テレビでヨーグルトと言えば、
店頭からヨーグルトが消える。
それも、特定の種類だけ。
以前も、あった。
納豆だの、バナナだの、
突然店頭から一切のそれが消える。
売れることを喜ばない店はないだろうが、
不満を言う客への対応のみならず、
へたに増産したり仕入れを増やしたりして、
ぱたっとブームが止むと、
今度は大損につながるとなると、
世間のこの気まぐれは、歓迎したくないかもしれない。
ほんとうに馬鹿なことだ、などと言っていたら、
今度は、トマトジュースだ。
これも、その成分がやせるのに云々。
もう、たまったまものではない。
私のような一般人だから、
このくらいですむ。
しかし気の毒なのは、
素朴にそれをたしなんでいた人たちだ。
あるいは、それを楽しみにしていた病人もいるかも。
場合によって、生死に関わるような人がいて、
普通に手に入るはずのものが入らないとなると、
これは怒るというレベルではなくなる。
無責任に、噂話にたかる人々。
トマトで痩せるというのなら、
アメリカもイタリアも皆痩せているだろう。
洒落のつもりで笑いながら買い漁り、買い占める。
その姿の醜さは自分では感じない。
そう。
罪とはたとえばこういうことなのだ。
気づいてもいないし、気づこうともしない。
そして自分はそれとは関係ないような顔をする。
人間には、これがしぶとく備わっている。
だから原罪などという神学用語もあるのだが、
原罪や復活を一笑する人々が、
トマトやヨーグルトにたかっている。
これは、先だっての「危ない」背景のひとつだ。
実際、連日その「危ない」報道がなされているのだが、
冷静な新聞記者たちも、次々とそれに賛同している。
こうなると、また抽象的な概念の問題ではなくなる。
第二次世界大戦も、ある日突然始まったのだ。
そして、何千万もの人々が殺し合い、また殺されたのだ。
まずは必要な人のもとに、
不足しているトマトが届きますように。


