京都 四条烏丸周辺観光ほか
先週の土曜日の京都旅行記です。
久しぶりの京都な気がする。
今回も直前位まで行くところあまり決めなくて。
今回の京都観光ルートはだいたいこうなりました。
アスニー→【四条烏丸周辺】神明神社→因幡堂(平等寺)→新玉津島神社→五条天神→菅大臣神社
近年、楽天とかるるぶとかの宿検索で「シングル」選んでるのに、
ゲストハウスの相部屋であるドミトリーとか、
カプセルホテルばっかり出てきて、ほんとイラつく
で結局、高い宿+往復夜行バスにしても、新幹線と宿のセットにしてもあんまり金額変わらなくてさぁ。
という訳で、今回は旅行会社の往復新幹線の各駅停車のこだまと宿のセット。
こだまを長時間っていうのは始めて乗ったんだけど、
車内販売無いのね・・・
毎駅5分は止まるから、その間に駅売店とかで買えということだそうな。
京都駅で乗り換えて、円町で下車。
新幹線には京都市内までの乗車券付いてるので、
アスニーの「京都市平安京創生館 」行こうと。
バス停2つ分程歩きます。
生涯学習センターってことで図書館とかとの複合施設。
この建物の場所は、内裏の造酒寮の倉庫跡だとか。
1階入口入って左手に、出土品とかも展示されてた。
さらに奥に、「平安京」の大きなジオラマ。
時間があるからとボランティアさんが、展示を説明してくれました。
20年くらい前に作られたものだそう。
その割にはキレイになってる。覆い無いから手入れ大変だろうな。
内裏のあたりは平安初期設定、京の中の方は摂関期ころだったかな、
白河とかは平安末の院政期の時代設定らしい。
北側にあたる方から南にあたる方を見る。
左の方は法住寺殿で、右は六波羅だろうか
ジオラマの奥に、室町末頃を描いた洛中洛外図屏風(上杉本)の拡大複製。
中の展示へ。
鳥羽殿の斜めに展示されたジオラマや、瓦もあった。
豊楽殿や法勝寺の復元模型とかも。
行った時は展示の一部企画で「闇からのぞいた平安京~辻々を妖怪たちが闊歩する~」という展示をしてて、主要展示は撮影禁止だったけど、装束系はOKだったので撮ってきた。
束帯(武官)
僧侶袍裳七條袈裟姿
浄衣姿
僧侶鈍(純)色五条袈裟姿
法勝寺のだけじゃなく、東寺・西寺のもあったよ。
ここは、狩衣や袿を着る事もできるよ
でも、一人で着れないから、狩衣の袴の構造知りたいと見てみたけど理解できずに終わっただけだった。
昼過ぎたので、アスニーにあるレストランで昼食をとり、一休み。
アスニーを出て、1バス停分歩いて、千本丸太町へ。
その途中や交差点付近には、「朝堂院跡」とか「大極殿跡」の石碑や案内板とかもあります。
千本丸太町のバス停から、201又は46系統のバスに乗って四条烏丸へ。
■四条烏丸周辺
四条烏丸の交差点付近に周辺の地図があり、五条天神も見つけた。
この後行く因幡堂のすぐ南の通りをずっと西へ行ったところ。
アスニーで、洛中洛外図の説明してもらった中に、「五条天神」のそばの橋が、
義経と弁慶があった場所との説もあるって教えてもらったのを思いだし、予定に追加した。
まずは交差点から1本南の道(綾小路通)を東へ。
神明神社
忠通の邸だった近衛殿邸内にあった鎮守社だそうです。
境内には、お祭り後の談笑タイムに入ってるような方々がっ
境内狭いのでその方々の横を通らねばお参りできない。
悩んだ挙句お声掛けして、神輿の横を通ってお参りさせてもらい、
バタバタと写真も撮らせてもらった。
この神社には近衛帝の時の源頼政の鵺退治の時の「やじり」が宝物として伝わってるとか。
はっ
撮影した案内板を今更よく見たら「祭礼の時に飾られる」って書いてある
どこにあったんだろう~
でも、御神輿とか貴重なものを見れてうれしかった。
次ぎに、因幡堂(平等寺)へ。
頼長ゆかりの地ってことで来ました。
因幡堂は、薬師如来が有名だそう。
そういえば『台記』で藤原頼長が訪れてる時は鯰膚(癧痬)にかかってた時だったな。
場所も、平安時代から変わってないそうです
「華鬘(けまん)」って言うんだと思うんだけど、本堂内上部の御簾の所にある扇みたいな飾、
かかっているのを見ることがあまりなくて、なんかすごい嬉しかった。
お寺の方にいっぱいお話を聞かせてもらって、その中でも面白かったのが、
ここへ来るつもりで、タクシーに「平等寺」と伝えて、
宇治の「平等院」へ連れて行かれそうになった人がいたらしい話。
そして、この寺を「平等寺」と名付けたのは高倉天皇だそうな。
この南に、高倉天皇の御所があったらしい。
その間にあっただろう、因幡堂の一本南の道を西へ進み、五条天神へ。
その途中に、新玉津島神社があった。
後鳥羽天皇の時代、藤原俊成が自邸内に、
和歌山県和歌浦の玉津神社の歌道の神「衣通郎姫」を勧請したのが始まりだそうな。
さらに西へ進む。
この通りは、義経&弁慶推しだった
思ったより離れてて、これかと思ったら道祖神の神社だったりしましたが、
ようやく五条天神が交差点からやや南の方にあった。
義経&弁慶の出会ったのは、かつてこの五条天神のそばにあった橋という説があると、アスニーで聞いたのでね。
泊まる予定のホテルユニゾへ向かうため、五条天神の前の通りを北上。
菅大臣神社があったので寄ってみた。
祭神の一柱はもちろん菅原道真。
道真の誕生地&邸跡だそうで、飛び梅が飛び去った地ってことか。
社殿横の狛犬(角っぽいのあるよね)のこの顔がたまらん
社殿前の通りを北に来たところの鳥居。
左下に「菅家邸址」碑。
道挟んで斜め向かいにも。
その脇の道をのぞいたら、住宅地突き当りに、
紅梅殿。
菅大臣神社の案内板に道真の「紅・白梅殿というお邸」って書いてあったのと、
関係あるのかしら。
西に公園が見えたので、
そこを通ってさらに北上。
重要文化財の杉本家住宅だそうです。
そこから東へ進み、北へ行く道があったので北上したら、
四条通りに出た。
ホテルはもう少し西だった。
膏薬辻子(こうやくのずし)という細い道。
杉本家住宅の西にあたる道だったらしい。
つまり泊まるホテルユニゾへの近道でした。
今回は夕方になる前に、早めのチェックインしました。
久しぶりの京都な気がする。
今回も直前位まで行くところあまり決めなくて。
今回の京都観光ルートはだいたいこうなりました。
アスニー→【四条烏丸周辺】神明神社→因幡堂(平等寺)→新玉津島神社→五条天神→菅大臣神社
近年、楽天とかるるぶとかの宿検索で「シングル」選んでるのに、
ゲストハウスの相部屋であるドミトリーとか、
カプセルホテルばっかり出てきて、ほんとイラつく
で結局、高い宿+往復夜行バスにしても、新幹線と宿のセットにしてもあんまり金額変わらなくてさぁ。
という訳で、今回は旅行会社の往復新幹線の各駅停車のこだまと宿のセット。
こだまを長時間っていうのは始めて乗ったんだけど、
車内販売無いのね・・・
毎駅5分は止まるから、その間に駅売店とかで買えということだそうな。
京都駅で乗り換えて、円町で下車。
新幹線には京都市内までの乗車券付いてるので、
アスニーの「京都市平安京創生館 」行こうと。
バス停2つ分程歩きます。
生涯学習センターってことで図書館とかとの複合施設。
この建物の場所は、内裏の造酒寮の倉庫跡だとか。
1階入口入って左手に、出土品とかも展示されてた。
さらに奥に、「平安京」の大きなジオラマ。
時間があるからとボランティアさんが、展示を説明してくれました。
20年くらい前に作られたものだそう。
その割にはキレイになってる。覆い無いから手入れ大変だろうな。
内裏のあたりは平安初期設定、京の中の方は摂関期ころだったかな、
白河とかは平安末の院政期の時代設定らしい。
北側にあたる方から南にあたる方を見る。
左の方は法住寺殿で、右は六波羅だろうか
ジオラマの奥に、室町末頃を描いた洛中洛外図屏風(上杉本)の拡大複製。
中の展示へ。
鳥羽殿の斜めに展示されたジオラマや、瓦もあった。
豊楽殿や法勝寺の復元模型とかも。
行った時は展示の一部企画で「闇からのぞいた平安京~辻々を妖怪たちが闊歩する~」という展示をしてて、主要展示は撮影禁止だったけど、装束系はOKだったので撮ってきた。
束帯(武官)
僧侶袍裳七條袈裟姿
浄衣姿
僧侶鈍(純)色五条袈裟姿
法勝寺のだけじゃなく、東寺・西寺のもあったよ。
ここは、狩衣や袿を着る事もできるよ
でも、一人で着れないから、狩衣の袴の構造知りたいと見てみたけど理解できずに終わっただけだった。
昼過ぎたので、アスニーにあるレストランで昼食をとり、一休み。
アスニーを出て、1バス停分歩いて、千本丸太町へ。
その途中や交差点付近には、「朝堂院跡」とか「大極殿跡」の石碑や案内板とかもあります。
千本丸太町のバス停から、201又は46系統のバスに乗って四条烏丸へ。
■四条烏丸周辺
四条烏丸の交差点付近に周辺の地図があり、五条天神も見つけた。
この後行く因幡堂のすぐ南の通りをずっと西へ行ったところ。
アスニーで、洛中洛外図の説明してもらった中に、「五条天神」のそばの橋が、
義経と弁慶があった場所との説もあるって教えてもらったのを思いだし、予定に追加した。
まずは交差点から1本南の道(綾小路通)を東へ。
神明神社
忠通の邸だった近衛殿邸内にあった鎮守社だそうです。
境内には、お祭り後の談笑タイムに入ってるような方々がっ
境内狭いのでその方々の横を通らねばお参りできない。
悩んだ挙句お声掛けして、神輿の横を通ってお参りさせてもらい、
バタバタと写真も撮らせてもらった。
この神社には近衛帝の時の源頼政の鵺退治の時の「やじり」が宝物として伝わってるとか。
はっ
撮影した案内板を今更よく見たら「祭礼の時に飾られる」って書いてある
どこにあったんだろう~
でも、御神輿とか貴重なものを見れてうれしかった。
次ぎに、因幡堂(平等寺)へ。
頼長ゆかりの地ってことで来ました。
因幡堂は、薬師如来が有名だそう。
そういえば『台記』で藤原頼長が訪れてる時は鯰膚(癧痬)にかかってた時だったな。
場所も、平安時代から変わってないそうです
「華鬘(けまん)」って言うんだと思うんだけど、本堂内上部の御簾の所にある扇みたいな飾、
かかっているのを見ることがあまりなくて、なんかすごい嬉しかった。
お寺の方にいっぱいお話を聞かせてもらって、その中でも面白かったのが、
ここへ来るつもりで、タクシーに「平等寺」と伝えて、
宇治の「平等院」へ連れて行かれそうになった人がいたらしい話。
そして、この寺を「平等寺」と名付けたのは高倉天皇だそうな。
この南に、高倉天皇の御所があったらしい。
その間にあっただろう、因幡堂の一本南の道を西へ進み、五条天神へ。
その途中に、新玉津島神社があった。
後鳥羽天皇の時代、藤原俊成が自邸内に、
和歌山県和歌浦の玉津神社の歌道の神「衣通郎姫」を勧請したのが始まりだそうな。
さらに西へ進む。
この通りは、義経&弁慶推しだった
思ったより離れてて、これかと思ったら道祖神の神社だったりしましたが、
ようやく五条天神が交差点からやや南の方にあった。
義経&弁慶の出会ったのは、かつてこの五条天神のそばにあった橋という説があると、アスニーで聞いたのでね。
泊まる予定のホテルユニゾへ向かうため、五条天神の前の通りを北上。
菅大臣神社があったので寄ってみた。
祭神の一柱はもちろん菅原道真。
道真の誕生地&邸跡だそうで、飛び梅が飛び去った地ってことか。
社殿横の狛犬(角っぽいのあるよね)のこの顔がたまらん
社殿前の通りを北に来たところの鳥居。
左下に「菅家邸址」碑。
道挟んで斜め向かいにも。
その脇の道をのぞいたら、住宅地突き当りに、
紅梅殿。
菅大臣神社の案内板に道真の「紅・白梅殿というお邸」って書いてあったのと、
関係あるのかしら。
西に公園が見えたので、
そこを通ってさらに北上。
重要文化財の杉本家住宅だそうです。
そこから東へ進み、北へ行く道があったので北上したら、
四条通りに出た。
ホテルはもう少し西だった。
膏薬辻子(こうやくのずし)という細い道。
つまり泊まるホテルユニゾへの近道でした。
今回は夕方になる前に、早めのチェックインしました。