おはようございます。
神谷です。
今日は、本の話じゃなくて、ちょっと感じたことを。
「あの人のためには、・・・」
の次にくる2種類の言葉、
■ 「あの人のためには、何もしたくない」
■ 「あの人のためには、何でもしたい」
この大きな違いはどこから来るのでしょうか。
特に、世話になっているわけでもないし、借りがあるわけでもないのに、「あの人には何とかしてあげたい」という人がいますよね。
これって、何かしてあげた時に、
「喜んでもらえる」
ということに尽きるんです。
ということは、他人の行為に対して、「喜ぶ」というのは、スゴイ報酬なんじゃないかと、思いつきました。
そして、この「喜ぶ」という報酬はやってもらった人の感情だけではだめで、態度にもあらわさないといけません。
「私は嬉しかった」ということを相手に伝えて、初めて報酬として成り立ちます。
だから、
■ 相手の顔を見て、笑顔で「ありがとう」
これで、0点くらいです。
この「0点」というのは、何かしてあげた相手人は、「ありがとう」くらいは言ってくれるだろう、と期待しているからです。
「この人には、何でもしてあげたい」と思わせるくらいですから、相手の期待値を満たすくらいの報酬じゃぁ「0点」なんです。
■ 笑顔で「助かったわ。なんで、私の気持ちが分かったの」
くらい言うと、10点くらいですかね。
■ 笑顔で「ありがとう。こういうところに気が利くから、あなたはみんなに好かれるのね」
と、喜びの気持ちを伝えた上に、相手を持ち上げてしまう。
これくらいで、20点くらいですかね。
これが積み重なると、
「この人には、できることなら何でもやってあげたい」
と思われるようなるんです。
小さな積み重ねが大事ですよね。
仕事を頼まれて、出来上がりを見せに行くと、まず、文句を言う人。
仕事ですから、上司は、出来が悪ければ指摘をしなくてはいけませんが、仕事の全部が、0点ということはないはずです。
まず、文句から入る上司は、実際に困った場面で、部下が積極的に「助けてあげよう」という気は起こらないですね。
問題点を指摘するは構いませんし、問題点を指摘するのが上司の仕事です。
しかし、そのあとに、「ここはいいね」とか、「ここまでやってくれてありがとう」という言葉があれば、「あなたのためにしてあげたい」という人になれるのです。
だいたい、「できる上司を演じたい人」が、終始文句や指摘だけで終わってしまうのですね。
また、家庭で、例えば、突然の雨で子供が洗濯物を取り込んでくれました。
せっかく取り込んでくれたのですが、床のホコリを付けまくったり、くしゃくしゃに置いて、洗濯をやり直さなくてはならない状況だったとき、まずお子さんに笑顔で「ありがとう」がいえるか。
お子さんの心の中では、雨が降ってきたので、お母さんの代わりに取り込んであげたので、きっとお母さんは喜んでくれるはずだと思っています。
お母さんの笑顔の報酬を期待しているのです。
そこに、
「何やってんの!これじゃぁ洗濯物のやり直しじゃない!」
と怒ってしまった時、お子さんの心の中で何が起こるのか。
きっと記事を読んでいると、「怒らないわよ」と思っているとは思いますが、実際はどうなんでしょう。
夫婦間でもそうですね。
たまに家事をそうじを手伝った夫に対して、
「ちっともきれいになっていないじゃない。もっとちゃんとやって。」
と言ったらどうなるでしょう。
また、奥さんが作ったお弁当。
会社から帰ってくるなり、
「今日のは、味が薄かった。」
では、次の日の味は保証できないですね。
何でも、先に悪い方に目を向けてしまうと、
「もうこの人には、なにもやってあげたくない」
となってしまうかもしれません。
自分が喜んでいるという「報酬」。
これって、本当のお金は全然かかりません。
でも、なぜか、この報酬を出す人はとっても少ない。
きっと、この「ありがとう」や「感謝」の報酬を出したいと思っている人はたくさんいると思います。
「この人のためなら、できることなら何でもやってあげたい」
そんな人になれたら、人生かなり成幸です。
実は、わたしも、それを目指している人の一人なんですが。