一気に寒くなってきた。

先週、北海道出張から帰ってきてもあんま変わらん寒さ。


今月は鑑定評価書を18本サインすることになる。

半分が新規評価。終電まで残業の日々。

ヤッツケでやってやろうかという誘惑に負けず頑張ります。

初出勤の朝、鑑定事務所に到着。

意気揚々とフロアに入り挨拶をかます。


おれ「おはようございます!」

先輩「おう」

おれ「今日からお世話になります、○○と申します。」

先輩「鑑定士の××だよ。君の席はこっちね。で、早速これを俺と一緒にやってもらうよ。

すぐ目を通して把握しとくように。30分後に対象の要点を聞かせてくれ。」

おれ「えっ!?」


まともに挨拶するまもなく、いきなり案件を渡される。

レジャーホテル(所謂らぶほ)の担保評価である。

しかもI.C.周辺に見かける郊外型ではなく、渋谷センター街のらぶほ。


依頼者提示資料、法務局資料、用途地域とか確認して、物件概要・権利関係を把握。

50年定期借地権で保証金は地代の約3年分、年間地代は公租公課の2、3倍くらい

定期借地権の割合は保証金や賃料差額による経済的利益を基に査定。

先輩に指示され対象や競合らぶほのADR(平均客室単価)、客室、稼働率調べて

売上高にGOP比と賃料負担率乗じ家賃を査定し、経費とCAPぶちこんで収益価格出して行く。


とにかくすべてが新鮮だった。

で、昼過ぎに現地へ向かうことになった。

渋谷区役所で調査したあと、オッサン2人でセンター街へ向かう。

らぶほの前をオッサン2人がうろうろしている間抜けな構図に泣きそうだった。

事務所に帰るなり先輩が言った。


「おい、この後仕事終わってからもう一回行くぞ!いいな?」

「は?」

「は、じゃねーよ。2人でホテル行くんだよ!」

これはこわい。おれ、やばいとこ来てしまったのかも・・・


21時ごろのらぶほ街、

結局、中には入らず外観から窓明かりを数える。

要は稼働率の調査だった。ホッとしたよ(汗)


傍から見たら怪しく映ってるんだなと痛感した

久々の日記です。


相変わらず鑑定評価の毎日。


更地、マンション、事務所、倉庫、ホテル、美術館、介護施設、山林・・・

この間は、工場の立会い(建物の内覧)に行き、評価しました。


しかし、この仕事は貴重な経験ができます。

たとえば担保評価とかで建物内部の様子を内覧して、

オーナーにインタビューをすることが多々あります。


ホテル支配人、工場や中小企業の社長や専務等、

会社のトップの方々と一人の評価人として接する機会がある。


評価対象の建物は勿論、会社の成り立ち・経緯までも赤裸々に聞けることも多い。

普通の人にはできない良い経験だと思う。


会社が直面してる課題、その地域のインフラや公法上の規制、

それに係る利権等の現実等の体験を聞くと

それが自らの血肉となり刺激となる。


鑑定士の責任の大きさを再認識。

受かったはいいけれど、どこも行き場がないようw

実務修習というものを修了しなければ、鑑定士にはなれない。


書類を送っても大半がお祈り、酷いところはガン無視である。

そんな中でも3つほど面接にこぎつけた。


★A事務所

かなり良い印象だったが、面接で欠伸を連発してしまったwww

徹夜明けだったのだ仕方あるまい。当然のごとく連絡は来なかった。

★B事務所

所長が終始従業員を怒鳴り散らしていた。

面接では自慢話と趣味のゴルフの話ばっかりされた。なんじゃそりゃ・・・

後日いつから来れますかと連絡が来たが、ブラック臭しかしないので断った。

★C事務所

この業界ではかなり大きな事務所、よさげだったが連絡は来なかった。


だみだこりゃ・・・


そんなとき鑑定事務所に就職した受験仲間S君から電話が。

「実はうちの所長がもう一人合格者を探しているけど」


その一週間後、無事その鑑定事務所に就職。

初めての鑑定実務…どうなることやら。


其の六へ続く

そしていよいよ試験当日。

正露丸も飲んだし準備万全だ。


真夏の3日間すべての力を出し切った。

もうこれ以上の出来はない。これで落ちたら諦めよう。

そう思いながら家路につく。


なんつってもラスト3か月は遊びもいかず、

家に引きこもりひたすら過去問や答練を回した。

もうあんな思いは二度と・・・


10月の合格発表まで旅に出たりゆったりと暮らす。

合格するにせよ不合格になるにせよ、最後のニート期間を悠々と過ごした。


そして10月の合格発表当日。

おそるおそる番号をみると・・・

あった・・・

ウェヒヒヒヒwwwありましたよー

これでもう基準の暗記しないで済むー


ということでその日に早速、就職説明会兼1次面接

見事に惨敗。年増はなかなか厳しいようですね。


合格した瞬間から

新しい難題、就活がまっていたのだ。


其の五へ続く

3年目お金が尽きたwってことでバイトを始めた。

倉庫で3か月、コンビニで5か月。

30歳のおっさんが高校生のガキにあごで使われるw

「おい、おっさん!」とは言わないものの、心の中ではそう思ってただろうねw


時々ふと我に返り、オレ何やってんだろうと切なくなる。

30歳周りの同期は主任クラス、結婚する人もいてこれから年収も上昇。

オレ、ニート、彼女なし・・・高校生にこき使われる


悲しくて一人旅行くとそこでまた寂しくなる。

遠くまできた旅先での日本海に面する断崖で写真を撮る。

海がきれいだ・・・吸い込まれそうになる・・・

良からぬ思いが一瞬よぎるも痛そうだし飛び込む気はしなかった。


ホテルへ戻る。シャワーを浴び出てみると鏡に映っていたのは老けた自分の姿。

30かもう若くないんだね(精神的には子供だけどなw)


ということで、ホテルの部屋で有料アダルト放送を見ながら、

「今年で絶対決める」と改めて心に誓ったのでありました。


其の四へ続く

通信で勉強してた私。

「会社辞めちまったよー、ニートだよwww、暇だし、仲間でも作ろう」

と予備校にいくと、おっさんばっかwww

若い人がいても女子がいないwんなもんすぐに帰ったったわw


図書館に行くとJKがいっぱいいたんでそこで勉強することとした。

朝9時に行って夕方6時まで耳栓して勉強していた。

基本テキスト、オプションテキストを纏めて、答練、過去問を解いてパターンを身に着けていく

図書館までの道はウォークマンで鑑定評価基準・民法論証例の暗記。

歩きながらブツブツと唱えているので周りからみたら変質者だったろう・・・


2年目の論文試験、1日目の民法・経済学は完璧な出来だったが3日目にやらかした。

演習だった。電卓処理のミス(GTやメモリー機能)に最後で気づきパニックになった。

\(^o^)/オワタ


悲しい・・・

帰り道、駅のホーム、線路が私を誘ってるように見えた・・・

案の定落ちた。成績開示したらB判定だった。

「ってこたー、ミスってなかったら行ってたかもやん!」


よし3年目で最後にすっか!


其の三へつづく

今日から不動産鑑定士になるまでの道のりを振り返ってみます。


不動産鑑定士を目指したのが20代後半だった。

動機はファンドで不動産のAМやってお金持ちになりたかったから(笑)

で、なぜか「この資格があれば」と勘違いしたことから。


働きながら某予備校で勉強はじめた。

宅建持ってたから行政法規は楽勝だった。

経済学も大学でやってたから何とかなった。

会計学は鑑定士試験には簿記がないんで苦ではなかった。

民法は最初とっつきにくかったが、だんだん楽しくなって一番はまった教養科目となった。

鑑定理論は暗記が苦痛だった。覚えては忘れ…の繰り返し。

演習はもっとも得意な科目だった。


最初の一年は働きながらやった。

短答は何とかクリアして、余裕だなと思うも論文が手におえずE判定。

だが、そこでめげることはなかった。

「2年目は必ず受かって、モル○ンやらリー○ンやらダヴィ○チやら行って

ギロッポンの職場で不動産買いまくって・・・」と妄想したりしたのだ。

「よし、辞める。ワイ、会社辞めるッ!」と周りから見たら

阿呆な決断をしてしまったのが30歳の秋であった。


其の二へ続く

↓こんな記事見つけた


>【2013】 今すぐ○んで欲しい女性声優ランキング(腐女子LINE調べ)
>1位 原田ひとみ
>2位 田村ゆかり
>3位 今井麻美
>4位 松来未祐
>5位 三森すずこ
>6位 内田真礼
>7位 東山奈央
>8位 早見沙織
>9位 日笠陽子
>10位 中島愛


いまもうアニメを見なくて、最近の声優さんで知らない人もいるw

1位の原田ひとみって知らない・・・なんで嫌われてんの?

2位~4位は大ベテラン、歳でぶりっ子だから嫌われてんの?

豊崎さんがランクインしてないとは意外や。

関係ないけど阿澄さん結婚おめでとう!

いやあ、久しぶりすぎてpw思い出せずに苦労したぜw

修了考査まであとわずか、知り合いが必死に対策会をしてる。

去年自分も必死だった。

そのころはファンドにいた。AMじゃなくてただのアンダーライターだったけど

所謂最前線でのヴァリュエーション、心身ともに辛くて仕方なかったw

一日中FU○K!!と叫ぶ人、英語と日本語をごちゃ混ぜにして話しかけてくる人、

何故かフロアでグラサンしてる人・・・もぅマヂ無理、ぃみゎかんなぃ。


ちょっとだけ時が過ぎ今や評価書作成マシーン、あのフロアが懐かしくちょっと恋しくもある。

でも給料良くても長く続けることはできない。

給料下がってもまったりしてる今の職場の方が私にはあってる、


今日は知り合いのライブに行った

そこのギターが両手タッピングやってたwww古すぎて泣いたwひたすら古いw

客層もおっさん、俺よりもさらにおっさん

俺もアキラtkskのフレーズ必死にコピーした時期があった、その一年後はジムホールにはまった。

ジムホールは年末に亡くなった。83歳だった。

ビルエバンスとのアルバム「アンダーカレント」の一発目のマイファニーでジャズギターにはまった。

ジョンスコもメセニーもカートも好きになったが、いまはジムホールしか聞かない。