この真っ暗な闇を見ることになった私の出来事は、
私の歪みをとるための出来事であって、
人を導くカウンセラーとしてだけではなく、
人としても経験しなければならない事でした。
この7年間癒しのカウンセラーと、
いつの間にかブランドが出来て、
優しい光をたくさんいただきました。
だが、それと同じほどの闇がある事を受け入れなければ、
私の歪みをとることは出来なかったのです。
受け入れるまでは、
未だに偏ったカウンセラーだっただろうし、
未だに偏ったセラピストだったと思う。
最も恐いのは、未だに偏った子育てをしていたということ。
要は、気づいている人からすれば、
コキコキと歪んだまま歩いていただろうということ。
すぐにでも躓きそうなの私を見守り、
私がいざ躓いた瞬間、すぐに私に手を差し出し、
支え、抱きかかえてくれた多くの人たち。
家族、友人、先生方、協会の子たちだけではなく、
驚くことに、まだ逢ったことのない全国のFBの友達までもがです。
私は決して無価値でもなければ、孤独でもなかったのです。
「愛と憎しみ」愛を知るためには、
憎しみを知らなければならなかったし、
孤独を味わいつくさなければ、
孤独感というものがわからなかったでしょう。
「優しさと強さ」人への優しさを知るためには、
強さと同時に弱さを知らなければ、
本当の強さはわからならなかったでしょう。
人を無下に突き放すことは強さではなく、
実に傲慢な冷たさであったことを知った。
私自身の源から光を放ち、
愛で包み込むには、闇を知らなければならなかった。
闇に光を当て、闇を味わい、闇を受け入れなければならなかった。
私の尊敬するセラピストの一人であるカズ姐さんは、
私が闇を受け入れる事を恐がるものだから、
闇を愛するまで軌道修正しながら見守り続けてくれた。
未だにそうである。
私の尊敬するセラピストの一人である和代さんは、
「りえさん、りえさんにとってはとてもきついだろうけれども、
ある意味闇を見るのはおめでとうなんだよ」と、
笑いながら温かく迎えてくれた。
昨日、午前と午後にクライエントのセッションを施し、
夕方には私自身がセッション受ける。
残りのもう1%の恐れや不安の感情をとるためだ。
セッションの中で私の不安や怒りの根底にあるものに気づいた。
私の愛する妹である。
人の何倍も我慢強く、
見ていて苦しそうな時がある。
ついつい手を差し伸べたくもなる。
こちらが手を差し伸べても
意地を張って手を掴んでくれない時がある。
そんな時に私はもどかしさを感じるのだ。
私は甘え上手なので、
家族から特に可愛がられてきました。
いつもじっとこらえる彼女に
手を差し伸べたくて仕方がない。
だから、同じように意地を張っている人を見ると
私はもどかしさを感じるし、
大丈夫かなと心配にもなるし、
なぜ素直にお願いが出来ないのかと
苛立ちをも感じる時があったのです。
「は~もう~!!」と言いながら、
我慢する妹を横目に、結局私は甘い汁を吸って、
その場を楽しむんだけどね。
愛しく愛するがゆえに、
何とか助けたくなるし、
お世話をしたくなる。
それを、人間関係の中で、
投影し続けてきたのです。
そこを引き当てるとは、
さすが尊敬するセラピストの一人である美奈ちゃん。
「Good
Job !!」←
うそうそ(笑)本当に感謝しているわ。
こうして私の繰り返すパターンをがどこから来ていたのか?
出来事が起こり、相手を見て不安や怒りがどこから起こっていたのか?
それを知ったことで、怒りや恐れや不安な気持ちの最後の1%が私の中から消滅した。
私は愛と癒しを与える面もあり、じゃじゃ馬な面もある。
これまで暴れ馬に乗って振り回されていた私は、
今はどんな暴れ馬にも上手に乗りこなす騎士になれるような気がする。
これまでの人生うまくいかないものと思い込んでいた私は、
私の人生はうまくいくと信じて疑わなくなっている。
もう懲り懲りと思っていた私が、
次に同じことが起こっても、その乗り越える術を知ったからだ。
積み上げてきたものすべてが崩れて行きそうで、
恐くて決して見ないようにしてきた私の情けない部分。
もしもみなさんも、思い通りにいかないと思うのであれば、
それはまだみなさんが人生という暴れ馬を乗りこなしていないからです。
しかし、馬を上手に乗りこなせないからと言って、
人を傷つけては、波動が滞り、エネルギーが濁り、元も子もありません。
いがみ合うカルマを起こし続ければ、
お互いで顔を合わせで非を認めあわなければなりません。
私はカルマの法則は必ずあると思います。
人に恨まれれば相手の念で何らかの影響があるからです。
いつかは清算しなければ、仕事も人間関係も家族もうまくいくはずがない!!
これが私の子孫だけではなく、転生にまで及ぶとなれば、
私は自分の非は認めカルマを今で清算したいと心底思ってます。
残念ながら5人のうちの2人からは絶縁となっているので、
私はその人たちとのカルマの清算は一人で向き合わなければなりません。
しかし、半分の力でも何かしらの波動の変化があるのなら、
私はまだまだ自分に向き合っていきたいと思います。
自分の歪みは自分でしか変えることができないのです。
自分が変わろうと思った時にしか変えることができないのです。
みなさんもこの繰り返すパターンを止めたい。
ついついやってきてしまったよくない行いを清算したければ、
自らが成長の準備をしたらいいですよ。
その成長の準備を整えたときに、
波動が変わって行くためいろんな気づきを起こします。
何にも恐れることはありません。
成長の準備が出来ていれば、
人の言葉をひねくれてとらないようになっています。
情けない自分を受け入れているので、
傷つくどころか、むしろ人々により優しくなっています。
自分を深く掘り下げて物事を考え、
何よりあきらめないこです。
私は人に何か求める事はしません。
しかし、自分自身が成長することをとことん求めました。
人に自分の体験を話しながら、相手の聞きながら、
分からない事を一つ一つ腑に落とし、
絶対にあきらめませんでした。
なぜなら、私は多くの人をこれからも救いたいからです。
家族が困っていたら何とか助けたいと思うでしょう?
友人が困っていたら何とか助けたいと思いうでしょう?
わが子が目の前で苦しんでいたら見て見ぬふりをして、
そのまま放っておけますか?
その為に、私は自分の歪んだ部分を、
正常に戻さなければならなかったのです。
私が辛かったのはすべて私の歪みからであって、
私自身の問題であったのです。
私はこの出来事を忘れないように、
これから先も波之上神宮には通います。
瀬長島にも通い海で私の心を見つめそして静かに、
どんなしたらこの苦しんでいる人を助けることができるんだろう?と、
考え続けると思います。きっと、これは私の性分ね。
私がこれまで持っていたものは「愛と癒し」です。
私に足りなかったものは「静けさと強さ」でした。
人をこよなく愛するがゆえに、
愛する人を失う恐れが生じるのは人間らしいじゃないですか?
愛と恐れも表裏一体!!
恐れを受け入れることができなかった事が、
今回、私自身を苦しめるひとつでもありましたし。
私自身が浄化されたのでしょうか?
恐れの感情が100%すべて消え去り、
今私はこの5人の方たちに感謝の心であふれてます。
多くの事を学ばせてもらい、むしろ胸に手を当て敬意を払いたい。
やっとそう心から思えるようになりました。
だから今心の底から笑っている自分がいるし、
心の底から何もかもが楽しくって仕方がありません。
私は今心に生きている師は持ちません。
私の場合、そうすることで依存心が消え去り自立が起こりました。
人の言葉を素直に聞き入れることができるようになったのは、
恐れの心が消滅したからです。
人生のどんな暴れ馬に乗っても上手に馬を乗りこなす騎士になって、
上手に指揮をとり、時には私自身がじゃじゃ馬になり、
また、人生を上手に乗りこなし、やっぱり私は人の助けになりたい。
最後に、なおみちゃん、長い間私を傍で見守り続け、
八つ当たりされも見捨てず、支え続けとても辛かったでしょう?
誰も信じることが出来なくなっていた私に、
彼女は信じることを最後まで見せてくれた。
ほんとにありがとうね。心から感謝している!!
私の家族は言う。
「お母さん元気になっているね(^.^)/」
受講生達は言う。
「先生、おかえりなさい(^.^)/」
友人等は言う。
「りえちゃんおかえり~!!
寂しかった~また派手に楽しもうよ(^.^)/」
私「うふふ♪ただいま!!」。
(おわり)
人がどのように心の灯りを見失い、
どのように克服していくのか?
順風万班な私の心に影が出来て、奈落の底に転落し、
どのように克服し、目視できるほどのオーラが出るまでの
私自身の体験を綴ってきました。
明日っから何を書こうかな・・・。