読むカウンセリングセラピー

日本HEART協会 オフィシャルブログ 
りえのla la smile


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みなさんこんにちは。

先月、福岡へ行き、親友宅に2泊3日でお泊り。
そして、友人愛用のフットマッサージにハマってしまった私。

 


コレ、超最高!!!!!←サンタクロースにおねだりしよっと♪


んで、福岡でも散々食べまくってしまった私♪

 

 

こんなに食べたけれど、やっぱりもつ鍋が一番大好き!

 

 

体重の変動が激しい私にとって、
冬の食べ物は「ほれっ!」と誘惑してくる~キケンキケン。


誘惑に負けてしまうようなごちそうが並ぶイベントがすでに始まっており、
忙しくなる前に読むカウンセリングセラピーのつづきです♪


すっかり時間が空いてしまいましたが、
今回は‘いい人’の精神性の方の心の回復の仕方です。


とても社交的な彼らは、
人に嫌われることを最も恐れ、
子供の頃から抑圧も強く社交的です。


争いを好まず、
人の顔色をよく見て、
人の目を気にし、
人に合せることもかなり多い。


思考はポジティブで向上心も強く、
周りの人達が喜んでくれたら嬉しくて、
心の内とは裏腹に我慢強いのも特徴である。


人を失うことを恐れる為、
他人に合わせたその言動は、
ついつい無理をしてしまうどころか、
嫌な事でも平気な顔をしてやっていく。


この裏側に存在するのは、
自分を大切にするということの欠如である。


腹の底に在る思いをグッと抑え、
言いたいことも言えず、
時にはムッとしながら嫌々ながらも人に合せ、
顔は笑顔で元気に振る舞うその在り方は、
自分でも無意識であり、自らの精神を蝕んでいることに気づいてはいない。


本来は嫌なものは嫌と言えばいいし、
自分がやりたくないものはやらなければいいのに、
私さえ我慢すればと、愛されるためなら何でもやってしまうのです。


それでいて守り続けてきたものや、
握りしめてきたものを失った時には、
「ここまでやってあげたのに」と、
被害者意識から一歩も引かず、
愛が憎しみに変わり泥沼の愛と化すケースも多い。


愛が憎しみに変わる時はたったひとつだけだという。
それは、裏切られたと感じた時だけである。


憎しみに変わった愛は、
自らの手で多くのものを破壊していきかねない。


しかし、愛が憎しみに変わったのだから、
憎しみに変わった愛を真の愛に気づかせるよに、
段階を踏みながらコマを進めていくといい。


心の回復には「自分を大切にする」ということをテーマにし、
まずは、怒りを溜め込んだ抑圧の感情を吐き出すこと。


そして、次の段階として自分の感情と言葉と態度をひとつにしていく。
そう、ありのままを表現していくのである。


人の評価を特に気にしながら生きてきたせいで、
自分を大切にするという意識はなく、やがて自分自身を見失い、
どう身動きしていいのか?どうしたらいいのか?分からなくなる為、


「他人の期待にばかり応えていくことが愛だろうか?」
と、自分の心に静かに問いかけて欲しい。


「本音を隠し、心から相手を思いやる気持ちや優しさではなく、
人からの評価が恐くて、表面上いい人であるなんてことはないだろうか?」
と、自分の心に静かに問いかけて欲しい。


人間関係の中で、
自分の心に嘘をついている時は、
相手にも嘘をついていることにもなるし、
薄っぺらな表面上の付き合いの中には、
当然のこと信頼関係は生まれないし、
何より嘘をつく人を信頼できるだろうか?


嘘をつく人より、
正直に心の内を話してくれる人を、
信頼できるものではないでしょうか?


人間関係が壊れるのは、
正直な気持ちを相手に伝えたからではありません。
どんなに耳の痛い事でも、
正直に自分の気持ちを伝え、
その後の関わり方が不十分だからこじれるのであって、


他者非難ではなく、
「私はこう感じた」と、
自分の感情と静かに意識づいているものを、
相手に正直に伝えることは決して悪い事ではない。


私自身もこの精神性を持っていた為、
いま自分の弱さを認め、さらけ出すとしたら、
私はこれまで家族や友人との関わりのなかで、
とても多くの事を学ばせてもらった。


人の言葉に考えさせられたり、
もがいたり、自分を見つめるきっかけにもなった。


他人の目が気になって人に合せる私は、
人の評価はとても恐かったし、
誹謗中傷を蒔かれた時には、
「どんな風に言ったんだろう?」と、
やっぱり、とても恐かった。


相手の表裏を目の当たりにした時には大きなショックを受けたし、
「何を信じていいのか分からなくなって、誰も信じることができない」と、
こんな風に思った時もあった。


ただ、今はまったく気にならなくなっている。


こう思えるようになるまでは、
とにかく自分自身にとことん向き合わなければならなかった。


起こった出来事を受け止めなければならなかったし、
悲しみや恐れなど相手にまんまぶつけてしまいそうで、
自分の感情をコントロールをしながら、何度も話し合いも求めた。


こじれた人との縁を大切にしたいという願望が行動を起こし、
足を運び、拒絶と否定の態度に数分でその場を後にして、
また、そこに向かい、帰らざる得ない相手の態度に、
居ずらくそこを後にしてと繰り返し。


3度目に足を運んだ際にもやっぱり同じ態度で、
「もう、いいや。」と、他人ごとのように心の中は妙にスッキリしていたし、
「もう十分だ。もう分かり合おうと望むのはやめよう」と、
決心した日でもあった。
それから私はそこに一度も足を運んだことがない。

 

その時に感じた私の心の中は、
「やるだけやって、それでもダメだったから、他人は変えれないしな。
押し付けることでもないし、私は変わろう」と、
これが正直な気もちであり、こんな風に感じていた自分を客観的に見ていた。

 

価値観の違う人に戸惑い、
分かり合いたいと思う見剃りの高い大きな壁に、
「どうすることも出来ないこともあるんだな」って、
努力をして身を持って体験した時に諦めもつくものです。


人の悩みの大半を占めているほとんどは人間関係ですが、
本来、自分と相手に起こった出来事であるなら、
その当人でしか解決が生まれないものですが、
「あなたが悪い。自分は被害者だ。」
という考えから一歩も譲らない姿勢では、
こじれた人間関係は分かり合う事はまずない。


むしろ悶々とした心を引きづり続け、
傷ついたその感情の波動は、
エネルギーを引っ張り、
似たような出来事を引き寄せ続ける。


嫌な気分を引きづり度々頭を過り、
その思考や感情が現実を作り続けるのである。


私の経験から言えばこれは事実。
では、ポジティブシンキングのいい人が、
なぜ生きづらさを抱えることになるのか?というと、
みなさんもお分かりの通り、本心ではないからです。


心の中では我慢し、
無理やりポジティブに願望を持っても、
なかなか手にすることは出来ず、
心のどこかで自分はダメだと劣等感を抱え、
その劣等感がさらに似たような出来事や人を引き寄せていく。


ほらほら、類は類を呼ぶというでしょ?


では、縁を大切にしたいと和解を望み、
それが手に入らなくても、
なぜ、私の心が穏やかで安心しきっているのか?
となるわけだけど、


精一杯、自分に向き合って、
相手に向き合う努力をして、
それでもダメであった時、
「もう十分!よくやった!」と、
その出来事を受け入れ、認め、
心が澄み切って、すっきりしたからだろう。


無理やりポジティブに物事を考えるのではなく、
自然と明るい方が見れるようになると、
今度は縁を大切にする人々と出逢っていくことになった。


今、振り返ってみると、
私が望んでいたものは和解ではなく、
縁を大切にしたいということであったのです。


関係は互いで作ったものであるから、
どちらか一方だけが悪いのではなく、
お互い非があることがほとんどである。


自分の言動の責任は自分にあるので、
他人を傷付けたなら謝罪をするのも理想だろうし、
相手を責めるわけでもなく、
自分を責めるわけでもなく、
互いに非を認め合うということができれば、
いくつものプラスの要素を生み出すことになる。


大人としての関わり方や非常識な態度には、
やはり人の人間性が見え隠れするけれども、


そんな時こそ、歪まず、我を張らず、
相手と会って話し合い、
正直に胸の内を明かし、
お互いのすべてをさらけ出し合えば、


時には衝突するかも知れないし、
受け入れがたい話も出るかもしれないけれど、
誤解も多っかたことを知ったり、
そんな風にしか出来なかった自分も認め、


分かろうとする事を選択すればやがて分かり合い、
許し合うことを選択すれば許し合えるし、
お互いがお互いを受け入れ合う為の話し合いをする選択もある。


表現し合うことで理解を深め、
関わり続けることで、いつの間にかそこには、
何とも言えない絆や信頼関係が生まれていくものだと私は思う。


ただ、人はお互いに成長を果たしていく選択もしていいし、
拒絶し続け排除し逃げ続ける選択もあってどちらも選べるもので、
よって「じゃあ、自分がどうしたいか?」となるわけだけれど。。。


私はこの時多くの気づきを得たひとつは、
他者との関係の中で、どうすることも出来ないこともある。
分かり合いたくても、分かり合えない時もある。
であれば、そこに固執することなく自分の心の成長に目を向けるだけであるし、
人間が生きていく中で、人との繋がりを大切にせず、自分の我を張り続けても、
そこには心の安心もないし、自分の成長には繋がらないんだなと。


人付き合いを通して、
互いに笑い、互いに泣き、
相手を思いやる気持ちも深まるし、
相手の幸せを心から願い、
心の底から喜べるのは、
絆や信頼関係があってのこと。


ここで培われる人間力は、
人間関係の中で「こうしたらうまくいかないいんだな」と行動を改めたり、
「どうすることも出来ないこともあるんだな」と、
人との関わりの中にはたくさんの学びがあることを受け入れ、
これまでの自分を改め改心することができるようになる。


今、時が経ち、
「あんなこともあった。たったそれだけのこと」と、
今は当時の出来事を受け入れているし、
相手の事が何にも気にならなくなっていて、
改めて過去を振り返ってみても、
何ひとつざわつかなくなっている自分に気づく。


これは、他者との人間関係を通して、
とことん自分に向き合って手にしたものであった。


ただ、ここに至るまでに、
それまでの自分自身の在り方に情けなくなったし、
本音を知って愕然ともしたし、
そうしてきた自分に羞恥心も起こることも度々であった。


そして、情けなさや、愚かさや、羞恥心が、
「私は変わりたい」と思ったし、
「たった一度の人生を無駄にはしたくない」
と、真剣に人生を見つめさせてくれた出来事であった。
何より私は自分にも他人にも正直で胸を張って生きたい。
逃げたり隠れたりする生き方は嫌だと心底思っての事である。


これが良かったのかも。


いい人の精神性を持つ人は、
ポジティブ思考であるから、
愚かな在り方をしているのは自分だったのだと気づくと、
その在り方を続けていくことができなくなるのも特徴です。


元々、人と関わることが好きで、
その意図が愛されるためであろうが、
見捨てられることや失うことを恐れてであろうが、
人の評価を気にしてであろうが、


他者から逃げるという選択はなく、
他者と向き合うことを選択してきたのだから、


羞恥心や挫折から抜け出す際に、
自分の我や欲に目を向けながら、
他者との信頼関係を築いていこうとするはずです。


これまでも、自分なりに考えて、
他者がいて自分の言動を行ってきたはずだが、
自分の羞恥心を知った時点で、
これまでの在り方をできなくなっていくため、
その後の行動が変わっていく。


自分の感情に目をむけながら、
他者をコントロールしようともせず、
自分自身も抑圧することもなく、
人に振り回されることもなく、
嫌な事をする相手からは自ら離れ、
愛や思いやりや優しさのある中に身を置き、
自己成長の為にまた努力をし続けるだろう。


これは、いろんな精神性の中でも、
「自分の人生をこよなく愛したい」と、
胸を張って言いたい‘いい人’の精神の持ち主にとって、
何かに向かって努力をすることは一番うれしいことであるからです。


それでいて、「どんな自分が好きかな?」と、質問されたら、
「優しい人でありたい」と、今度は胸を張って言うだろうし、
やっぱりそこはこの精神性にとって譲れないところだろう。(つづく)

 

 

 

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