写真
写真館に行って、お金を払って、白黒の写真を撮ってもらう時代があった。
カメラを各家庭で買うようになって、フイルムを写真屋に持っていき、数時間、数日後に現像した写真を取りに行く時代があった。
カメラマンだか先生だかが撮った写真を廊下に張り出し、番号を選び、購入した時代があった。
「写るんです」という千円前後の使い捨てインスタントカメラで撮りまくっていた時代があった。
今はほとんどの人がデジカメを持っていて、撮った瞬間に写真が確認出来、画像も綺麗。
携帯電話にも当たり前のように付いていて、
ブログやツイッターに簡単に載せられる。
この先写真はどうなっていくのだろう?
3D写真は出来そうだ。
匂いも撮れる写真は出来るだろうか?
360°写真は出来るだろうか?
写真に載ってる人をタッチするとその人のデータが文字で出てきたり、
写真に載ってる植物をタッチするとその植物のデータが出てきたり出来るだろうか?
犯人探しのときに役に立ちそうだ。
眼鏡型、コンタクトレンズ型のカメラで、
ボタンも無く、自分の意思で写真を撮れる時代はくるのだろうか?
ふと考えたら、僕は今までほとんど写真を撮ってない。
生まれてから今までの写真はアルバム二冊で足りるレベルだ。
写真写り悪いから嫌いだったのか?
何かの証拠を残したくなかったのか?
自分が生きた記録すら残したくなかったのか?
撮ってくれる人がいなかったからか?
チーズは好きなのに!
別に魂を抜かれるとは思ってないが・・・
番組なんかでも、昔の写真を求められることがあるが、資料は少ない。
特に、高校生からはほとんど撮ってない。
デジカメも持ってない。
写るんですなんて一度も買ったことない。
スタジオアリスなんて知らなかった。
しかし、写真の重要性は最近になって感じる。
写真は、いつでも見れるが、撮るのはその瞬間しか出来ない。
過去の写真は今は撮れないのだ。
写真が無ければ、会ったことないひいおじいちゃんの顔は知ることが出来ない。
逆にもっと昔から写真が存在したとしたら、
歴史はもっと鮮明だったはず。
写真は時の流れを写し出す鏡だね。
ってな訳で、普段あまりブログに写真を載せないですが、
今日は載せますね。
阿修羅Tシャツの親子
カメラを各家庭で買うようになって、フイルムを写真屋に持っていき、数時間、数日後に現像した写真を取りに行く時代があった。
カメラマンだか先生だかが撮った写真を廊下に張り出し、番号を選び、購入した時代があった。
「写るんです」という千円前後の使い捨てインスタントカメラで撮りまくっていた時代があった。
今はほとんどの人がデジカメを持っていて、撮った瞬間に写真が確認出来、画像も綺麗。
携帯電話にも当たり前のように付いていて、
ブログやツイッターに簡単に載せられる。
この先写真はどうなっていくのだろう?
3D写真は出来そうだ。
匂いも撮れる写真は出来るだろうか?
360°写真は出来るだろうか?
写真に載ってる人をタッチするとその人のデータが文字で出てきたり、
写真に載ってる植物をタッチするとその植物のデータが出てきたり出来るだろうか?
犯人探しのときに役に立ちそうだ。
眼鏡型、コンタクトレンズ型のカメラで、
ボタンも無く、自分の意思で写真を撮れる時代はくるのだろうか?
ふと考えたら、僕は今までほとんど写真を撮ってない。
生まれてから今までの写真はアルバム二冊で足りるレベルだ。
写真写り悪いから嫌いだったのか?
何かの証拠を残したくなかったのか?
自分が生きた記録すら残したくなかったのか?
撮ってくれる人がいなかったからか?
チーズは好きなのに!
別に魂を抜かれるとは思ってないが・・・
番組なんかでも、昔の写真を求められることがあるが、資料は少ない。
特に、高校生からはほとんど撮ってない。
デジカメも持ってない。
写るんですなんて一度も買ったことない。
スタジオアリスなんて知らなかった。
しかし、写真の重要性は最近になって感じる。
写真は、いつでも見れるが、撮るのはその瞬間しか出来ない。
過去の写真は今は撮れないのだ。
写真が無ければ、会ったことないひいおじいちゃんの顔は知ることが出来ない。
逆にもっと昔から写真が存在したとしたら、
歴史はもっと鮮明だったはず。
写真は時の流れを写し出す鏡だね。
ってな訳で、普段あまりブログに写真を載せないですが、
今日は載せますね。
阿修羅Tシャツの親子