5月2日 日曜日 さわやかウォーキングに参加したあと
『よみがえれ! 愛岐トンネル群』とイベントに参加するために
JR中央本線 中津川駅から、定光寺駅にやってきました。
愛知県春日井市になります。
高蔵寺駅から、多治見駅までは、山々が迫り、庄内川にそって
とても、険しい場所を走る区間で、大部分がトンネルで占めています
ここを通るたびに、よくこんな場所に、鉄路を拓いたもとのだと感心
すると共に、その先人達の苦労に敬意を表したいと思っていました。
普段は、無人の定光寺駅ですが、
JRのイベントではないにかかわらず、職員がたくさんいました。
協力金として、100円を支払い、名前を記入しました。
NPO法人 愛岐トンネル保存再生委員会と
トヨタ財団の支援によってに運営され、
愛岐トンネル群の発掘、調査から、一般公開に向けての整備再生
など、近代産業遺産を後世に残すために活動しています。
この人たちの、たいへんなご苦労のおかげで、
これから紹介する愛岐トンネル群を見ることができることを、
けして、忘れてはいけません。
愛岐トンネル群、13のトンネルのうち、調査済みの4つのトンネルを
散策します。
迷わず買いました。
受付を済ませて、すぐに急な階段を登っていきます。
階段を上がっていくと、そこには木々が生い茂る森がありました。
人々が見つめる、その先に、トンネルが見えました。
下の部分は石積み、その上はレンガ造りです
その圧倒的な存在感のある姿に、思わず立ち尽くしてしまいました。
この廃線跡は、1900年(明治33年)に開通し
複線電化により、現在のルートが完成した1966年(昭和41年)まで
66年間使われました。
廃線後、庄内川の渓流沿いの人を寄せ付けない環境下
うっそうとしたヤブの中に隠れ、人々の記憶からも遠ざかり
このトンネルは、最近発見されるまで40年間の長い眠りにつきました
↑↑↑迫石(せりいし)
迫石(せりいし)は、アーチを形成するための台座のレンガで
何重にも巻く場合があります。
この玉野第三トンネルは五重巻です。
明治の職人技が光っていて、とても美しくみえます。
この玉野第三トンネルは75mの長さです。
約40年の永い眠りについていたのにもかかわらず、崩落せず
そのまま、残っていたそうです。
すばらしいです。
この愛岐トンネル群は、
廃線跡である近代遺産と、自然の樹木が共存している珍しい場所です
古いレールを使った落石防止用の鉄柵がありました。
先ほどより
少し大きめの橋の橋脚にも、レンガが使われていました。
なお、この橋は、
NPO法人 愛岐トンネル保存再生委員会の手作りの橋です
さらに進むと、次のトンネルが見えてきました
壁柱(ピラスター)は、トンネルの強度を上げるための柱で
装飾的な役割もあります。
これは、走行中のD51が先の線路が広がっていたため、脱線して、
トンネルに、もたれかかった時に傷ついたものといわれています。
明治期に作られた、このトンネルは、
当時の蒸気機関車の大きさに合うよう作られたため、
D51の大きな車体に、このトンネルは、とても窮屈だったそうで
手を少し伸ばせば、トンネルの壁面に届いたそうです
玉野第四トンネルの多治見側です。
ここには、斜めになったレンガ積みが、トンネルの横にあります。
これを、翼壁・ウィングと呼んでいます。
強度を保つためともいわれますが、
デザイン的にも、とてもおしゃれな感じがします。
明治の広場といわれ、大きなモミジの木がありました。
100年以上前に、トンネル工事の際に邪魔になって切り倒した
モミジの大木の切り株から、3本の新芽が芽吹いて、こんなに
大きくなりました。
すごい、生命力です、
このNPO法人 愛岐トンネル保存再生委員会のシンボルツリーに
なっています
きっと、車窓からでも、歓声が上がったことでしょう。
この庄内川ですが、この部分を玉野川と呼ぶ場合もあります
線路に敷かれていたバラストを踏みしめながら歩いていきます。
脇には、信号設備の遺構が残っていました。
再び、橋が見えてきました。
ここも、美しく積まれたレンガの橋脚です。
レンガの周りの石積みも、しっかりとしています。
低く鳴り響く汽笛とともに、
小刻み、そしてけたたましく蒸気を噴出しながら
D51が牽引する列車が走ってくる姿が、見えてくるような気がしました。
左側に大きなコンクリートの壁、その向こうにトンネルが見えてきました
谷から流れる水をまとめて、玉野川に流す治水施設です。
このトンネルにも、川側に斜めのウィングが見られます。
これを要石(かなめいし)といいます。
装飾的、意味合いの強い石で、これをはめると完成といわれています
トンネルの中から、見える緑の森林は、とても美しいものです。
ここでも、迫石が丁寧に積まれています。
写真に写っている半透明のものは
長時間カメラのシャッターを開いて撮影したため、
人が前を通っていった影で、別に怪しいものでありません、念のため
隠山第一トンネルの多治見側です。
ここにも、川側にウィングが見られます。
そのウィングの上部を見てみましょう。
さらに、その上のほうに注目です。
ここにも、芸術的なアーチが作られていました。
車窓から見えない、普段人目に付かないところにも、
とても丁寧な仕事がされている明治の職人さんに脱帽です。
すぐの所に、今回公開されている最後のトンネルがありました。
隠山第二トンネルです。
なんといっても、このウィング
横広がっているのではなく、斜め前に伸びています。
ちょっとした飾りもついていました。
粋ですね。
このレンガのアーチの積み方、素晴らしいです
しかも、このトンネルは、
地質がもろく、建設中に漏水や崩落が相次いだため、
迫石が七重にもなっている、とても強固なトンネルとなっています
おそらく、七重の迫石があるトンネルは、ここだけだそうです。
このトンネルも、110年経った今も、崩落せず残っています。
333メートルもあってとても長いトンネルです。
真っ暗の中しばらく歩きました。
今度来る時には、懐中電灯をもってきたほうがいいですね。
まぶしい~
左側のウィングは、樹木の根が張り出して、崩落寸前です。
自然の樹木を切るべきか、そのままにしておくのか悩ましいところです
でも、やはり両側に羽を広げた優美な姿のトンネル
残してほしいですね。
周囲には、崩落したレンガが放置してありました。
これも、貴重な遺産です。
その先は、橋脚があり
さらに
その向こうには、深い草木が生い茂る廃線跡と7つトンネル群が
廃線から約40年余りの深い深い眠りについているのです。
NPO法人 愛岐トンネル保存再生委員会は資金を集めて
土地の所有者に理解を求め、買取、その後調査していくそうです
この先のトンネルが、私達の目の前に一刻でも早く姿を現して
くれることを期待します。
明治24年に、名古屋から多治見に抜ける道として作られました。
やがて、鉄道が開通すると、この道はさびれていきました。
途中には、「山おやじ」という愛称がつけられた、大エノキがあります
胴回り、約6メートルというどっしりとした木です。
根元は、本州では珍しい、板根になっています。
降りられるところで、折り返しとなっていました。
『よみがえれ! 愛岐トンネル群』
あためて、
ここに鉄路を開いた先人たちの努力と苦労に敬意を表するとともに
人々の記憶から、忘れ去られていた貴重な文化遺産を、
長い眠りから、私達の目の前に、よみがえらせてくれた
NPO法人 愛岐トンネル保存再生委員会のスタッフの皆様に
心から、感謝したいと思います。
JR中央本線 定光寺駅に向かいます。
高蔵寺から多治見の間を通る時
また、新たな思いで、車窓の景色を楽しめそうです。