人の終末期に於いて、百人百様の選択肢があることがだんだんわかってきた

 

 

昨日のブログのコメントにもそれが窺われ、改めて「人間の心のありよう」というものについて考えさせられる貴重な意見やアドバイスが聞けて、皆さんには感謝しています

 

 

今日も父のところに行くように支度をしていたら、ふっと孫のアックンに会いたくなって、今日はパパのモグチャンがお仕事で休日出勤していることを知っていたので、長女に電話をし、いっしょにランチをして、そのあと遊ばせるために公園に行った

 

 

日々やせていく父を見るのが辛いから、元気な孫の顔を見てそこで英気を養ってから父に会う方がなぜか現実に耐えられるのだ

 

 

今日も父は車いすに座らされて、じっと1点を見つめ、茫然としていた・・・

 

 

「こんにちは・・・どうですか?」

 

 

そう言って声をかけても目はうつろで輝きはなく、深い悲しみにじっと耐えていることは何も言わなくてもわかった

 

 

母が亡くなって毎日号泣するでもなく父は淡々と日常を送っていた

 

 

ついこの間まで、自分の使った食器は洗い、お風呂もトイレも自分でできて、たまによごれた下着を洗濯していることもあった

 

 

食事も好き嫌いはあったが、私たちの作るものをおいしそうに食べ、毎晩ワインをグラス一杯は飲み、小腹がすいたらチョコレートをつまみ、たまにジョークも飛ばした

 

 

それが今は立つこともできなくなって、オムツを当てられ、好きなヨーグルトもフランスパンもベーコンエッグも食べられず、「味がしない・・・」と病院食に手を付けない父

 

 

現実を受け入れられず、頭の中は混乱して不安そうに私を見る目はなにかにおびえている

 

 

いっそあのまま手遅れだったら、意識朦朧とした中で好きだった自宅でインフルエンザによる肺炎で亡くなっていただろうに、幸か不幸か私たちに発見され、医療というレールに乗せられ命をとりとめたけれど、父にとってこのシナリオは正しかったのだろうか?

 

 

正常と異常の境を行ったり来たりしている心はギリギリのところでなんとか狂わずに自分を保てている感じで、私はもう言葉をかけることも躊躇してしまう・・・

 

 

「寒いな・・・」と父

 

 

「そう?」

 

 

「うん・・・寒くないか?」

 

 

「家にあったチョッキ持ってきたけど、着る?」

 

 

そう言って私が父の袖にチョッキを通してあげたら普段ならいやがるのに、黙って私のするように従って着終わったら「ありがとう」とぽつりと言った

 

 

 

「みんな元気か?」

 

 

「うん・・・元気よ」

 

 

「そうか・・・」

 

 

「○○(長女)のお腹も大きくなってきたよ。赤ちゃん楽しみだね」

 

 

「○○ちゃんに大事にしなさいって言っといて」

 

 

「そうだね、言っとくわ・・・」

 

 

「明日は何時に来る?」

 

 

「午前中には来るわ。転院の手続きもあるし、パジャマも替えがないからね・・・」

 

 

「わかった、もう帰りなさい、ありがとう」

 

 

「じゃあね・・・また明日」

 

 

よごれたパジャマを袋に詰めて部屋を出るとき、うっと涙が出そうになる

 

 

 

これでよかったんだろうか・・・

 

 

 

常に大きな疑問が私の胸の中でうごめいている

 

 

 

転院してリハビリをしてまた今度は老健に転院して、それから終の棲家をさがすというこの流れは果たして父の望む生き方なんだろうか?

 

 

 

私の思いなんてもうどうでもよくて、父のしたいようにさせてやりたい

 

 

 

大往生と言われる死でも、本人や家族にとっては決して満足なものではないということが、やっとわかった気がする

 

 

 

死はどうしたってこうしたって、残酷で悲しく、苦しいものだ・・・

 

 

 

「やすらかな死」なんて、結局元気に生きている側の勝手な思い込みで、そう考えないと収まりのつかない感情というものがあって

 

 

 

生きることも死ぬことも、これほど大変なことだということを父は今私に「考えろ」と教えてくれているのかもしれない・・・