ピーチの果て、ビーチのアビス、つまりはノーサイド
サンモールスタジオで、キ上の空論『ピーチの果て、ビーチのアビス、つまりはノーサイド』観劇。“キ上ピーチ”3部作の3作目。前回に続き、観劇後に帰りの電車の中で書いたメモに言葉を添える形で振り返ってみます。『 』内が当日のメモです。『不快感との戦い→憎めない読後感』ツイッターで「現実味がある」とか「あってもおかしくない」といった感想を見かけたけど、現実味も何も、今作の土台は9年前に起きた実際の事件。土台というより、ほぼ事件そのものの話でした。この手の話の場合、どうしても不快感があるんですよ。他人が人の命(奪われた命)を勝手に解釈してエンタメに、見せ物にするわけだから。こういうの作っていいのかな、それを観ていいのかなっていう。でも、第三者が物語にすることでしか伝わらないこともあるだろうとか、まあいろんなことを考えるわけです。なので、観劇後どういう心境になるかなぁと思いながら観てたんですけど、結果として「憎めないな」と。読後感(舞台だから観後感かな)は悪いものではなかったですね。『無味、サラッとしてる』『えぐられない薄気味悪さ』これは1回目(Bチーム)を観た時の感想。内容の割にスッと入ったなぁと。凄惨で救いのない話だから胃もたれしてよさそうなものだけど、サラッとしてると感じたんです。観終えた直後は無味とすら思ったと。なぜこの内容でえぐられなかったのか、それが分からなくて薄気味悪さを感じたのを覚えてます。ただ、2回目(Aチーム)を観て印象変わりましたね。今は、無味とは思わないなぁ。『ありふれた話 途中まで』『アップロードまで気づかなかった』身も蓋もない書き方をすると、親ガチャでハズレ引いた男が過ちを犯す話なんで、途中まで「ありふれた話だなぁ」と思いましたね。アップロードのくだりで「ああコレ、あの事件か……」ってやっとわかった。不快感との戦いが始まった瞬間でもありました。『懐古、証言、時系列』登場人物たちが昔を思い出すように、証言するように。複雑にならない程度に入れ替えられた時系列のピースがひとつに繋がって全容が明らかになっていく構成。よくできてましたね。『殺意。実行する人、踏みとどまる人』女性3人が「どうするか」話し合うシーン。殺したいほど憎い衝動が芽生えた時、実行する人と踏みとどまる人の違いって結局どこにあるんだろうって。なんか考えましたね。『幸せの輪郭』「スピこわーい」のシーン。幸せの輪郭って見えないじゃないですか。スピリチュアルな人でもない限り。輪郭って言葉がセリフにあったか覚えてないけど、観劇後に頭に浮かんですごく残ったんです。『海入る入らない、汚れる』特に2回目観た時に強く感じたんだけど、この話、「もしもあの時」とか「せめてあの時」がことごとく悪い方へ向かっていく話なんですよね。海のシーンもそうで、もしもあの時、女の子が躊躇わず海に入っていたら。足や服の汚れなんて気にしない人だったら。あの時女の子は次に行く場所のことを考えていた……。こういうシーンが入るのいいよね。海のシーンじゃないけど二人の関係、一度は男の方から終わらせようとしてたんだよね。「自分から離れようと思った」みたいな独白があって、2回目観た時そこで泣きそうになった。きつくあたってたけどこの時はまだ良心が働いていたんだなぁって。もしもあの時、関係が終わっていれば……。どこまでも救いのない話。『いい子。時限爆弾。どうすればいい』親ガチャに失敗して、それでもその環境の中で出来る限り「いい子」でいたのに、自分が人を愛する歳になって発動する時限爆弾のようなものが心の奥底に仕込まれてしまって、恋人ができて発動する。自分がいるところまで落ちてくれないと愛せない。傷つけないと愛せない。人はそれを病気の一言で片付けようとするけど、どうすればよかったんやと。どうすれば防げたんやと。決して許されないけど、完全には憎み切れない男が描かれ、ラストへ向かっていくと。ほんとに救いのない話。『ごめんなさいよりいい子いい子』『ただ、あやされたかった』観た人ならわかるでしょう。。『死にたい。残したい』『2度描写する意味』究極的に言うと人生って「死にてぇぇ」と「なんか残してぇぇ」の連続、せめぎ合いなのよな。この作品はその葛藤そのものとも言える。ソープ嬢との行為を2度描写するのはうまかったね。2度目は意味が違って見える。違ってと言うか、より意義が分かるようになってる。『イオリに狂気を感じない』クソみてえな男ばかり相手にして、演技でセックスしてたソープ嬢が、人を殺した男とセックス(人を生み出すための行為)して絶頂に至るラストシーン。自分はイオリが狂気だとは思わなかったなぁ。メモはもう少しあるんだけど長くなるからこの辺で。最後に性描写について触れておくか。自分的には3作の中で一番ハマってると思いましたね。1作目はコロナ真っ只中もあって距離感が遠慮がち。2作目はなんか「ノルマをこなしている感」があって少しだけ浮いている感じがしたんだけど、3作目は描写の強さも含めて「全部必要なシーン」に見えました。小劇場だからすごく距離が近いんだけど、なんというか、いい意味で遠く感じましたね、ヌードシーンが。どぎつさがなくて。あれ不思議な感覚でした。例の盗撮騒動は心底残念。時系列でいうと土曜にBを観て、日曜のマチネにその事件が起きて、ソワレにAを観たんだけど、なんかソワレを観てる時、全体的にフワフワしてる感じがして、心なしか余裕がないよう観えたんだよね。前日のBチームで笑いが起きたシーンでもセリフが急ぎ気味で笑いも起きず、すーーっと場面が流れていっちゃったりして、事件の影響があったのかもしれない。前の記事でも書いたけど、観劇マナー以前の問題なんでね。迷惑なんてレベルじゃないです。そういうことが起きてしまったことは残念だけど、とにもかくにも公演完走、お疲れ様でした。「人を殺しても小説は書ける」と書いたのは村上龍だけど、人を殺してもセックスはできるんだよな。いい悪いではなく事実として……。