決めた。
この間書いた元同僚からの誘いを、断った。
とても悩んだ僕は、ある人に相談した。
彼は、さらに僕を悩ませるようなことを言った。
あいつのところに行かず、おれとやらないか。と。
ひえー。俺って人気者。。。
彼が投資していて、顧問で入っている会社の、社長をしてくれと言うのだ。
日本から中国に留学する学生を斡旋するビジネスである。
将来は中国から日本に留学する学生も斡旋したいので、今の社長(中国人)には中国での仕事に専念してもらいたい。
日本側をマネジメントする人を探していて、Oさん(私)が適任だと思ってた。と。
ご存知かどうか知らないが、僕はそうとう思想が右寄りで、中国関連の仕事をしようなんて、考えたこともない。
が、現社長にも何度か合って、彼は今年早稲田の大学院を出たばかりの、27歳の青年なのだが、日中は相互理解が必要。仲良くしなくてはいけないことは、お互いわかっているはず。草の根の民間大使でありたい。そう語る彼と、意気投合した。
もちろん、ビジネス的にも中国はおいしい。
これからも日中の相互依存は高まっていくはずなので、個人も法人も、留学の必要性はどんどん増えていくはずだ。
さらに、日本は大学全入時代。海外留学生の受け入れが加速することも間違いない。
さらにさらに、近く日本は労働力不足に陥る。その時に、海外から労働力を輸入しなくてはならないときが、きっと来る。
社会的な貢献度。将来性。自分のキャリアプラン。
考えて考えて、僕は彼らと、強く握手をした。
春は、最後の転機が訪れる。
いまは一億程度の小さな会社だが、だれも辞表を受け取ってくれない人生が、始まる。
家族の話。
ずっと、僕の家族は5人だった。
父、母、僕、妹、弟。
はじめに、妹が結婚して、弟が一人増えた。
次に、妹が子供を生んで、姪が出来た。
その後、僕が結婚して、ニョーボが出来た。
しばらくして、妹がまた子供を生んで、甥が出来た。
そのうち、弟が結婚して、妹が増えた。
そうしたら、その妹が子供を生んで、姪が増えた。
いま、僕の家族は11人になった。
もともと5人だったなんて、いまはなんだか考えられない。
昔から、11人だったような気がする。
いじめなんてさ
いじめなんて、学校のせいじゃないよ。
親にも相談できないようなこと、学校に相談できるわけがない。
いじめっこと、いじめられっこは、紙一重。
どちらに転ぶ可能性もある。心理の深いところの問題だから。
僕には、両方の気持ちが、よくわかる。
悩んでる。
mixiに移って、だいぶこのブログも読者が減ったので、書いちゃおうかな。
起業してそこそこ順調に行っている、前職で一緒だった人から、2年ぶりくらいに電話があったのが10月末。
一緒だった時は、仕事内容が違ったので、ほとんど絡まなかった。
なので、どんな人か、詳しくは知らなかったし、仲良くしていたわけでもないので、留守電を聞いた時はちょっとびっくりした。
たまに情報交換をしようという話になり、会ったのが先週の木曜日。
「情報交換」とは言ったものの、本当の用件はわかっていたのだ。
うちに、きてくれないか。と。
熱く語る彼は、魅力的だった。
生まれてはじめて、僕はあんなに熱く口説かれた。
永遠に、売上の一部を、外国の恵まれない子どもに寄付し続ける約款を持っている会社にするのだと言う。
ある分野で、圧倒的なシェアを確保することがミッション。
金額相応の責任を持ってくれれば良いだけの話。と、待遇面。
前職で僕がどのくらい貰ってたか、知っているのだろうし。
かといっても、僕は今の会社に大きな不満があるわけじゃない。
好きな仕事だし、待遇は良くないけれど、仕事はバランスの良いハードさだと思う。
やりがいのあるポジションも任せてもらえてるし、将来も、そこそこ描ける。
必要とされていると思う。
なにより、拾ってくれた義理がある。
ほんとうに、どうして良いかわからない。
初めてかもしれない。どうして良いか、わからないのって。
5年後、40歳。新しいチャレンジをするなら、最後のチャンスかもしれない。
悩んでる。
このブログの未来
mixi始めても、ブログは続けますと宣言していたけど。。。
やっぱ無理かも。そんなに、ネタもないし。
数少ない読者も、みんなmixiにいるしなあ。
イタリアの報告が途中で終わってるけど、もう出張自体、2ヶ月も前の話。
どうしましょうかねえ。。。
ミラノからアレッサンドリア
ミラノには、滞在2時間程度。
取引のある、某デザイナーのショールームで打ち合わせ。
待ち合わせがうまく行かなかったり、石畳の上を車で長いこと走って気分があまりよくなかったりといったこともあるんだろうけど、残念ながら、ミラノ、あんまり好きじゃないかも。
狭いところに無理やり路面電車が走っていて、車の交通量も人も多いし、落書きも多い。
なんとなくせせこましくて、ちょっとキモチが休まらない感じ。
とか、東京に住んでる俺が言うのもなんだけど。。。
まあ、短い滞在でそんなところしか見ていないだけで、本当はいい街なんだろうね。今度はゆっくり行ってみます。
その後、場所がどの辺かよくわからないのだけど、革製品の工場へ行って、サンプル発注。
ミラノから、一時間くらいだったかな。
さらにその後、一時間くらい掛けて、アレッサンドリアへ。
仕事はそこから車で20分くらいの、ビチェンツァにあるわが社の事務所を基点に行うのだけど、そこも大概田舎町で、ホテルなんてないので、近くのそこそこの街へ。
ホテルがやっとシングルユースになって、とてもリラックス。
シャワー浴び放題。うんこし放題。
晩御飯は、街の和食店、「禅」へ。
シンガポール人経営。日本語はもちろん通じない。
から揚げ、餃子、焼き鳥、イカ焼きなど。どれも和食とは言えないけど、その微妙な外しっぷりがなかなかいい感じ。
海外でいろんな和食食べたけど、今のところいちばん和食じゃない和食だった。
お寿司はなんとなくいけてたかな。
次回は、ビチェンツァ。
ビチェンツァ
更新サボってるうちに、もう2週間も前の話になっちゃった。
ビチェンツァ。イタリア北部の、ミラノからベネツィア方面に3時間ほど車を走らせたところにある、小さな街。
普段なんでもない田舎町だが、年に3回開かれるジュエリーフェアを目指し、期間中は世界中からジュエリー業界の人間が集まる。
ホテルの予約が熾烈な競争になるため、わが社は街中からちょっと離れた、市街を見下ろす丘の上にたつ、ほとんどリゾートのようなホテルをいつも取っている。ホテル・ヴィラ・ミケランジェロ。
テラスで食べる朝食は、最高である。
元は修道院だったか何かで、建物は古いし、ツインだし、感じる人には感じちゃうような先客もいるらしいけど、まあ快適。
フェアでは、まずは規模に圧倒される。
一日ではとても回りきれないブースの数。何度も来ている人たちは、効率よく流していくけど、初体験の僕には、どれも興味深く感じられて、滞留時間が長くなる。
初日午後までリサーチして、僕は半分も回らなかったけど、各自気になるブースを報告しあい、仕入れへ。
やっぱり、英語が話せないとダメだ。痛感。
地金高を反映してか、透かしの手法を取り入れたり、エナメル素材をうまく使ったりのジュエリーが多かった。
イタリア人の感性には、本当に脱帽。
二日目は終日仕入れ。
少し時間が余ったので、僕は再度、回っていないブースを回る時間を貰い、夕方まで。
スケジュールが順調に行ったので、夕方ホテルに車を回してもらい、4人のグループでベローナへ。
ロミオとジュリエットの舞台になった町。ビチェンツァからは、一時間くらい。
一世紀に建てられたアリーナが、現役のオペラ上演会場だったり、「ジュリエットのテラス」があったりする。
ビチェンツァではあんまりいなかった日本人も、さすがに多くてちょっとほっとする。
街歩きと買い物。夜に、薦められたレストランが満席で入れず、しばらく徘徊した後、露天のピッツェリアで食事。
23時にホテルに戻る。
翌日はミラノ。後日更新します。
ビチェンツァ ミラノ バレンツァ
9日から16日まで、イタリアに出張しました。
目的は、ビチェンツァで開かれるジュエリーのフェアに行き、リサーチをすることと、買い付けをすること。
さらに、ミラノとその近郊にある取引先の訪問。サンプルの発注。
そして、バレンツァにある現地事務所を基点に、かの地での商品開発に参加すること。
イタリア自体はじめての訪問だし、仕事で海外に行くのも初めて。
いろいろ勉強になりました。
やっぱり彼らは、毎日絵を見たり、建物を見たりしているから、感性が違う。
口じゃ説明できないけど、曲線の使いかたが日本人とはまるで違う。
そんなことが解っただけでも、いい出張でした。
明日は、ビチェンツァについて書きます。
テロとか、実は。
残念と言ったら不謹慎だろうけど、朝は東京に居なかったので、今朝の大停電を経験できなかった。
ちょっとくらい混乱してみたかったな。
で、新聞読んだりニュースを見たりして、なあんだ、テロなんて、実は簡単に出来るんじゃないかと思った。
テロリズムの定義がわからないけど、大量殺人と同義でないとしたら、対象の国だったりを大混乱に陥れる手法として、電線切っちゃうって言うのはアリだな。
今回よりも、もっと手の込んだ感じで、ぶちぶち切っちゃって、何日も復旧できないようにしちゃえば、大成功だ。
そういうのは、ダメなのだろうか。彼らの中では推奨されていないのかしら。