行くぞ地の果て 見た事も無い夢よ | 風曜日

行くぞ地の果て 見た事も無い夢よ

すっかりF-1を見なくなって何年か。。。
現実離れしたマシンで同じコースを回るF-1より、実際に街中を
走っている市販車(実際の中身は全く別物ですが)であらゆる自然条件
の中で、街中や山道といったいろんな道を走ってタイムを競う、ラリーに
ハマったというのが要因のひとつではありましたが。。。

それにも増してF-1を見なくなった一番の要因は、1994年5月1日、
イタリアのイモラ・サーキットで行われたサンマリノGPでレース中に
アイルトン・セナが亡くなった事でしょうか。

80年代後半~90年代のF-1の人気を牽引したのは、そのアイルトン・セナを
含めた、アラン・プロスト、ナイジェル・マンセルといった天才ドライバー達
の熾烈な戦いと、その強烈なキャラクターでしたね。その人気の渦中にあった
セナは母国ブラジルはもとより、日本でも絶大なモノでした。

そんなF-1が日本に根付いたきっかけを作ったと言えば、日本人初のF-1
ドライバーとなった、中嶋 悟さんの存在でしょう。
それまでは所詮 "外国のモーター・スポーツ" という認識だったF-1に
遂に日本人がドライバーとして参戦したのですから、当時は画期的な事
だったのですよ(今でも凄い事ですが)。

1987年、ロータス・ホンダのドライバーとしてデビューしますが、
この年のチーム・メイトがアイルトン・セナでした。
黄色いキャメル・カラーのロータス・ホンダと、セナ、中嶋。。。
バブル時代の遠い想い出ですね。。。

パーティーで他のドライバーが皆タキシードの中、ひとりブレザー姿だった
というのも、世界の舞台に初めて出た日本人として微笑ましいモノでした。
まだセレブ・パーティーなんて知らない時代でしたからね。
1988年と1989年はネルソン・ピケと共に参戦、なかなか結果を出せない
ながらも、日本人初のF-1ドライバーという注目は日本におけるF-1の認知度と
人気を一気に上げ、CMにも起用される様になります。

「約束」(1989)


当時のF-1中継で頻繁にオン・エアされていたので有名な曲ですね。
歌っていたのは昨今、いろいろと話題を提供している玉置浩二の安全地帯の
ギター、矢萩 渉です。安全地帯が1988年に活動を停止、最初に手掛けたのが
このCM曲でした。

1990年中嶋はティレルヘ移籍、この年のチーム・メイトはジャン・アレジでした。
CM第二弾では、自転車を乗り回す中嶋氏の姿にあわせて流れるこの曲が印象的
でしたね。この曲と「約束」がカップリングでリリースされ、矢萩渉は本格的に
ソロ・アーティストとして作品をリリースしてゆきます。

「冒険者」(1990)


同年、この曲を含めた同名アルバムでソロ1stアルバムをリリース。
安全地帯とは違って、アルバム全体を覆うどこか懐かしさを感じさせる曲調と
ギターリストのソロ・アルバムとは思えない、あくまで歌がメインという内容
でした。

1991年、中嶋は引退を表明、この年の最終戦は "雨の中嶋" と異名を取った
レイン・コンディションに強い中嶋には不本意なリタイヤでそのキャリアに
ピリオドを打ちました。この引退シーズンのCMに使用されたのも、矢萩渉の
この新曲でした。

「楽園の君に」(1991)


矢萩渉は同年2ndアルバム『喜びの歌』をリリース。全体的に前作よりも
ミディアムな曲調の多いアルバムでした。矢萩渉のソロ・キャリアも、
2枚のアルバムでピリオドを打ち、以降は玉置浩二のサポートをしつつ
安全地帯の活動再開に向けて尽力してゆく事になります。

中嶋 悟引退後もF-1を見ていたのはやはりアイルトン・セナの存在が
あったればこそでした。しかし、冒頭に書いたとおりレース中のクラッシュ
によって、34歳という若さで亡くなってしまいました。。。
奇しくも、中嶋 悟さんのF-1デビューが34歳だったんですよね。

毎年、この時期になるとセナが亡くなったあの日を想い出しながら
F-1中継のCMで流されていたこれらの曲が入っている矢萩渉のアルバムを
聴いています。あれから17年。。。変わらず好き勝手生きてます。。。(´・ω・`)