神戸・兵庫観光 平家な旅2
12月3日
泊まったホテルパールシティ神戸
からの眺め。
うっすら遠くに見えるのは大阪かな
ホテルの送迎バスで三宮へ。
(混んでて危うく乗れないとこだった)
今日は、「須磨観光ガイドマップ」で歩きます。
須磨寺へ向かうので、山陽電鉄の須磨寺駅で下車。
改札出てすぐの所に、
いざ、須磨寺へ~
途中の右手の道に、頼政という字を発見。
帰りに寄ってみよう~
土日だけでしょうか、ボランティアさん達が案内もしてくれます。
句碑・歌碑の説明もしてくれるんだけど、
すみません、興味ないです~^^;
須磨寺は源平ゆかりの寺。
昔は源氏物語ゆかりと言われる方が強かったそうです。
宝物館には、清盛寄進とされる「鼓」、敦盛ゆかりとされる笛や鎧・弓、「弁慶ノ鐘」。
弁慶が書いたとされる「若木桜之制札」は、これがあるから成立する浄瑠璃があるのだとか。
「義経腰掛けの松」と、
体は一の谷の方に埋葬されているのだとか。
最後に、ガイドさんに本の紹介をしてもらった。
それが、昨日回った所の案内板にも度々出てきてた「福原鬢鏡」。
他では買えないらしいので、そりゃ買っておかなきゃ~と、
『須磨寺御開帳古俳書集 福原鬢鏡・太夫櫻』。
「福原鬢鏡」は須磨寺への道中観光案内みたいなもので、
江戸時代の延宝8年(1680)に出版された物なんだって。
須磨寺への途中に気になった「頼政薬師寺」
久寿の頃に頼政が再興した寺だとか。
時間の関係もあるので、一ノ谷方面や
平知章ゆかりの長田、忠度ゆかりの駒ヶ林は断念。
前日の続きをする事に。
あ、JRを使わなかったから、
源平マンホール撮れなかった~
須磨寺駅から板宿駅で乗り換え、湊川公園駅で下車。
ここからは、昨日の続きなので神戸市兵庫区のマップ
の
「福原京~平家ゆかりの地を訪ねて」で歩きます。
前日、北の方に行くバスがあるのを見ていたので、
湊川公園から、行き先を確認してバスに乗車、夢野町3丁目バス停で下車。
手前の夢野町2丁目の方が近いかもしれないけど、
熊野神社の場所が目で確認できたからいいか。
福原遷都の時に、鎮護のために勧請されたらしい。
兵庫駅南側のマップより広い範囲のマップのせいか、
若干住宅地の道が省略されてて、
氷室神社へ少し迷った。。。
福原遷都の際に勧請した厳島神社で、清盛七弁天の一つだそうです。
近くに平教経の別邸があり、後白河院が幽閉されたとか、
合戦の時には氷室神社に教経が陣を張り、
平通盛と小宰相の別れの地とも言われているそうです。
教経は、清盛の弟教盛の次男で、いつどこで亡くなったかは諸説あります。
通盛は、教盛の嫡男、つまり教経の兄で、一の谷の合戦で亡くなっています。
夢野八幡神社へ向かいます。
ところが、また迷う。。。
迷って山の上のダム湖まで来てしまった
でもね、迷ってみるものです。
黄葉がすごいキレイだったの
ダム湖の公園にあった周辺マップを確認し、
手に持ってる地図と場所が違うのを確認。
そりゃ迷うわ。。。
途中の坂道では、海の方が良く見えました。
ホントに神戸は山と海が近いんだな~とか、
確かに、これでは京都のような都の広さは取れないよね~
などと思っておりました。
山を下り、ダム湖マップに書かれた場所の、
道を挟んで反対側に夢野八幡神社がありました。
あれも間違いだったか( ´艸`)
清盛の福原での邸、雪見御所があったとされる湊山小学校へ向かいますが、
その前にお腹すいた。。。
石井町バス停の近くに、丁度お弁当屋に併設された定食屋さんがあったので、
そこでお昼になりました。
オサレでキレイな所ではないけれど、味・ボリューム共に満足でした
そのまま大きな通りを東の方へ行き、小学校の角にありました。
解説板によると、邸の建物自体はここより北の方にあっただろうという事でした。
近くには安徳天皇の皇居「平野殿」や平宗盛の邸があったみたいです。
小学校のそばの天王谷川に沿って北上。
清盛が入った時と場所は異なるようですが、
温泉の源泉は同じだろうという事でした。
近所と思われる方々がけっこー入って行かれました。
銭湯みたいな感じなのかも。
時間があれば、入ってみたかったです。
温泉から、天王谷川の東側の道で南下。
アパートらしき建物の所に
「名所 天王温泉は平清盛並に豊太閤に由緒ある温泉(略)」と書かれている碑がありました。
その道を東に曲がり、祇園神社へ向かいます。
清盛が経が島築造の際に、祇園神社の裏山で計画を練ったとか。
これで観光を終え、今夜の宿泊地京都へ向かおうかと祇園神社の道を南下していたら、
「塞神の松跡」の碑。
そのそばの解説板に、「祇園遺跡」についてもありました。
この碑の西側(つまり道路)で、清盛の時代の貴族の邸宅の庭園が見つかっているのだそうです。
さらに南下して、平野商店街の角
そのそばの「平野」からバスに乗ってJR兵庫駅に向かい、
宿泊地の京都へ向かいました。
神戸・兵庫の平家な旅はここで終了。
しかし、旅行はつづく
。