?」と、不可思議なキャリエールたちの関係を早くから感じている。
う~~ん、全ての設定を入れ込むのは、トップスターシステム上、すごく難しいとはわかります。
でもね、「カルロッタにもらったんです」を、「カルロッタさんに~」と変更したり、→これで、関係性の表現が相当違ってきますよね。
日本人がどう感じるかを、台詞の日本語のニュアンスに気を遣われているはずの、今回の脚本。
ビストロ後は、「ムッシュウ」と呼んでいたものが、次に接するシーンではすっかり慣れた様子で「フィリップ」
このシーン間の接近の濃度は、こちらの想像にゆだねられている?でよろしいですか? 中村先生??
あと、上記6.7.あたりだけでも、キャリエールとフィリップのやりとりでワンエピソードあるだけでも、
銀橋歌は一人相撲から脱せられると思うのですけど・・・
多くの方の感想には、
「思いもよらぬ君」
の最中は、クリスティーヌはシャンドン伯爵の話聞いてない・・・
と書かれていますが、私は十分ときめいているクリスティーヌを感じました。
歌声とドレスの指摘に対して、先生であるエリックを思い感謝してはいますが、ここに男女のLOVEは皆無かと。
少なくとも朝美シャンドンは、歌の歌詞というより、何気なく手を取る直前の間合いや、言葉ない瞬間に
必殺の真顔で熱をもってアプローチしていて、それにきいちゃんは(役名で!)ちゃんとドキドキしているように見えます。
関係まで持たないにしても、いい大人、本番初日までに何回も会ってるでしょうし、親しく「フィリップ」と呼び会い、
行方不明になったクリスティーヌをフィリップが銀橋の歌詞を狂おしく歌い上げ本心から心配して不自然でないくらいの仲には、なっている、
と考えたほうが、作品を豊かに観られる自分がいます。
ドラマでのクリスティーヌには、共感できないところも多々あるんですけどね。
でも、クリスティーヌの言う
「あなたへの愛(男女のLOVE)と、エリックへの「愛」は、違うものなの。全然違うものなの」
というのは、そうだと思っています。あくまでも私の解釈ですが。
個人的には、勝手な妄想補完によって、
今回の作品演出と演者のみなさんの表現は、
ようやく、『ファントム』という作品がどういうものなのか、深く感じられた気がしました。
最後、エリック臨終の時に人払いをお願いした後、今回はセンターのエリックとクリスティーヌをはさんで、美しいシンメトリー位置に、きれいにサスライトの中に、キャリエールとシャンドン伯爵が残ります。
過去のどれかのバージョンでは、この段階でシャンドンも捌けた時があった記憶。
今回の残し方には、シャンドンのスタンスの意味を感じましたし、エリックから離して立ち上がらせるフォローを担うのも、
クリスティーヌの心はその時はエリックへの悔恨や想いでいっぱいで一瞥もなく頼られなく見えても、「人間の感情の襞を理解する青年に成長する」大きな経験なのだろうなと思いました。
あそこではっきりと、「父さん!」によって、キャリエールとエリックが親子だと知ることも、今回の受けの芝居には大きな意味を持ちます。
あの後、二人が男女の関係にならないとは、私は思わなかった。
彼は葛藤する「人間らしい人間」だったから、きっと二人には新しいステージが開けてほしいなと思いました。
今回の作品を通して感じた、
「異形のもの」
ひいては 「マイノリティ」
を、どのように捉える世の中だったのか?
果たして今現在は、我々はどうなのか?
「ファントム」の存在を作り出したのは、何なのか? 誰なのか?
全ての人が、完璧な善人でも、完全な悪人でもなかった。
でも、「ファントム」を作り出すのは、まぎれもなく「人間たち」であること。
どの役も、観る我々も、人としての成長を促される、そんな作品だったように感じました。
重い十字架を背負って、でも、ようやく解放されたような柔らかい表情でエリックを見つめる
キャリエールとエリックの遺体に向けてかしずくオペラ座の人々。
今回の演出、いろいろ、好きです
さてタイトル
フィリップ(シャンドン伯爵)は、「為所(しどころ)のない役」 じゃないとおもう!!
というわけでした。
はい、めちゃめちゃ分厚くできる役だと思います。
制約の中でも、ある程度肉付けできると思う!
朝美さんからは、きっかけをもらいました。
深掘り、たのしかった!
今回の彼女にはとても注目して拝見したので、個人的にはいっぱい意見もあるのですが
芝居好きがにじみ出ている彼女の、「今回のシャンドン伯爵を、どのように表現するか」
考えて考えて、考え続けているなぁ~~という、心意気を感じられたので、うれしかったです。
朝美さんのもっとも優れたところは、芝居センスだと思っています。
まとまらず、ぶわっと広がる朝美さんを、観ていきたいなぁ
~~まだ続けるつもりです~~
今回の「役替わり」は、その取り組む姿勢がブラボー!だった
彩凪さん朝美さんのお二人だけでなく、全キャスト・スタッフ・オケ、みんなみんな! ありがとう!!
ドラマではエリックはカルロッタを殺さない。 これがいいよう~!
アランショレとカルロッタは、基本的に正式にお金出して買収してるのだから、悪人スタートではないよね
ルドゥ警部とキャリとのやりとり、ドラマ、すごくいいですよ!
「やっと言ったな」
「私が父だ」とエリックに告げた時のエリックの台詞、いいよね!
ドラマでは、エリックの顔を見たクリスティーヌは、「ショックでその場で気を失います」→きゃーって逃げない。
ここ、今回のきいちゃん、よかった~~