真実探求
沖縄に対する中国の権利が今もある--。こんな刺激的な主張が最近、中国の歴史学者の間で有力になりつつある。沖縄がかつて琉球王国時代に中国との交易で栄え、中国に従属する地位にあったことを根拠にしている。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題で日米同盟が揺らぎ、沖縄と日本政府の関係もぎくしゃくする中、中国では「沖縄を返せ」の声が強まっている。

昨年12月、北京。中国人歴史研究者らによるシンポジウムが開かれ、「明治政府による琉球併合(1879年)も、戦後の沖縄返還(1972年)も国際法上の根拠はない」との主張が繰り返された。主催者の一人、徐勇・北京大教授は、日中関係史が専門で、日中歴史共同研究の中国側委員も務めた有力研究者だ。

沖縄の「日本帰属」を支持するこれまでの中国の公式見解を覆す主張だ。上里賢一・琉球大名誉教授(中国文学)は「徐教授は過激な反日派ではないのに、こうした議論を展開している。中国政府も、中国共産党も、公式見解と異なる主張を黙認しているのが怖い」と話す。

徐教授と知り合いの三田剛史・早稲田大特別研究員(経済思想史)によると、徐教授のような議論は戦前に多かったが、戦後は息を潜めた。

現代中国の建国の父、毛沢東の場合、戦前の論文「中国革命と中国共産党」で、沖縄を「帝国主義国家」が「強奪」した「中国の多くの属国と一部の領土」の一つとした。ところが、戦後この論文が刊行された際は、関連部分が改変され、「沖縄」の字も抜け落ちた。冷戦下で、日本に対する攻撃的な主張はしない方が無難と判断したようだ。

ところが、今世紀に入り、「中国は沖縄に対する権利を放棄していない」と主張する研究論文が発表され始めた。三田特別研究員によると、関連した論文は06年以降だけで一気に約20本も出た。

三田特別研究員は、論文急増の理由を「研究の自由の幅が広がったからとも、基地問題を巡る沖縄の日米両政府への反発をにらんだ動きとも考えられる」と分析し、「日中関係や基地問題の行方次第で、さらに広がるかもしれない」と指摘する。

海をゆく巨龍:転換期の安保2010 中国で「沖縄返せ」の声(その1)

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照りつける太陽の下で、朱色の祭殿前にじっと座って祈るおばあさんがいた。那覇市若狭の至聖廟(びょう)(孔子廟)は、約340年の歴史を重ねる。至聖廟を管理する久米崇聖会の古謝昇理事長は「こういう人が今もよく来る。信仰は生きている」と記者に説明した。

 年中行事や墓、食事など沖縄では今も中国の影響は強い。琉球王国に渡来した中国人の子孫は久米村(現那覇市久米)に戦前まで集住しており、「久米村人」と呼ばれた。久米崇聖会は渡来中国人の子孫の団体だ。会によると現在、把握できるだけで9020人いる。仲井真弘多知事もその一人。知事は年1回9月、至聖廟での祭礼に参加する。

 久米は沖縄戦の前に空襲で全焼したが、ここに92年、市営中国式庭園、福州園ができた。約8500平方メートルの園内に、中国福建省福州から来た職人が福州の建材を使って建てた建物や池が点在する観光名所だ。

 福州園ガイドで、久米村人系の松永麗子さん(78)は「この庭園は久米にないと意味がない。私たちの心のよりどころだ」と言う。近い将来、至聖廟を隣に移し、久米村の趣を取り戻すという。

 沖縄は14世紀から日本が併合する19世紀まで当時の明、清の臣下、藩属国だった。中国の一部歴史研究者らが「中国は沖縄に対する権利を放棄していない」という時、「権利」は当時の関係を下敷きにしている。

 もちろん、沖縄には「沖縄を返せ」の声に応じる動きこそないが、他方、在日米軍基地の75%が集中し、米軍普天間飛行場(宜野湾市)移設問題に象徴される日米安保への反感は強い。高良倉吉琉球大教授(琉球史)は「沖縄では本土への反発と中国への親近感がセットになっている面もある」と説く。

 今年4月と7月、中国艦隊が沖縄近海を通過したが、「小説 琉球処分」などの作品がある芥川賞作家の大城立裕さん(84)は「(中国艦船は)日ごろは話題にならない。他国の軍艦は琉球処分のころからずっと周囲をうろついているから」と話す。

 5月末の毎日新聞と地元紙、琉球新報が沖縄県民を対象に実施した合同世論調査では「日米安保条約を維持すべきだ」との回答は、わずか7%だった。富川盛武・沖縄国際大学長(経済学)は「これだけ政府に軽く見られたうえで聞かれれば、当然の数字だ」と語る。

 同大は普天間飛行場の隣にある。04年8月には、ヘリが本館前に落ちた。墜落の数時間後、富川学長は忘れがたい場面に遭遇した。学内を取材中のテレビ記者を米兵が連行しかけ、それを地元の人々が取り囲んだのだ。

 「怒りが充満していた。数百人が、方言で『タックルセー』(ぶちのめせ!)と罵声(ばせい)を上げ、今にも石が飛びそうだった」。記者は解放されて暴動寸前の空気は収まったが、「県民には長年の理不尽への怒りのマグマがある。これを前提に沖縄を考えてほしい」。

 富川学長も検討に参加して、県が今年3月に策定した将来構想「沖縄21世紀ビジョン」は「独特な歴史的背景などをもとに中国・台湾などとの多元的なチャンネルを通じ『ネットワーク型経済』の構築を図る」とした。

 歴史研究での中国との交流も、帰属問題以外では順調だ。県教育委員会は琉球王国の外交文書集「歴代宝案」の復元・校注作業を89年から続けている。北京の外交資料館、第一歴史档案館の協力で、約3300件の関連史料を提供された。高良教授も歴代宝案にかかわる。「私がよく付き合う中国の学者は実証的で、今の政治や外交に直結した話をあまりしない。そういうまともな人が多いから、中国との歴史問題を楽観している」という。

 富川学長も久米村人の血を引く。「沖縄の人は当然日本人だが、同時に日本人のようで日本人ではなく、中国人のようで中国人ではない独特の感覚もある。この感覚を生かして、米国と中国のどちらに付くかの二分法を解くことこそ、沖縄の役割だ」と主張する。【「安保」取材班】

海をゆく巨龍:転換期の安保2010 中国で「沖縄返せ」の声(その2止)