日本がかつてない大飛躍をなそうとする維新の夜明け前
将来の日本の進むべき正しい道を示そうと
熊本で開国論を唱えた1人の人物がいました。
この人物の名は、文化6年(1809)
熊本城下に生まれた
横井小楠 (ヨコイ ショウナン) です。
樸実で、酒乱、大器にして、不遇
それでも舌鋒鋭く、どんな相手も呑んだ。
いや、単身で日本を設計した。
横井小楠は、勝海舟をして
西郷隆盛と並んで恐ろしいと言わしめた男だった。
日本を洗濯することを志向した男だった。
つまり、龍馬の「船中八策」を先駆した男だった。
その小楠が明治2年に暗殺された。
維新政治は小楠の跡をひたすら追ったのである。
「なんぞ富国に止まらん。
なんぞ強兵に止まらん。
大義を四海に布(し)かんのみ。」
※松浦玲「横井小楠」より
肥後藩の時習館という藩校に、8歳で入学
その後江戸に学ぶ秀才で
水戸藩士藤田東湖などとも意見をたたかわせていましたが
酒のうえでの失敗で呼び戻されました。
熊本に帰った小楠は、政治と学問の一致を唱える実学党の道を進み
弘化4年(1847)
私塾「小楠堂」を開講
門弟には
徳富蘇峰・蘆花兄弟の父・徳富一敬(かずたか)や
藩政改革に尽力した竹崎茶堂がいました。
嘉永2年(1849)越前藩の三寺三作という武士が諸国遊歴の途中
小楠を訪問し、その説に大変感激して帰り
越前藩は小楠に学校についての教えを乞うています。
嘉永5年(1852)の「学校問答書」という建白書が書かれ
この教育論には吉田松陰も大変感激し
ペリーが浦賀に来た嘉永6年(1853)の10月
小楠を訪ねて来て、終日話し合っています。
安政2年(1855)沼山津(ぬやまづ)に転居した小楠は
この住まいを「四時軒」と称して、また塾を開きました。
主張するところは攘夷論から開国論へ移っていきます。
越前藩主・松平春嶽(しゅんがく)からの招きで
安政5年(1858)福井へ。
やがて松平春嶽が幕府の政事総裁になったおり
小楠も江戸にでて春嶽の大事な相談役をつとめ
「国是七条」を建言しました。
【四時軒の客間に掲げてある額 松平春嶽筆】
その後、士道忘却事件により沼山津に引きこもっていた小楠を
勝海舟の使い等で龍馬が3度訪ねているのです。
熊本城近くの宿から10kmを歩いて来ています。
会うと話は常に、国事の事でした。
最後に会ったのは
慶応元年(1865)5月19日
龍馬は薩長同盟に奔走しているころでした。
後に龍馬はお兄さんへの手紙の中で、「すぐれた人物」と評価し
明治政府のリーダーの一人として推薦しているほどです。
ここにも龍馬伝・福山さんのポスターが・・・。
龍馬が小楠と酒を酌み交わしたという客間
*福山さんをイメージしちゃいかんよ(*^o^*)
客間から見た庭(昔とはだいぶ違うでしょうが・・)
維新になると新政府は、横井小楠を参与という位で京都に呼び出します。
岩倉具視は、木戸、大久保らの参与の中でも
とくに小楠を頼りにしていて、夜を日についで、相談していたといいます。
小楠は、まさに
新日本の政治家として重要な地位にあったのです。
しかし、翌明治2年(1869)正月5日、太政官に出仕して退朝する途中
暗殺者たちに襲われ、短刀を抜いで防ぎましたが
ついに力尽きて倒れました。
時に小楠61歳でした。
墓は京都南禅寺の天授庵にあり
遺髪は熊本に持ち帰られ小楠公園に葬られています。
小楠の死後1年
熊本ではその門人・友人が続々と登用されるなど「小楠」の時代が来た。
勝海舟は 「天下で恐ろしいものを二人見た。
一人は西郷隆盛、一人は小楠である」 と語った。
勝海舟(氷川清話より)
今、熊本城の下、高橋公園には
小楠を中心に
竜馬、海舟、春嶽、細川護久(もりひさ)の維新像が立っている。
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うちの小さいホテルから車で約13分!
地元でもあまり有名ではないので(>_<)
ご存知の方も少ないのは残念。
最近は龍馬ブームもあって、歴史が好きな人は訪れているようです。
但し、場所が分かりにくいのでご注意。
現在は、定期観光バスの歴史探訪ルートなどあり
それを利用すれば便利です。
【絵で分かりやすく小楠の生涯・エピソードを紹介】
横井小楠は
坂本龍馬が活躍するうえで、彼の思想に大きな影響を与えています。
そういう意味においては、竜馬、西郷と同じように維新期の歴史的な重要人物なのです。
しかし、その知名度は、竜馬、西郷には
全くおよびもつきません。
維新政府が薩長士出身者に偏り、歴史上の功績評価を無視された事と
明治2年に暗殺されて、翌年には春嶽も新政府を去っているので
その仕事の業績が曖昧になった事が原因というふうに捉られています。
その他にも、肥後の引き倒し、薩摩の芋ズル的な県民性の違いが
歴史上の人物評価や後押しといったことに出ているのかもしれません。
@ : 年内に書けてよかった。龍馬伝のタイミングは逸したけど・・・。
小楠さん、酒飲みでなかったら歴史は変わっていたかも・・・?
司馬遼太郎さんが
「竜馬がゆく」の本の中でもっと詳しく小楠に言及していたら
もっと有名になっていただろうに・・・残念!
最後までお読み頂きありがとうございました。
これで、今年最後のブログとさせて頂きます。
拙いブログにおつき合い頂きました皆様に感謝致します。
来年も頑張って続けますのでよろしくお願い致します。
どうぞ、みなさん よいお年を! (^O^)/